第3回原子力平和利用国際会議開催

8月31日〜9月9日


 第3回原子力平和利用国際会議は、国際連合の主催により、本年8月31日からスイス・ジュネーブ市のパレ・デ・ナシオンにおいて開催され、77ヵ国および10国際機関からの代表1,869名、オブザーバー約2,000名が参加した。わが国からは駒形原子力委員を主席代表とする49名の代表団および19名のオブザーバーが参加した。この会議に提出された論文総数は749編、うち口頭発表は321編で、わが国は29編を提出し、うち9編を口頭発表した。
 会議は8月31日午前10時30分パレ・デ・ナシオン総会議場において、ソ連のエメリアノフ教授を議長として開かれ、スイス連邦モース大統領、国連ウ・タント事務総長、国際原子力機関エクランド事務局長の演説により開会式を終わった。
 同日午後3時から総会議場において、一般セッション「将来のエネルギー需要と原子力の役割」について討議が開始され、インド、アルゼンチン、英国、フランス、米国、ソ連、カナダ、日本の順で口頭発表が行なわれ、わが国は駒形主席代表が「日本における原子力利用の必要性とその開発計画」を報告した。
 9月1日から会議は一般セッションおよび技術セッションに分かれて開かれ、以後9月9日迄の間、原子動力を主要テーマとして、第2回会議以後の世界の原子力開発状況および将来の見通しにつき技術的、経済的な面から熱心な討議が続けられた。この間9月1日には向坊代表が技術セッション「ガス冷却黒鉛減速炉」の議長を、また9月8日には大山顧問が技術セッション「材料試験のための高中性子束炉」の副議長を務めた。こうして9月9日午後、一般セッション「原子力における国際協力」を最後として閉会式を行ない10日間にわたる会議の幕を閉じた。
 今回の会議の成果を要約すると、軽水炉の経済性を論じた米国報告等に若干の批判はあったにせよ、原子力発電が従来の発電と競合できつつあること、すなわち原子力発電が実用段階に達したと各国が認めたことである。また、先進各国は20年後の目標を高速増殖炉におき、その完成迄は高温ガス冷却炉、重水炉等の開発を高速増殖炉の研究と平行して行なう方針を明らかにしたことである。今回の会議のトピックスの一つは、海水脱塩が国際協力の一環としてとりあげられたことであって、原子力発電が後進国に直接寄与するものとして注目された。
 パレ・デ・ナシオンにおける会議と平行して、会議の内容をさらに補足するための科学展示会が、8月31日からパレ・デ・エキスポジシオンにおいて開催された。この展示会に参加した18カ国の名称および展示スタンド面積は次のとおりである。

米国       1,672m2
ソ連       1,000m2
英国        750m2
フランス      750m2
西ドイツ      600m2
ベルギー      400m2
オランダ      400m2
カナダ       360m2
スイス       300m2
インド       300m2
イタリア      250m2
スウェーデン    120m2
デンマーク     120m2
日本        100m2
南ア        100m2
オーストラリア    75m2
チェッコ       50m2
オーストリア     16m2

 8月30日午後4時から、完成した展示場において開場式が開催され、国連ウ・タント事務総長が展示場を来訪し各国スタンドを回った。これに対しわが国も駒形主席代表、向坊代表が挨拶し、日本スタンドを案内した。以後毎日午前8時30分から午後7時30分迄一般公開による顧客を含め多数の見学者が来訪し盛況のうちに9月10日終了した。
 わが国のスタンドは米国、ソ連、英国、西独、フランスに囲まれた会場中央に位置し、通路に面して一方をオープンとし、両側に各種説明パネルを12枚並べ、正面のバックパネルとして東海原子力センター鳥瞰カラー写真(2m×4m)を立て、スタンド中央のボックス両面には主要研究所の写真10枚をカラーコルトンとしてはめ込んで展示した。出品機器としては、原子力船模型(1/100)、東芝ガラス線量計等数点を展示した。
 船模型は、ソ連のレーニン号(全長約5m)、米国のサバンナ号、西独のオットー・ハーン号の模型とともに会場の注目を集めた。
 なお、駒形主席代表から各国参加者に対し、“Atomic Energy in Japan(原子力委員会編)”その他のパンフレットが配布され、わが国の原子力事情を広く外国に紹介した。