資料

昭和38年度原子力年報の総論


§1海外の動向

 昭和38年8月に、米国、英国およびソ連の間で、部分的核実験停止条約が締結され、さらに39年4月には米国およびソ連が軍用核物質の生産を削減する方針を同時に発表した。このような国際間の核装備競争の緩和の方向がはっきりと打ち出されたことは、世界の原子力平和利用への動きに好ましい影響を与えるものである。かくして、これまで国際間の核装備競争の下において、その使命を十分果すことができなかった国際原子力機関(IAEA)が、今後は設立の主目的である核物質供給機関としての任務を推進できる環境が整いつつあるといえる。

 最近における原子力発電の技術的進歩にともなって原子力発電の経済性の問題が一段とクローズアップしてきたことは見のがすことができない。この点は、最近の米国および英国の動きによく反映されているところである。

 米国のジャージーセントラル電力電灯会社は、同社がオイスタークリークに建設を予定している原子力発電所(約60万キロワット、沸騰水型)では、その発電コストが在来の原子力発電所に比し大幅に安くなると発表し、世界の注目を浴びた。一方、米国原子力委員会(AEC)の1965会計年度予算では、発電用原型炉開発のための新規予算が計上されず、また電力会社に対する原子力発電所建設のための援助資金の一部が削減された。これまでAECが原子力発電所の建設に保護政策をとってきたが、これに対して石炭鉱業界が反対の動きを示している。これらの動きは、原子力発電の経済性が石炭火力との競争力を強めてきたためとみることができる。他方、AECは、原子力産業を健全に発展させるには、特殊核物質の民有化をはかり、企業の自由競争の原則に立脚すべきであると考え、1963年、そのための法案を国会に提出した。

 英国では、1955年に500万キロワットの開発を目標とする第1次原子力発電計画がたてられたが、ウィルファ原子力発電所の建設契約が、1963年末に締結されたことによって一段落した。これにひきつづく原子力発電計画として、英国動力省は、1970〜1975年の6ヵ年間に500万キロワットの原子力発電所を建設する計画を示した「第2次原子力発電計画」を1964年4月に発表した。この中において、原子力発電の経済性の見通しについては、1970年代には、原子力発電のコストは在来火力より安くなると推定している。炉型式については、英国の現在の環境のもとでは、マグノックス型炉(コールダーホール改良型)の経済性は、英国が研究開発をすすめている高級ガス冷却炉(AGR)や米国の軽水炉等より劣るとして、これらの炉型式の採用を示唆している。

 原子力発電所の建設計画は、米国、英国のほか、フランス、カナダ、西ドイツ、インド等においても活発化している。

 こうした原子力発電所の建設の進展とともに、原子力をエネルギー供給源として利用する場合の本命と目されている高速増殖炉に関する研究開発について、各国とも一段と力を注ぐようになった。英国のドーンレイ高速増殖炉(1万5000キロワット)は、1959年に臨界に達したが、1963年には全出力で電力を生産することに成功した。また、1963年8月に臨界に達した米国のフエルミ高速増殖炉(6万1000キロワット)は現在出力上昇試験を実施中である。この2つの炉の建設、運転経験は、高速増殖炉の今後の発展に大いに貢献するものであるが、いずれも金属燃料が使用されている。ところで、将来の実用的な高速増殖炉にはセラミック系燃料の大型希しゃく炉心が適していると考えられるにいたり、世界的にみてもこの方向に研究開発が移りつつある。なお、高速増殖炉の開発のための国際協力が活発化し、欧州原子力共同体と米国が、共同開発10ヵ年計画を1964年に締結した。

 原子力船の開発については、各国でその建造の気運がたかまってきており、ソ連および米国について西ドイツとわが国が原子力船の建造に着手した。英国では1964年5月原子力船開発についての報告書を発表した。これによるとこれまで英国で開発してきた原子炉を搭載した実験船を早期に建造することを提唱している。また、米国のサバンナ号は、乗組員の労働問題から一時その運航計画に支障をきたしたが、新しく同船の運航者がきまり、1964年春から米国内およびヨーロッパ訪問の途につくことになった。

 放射線の利用については、各分野で活発に研究がすすめられているが、その中でも放射線照射による食糧保存の実用化研究が、米国および欧州において盛んになり一部実用化されてきたことおよびラジオアイソトープを用いた補助動力機器が、宇宙ロケットや海洋気象観測に利用されるようになってきたことが注目される。

 その他原子力の新しい利用分野として、米国では海水の真水化と発電の2重目的をもった原子炉の技術的経済的問題点について、現在検討されている。また、核爆発を土木工事や鉱物資源の開発利用等の平和目的に使用する計画の一環として、第2パナマ運河の掘さくに核爆発を利用することが技術的、経済的および法律的な観点から調査されている。

§2わが国の原子力開発の概況

 最近、海外諸国は原子力発電所の建設、原子力船の開発、放射線の利用等に積極的な意欲を示し、これにともなって国際協力も一段と活発な動きを示しつつある。

 このような世界の流れの中にあって、わが国は、先進諸国からの遅れを取りもどすため、外国技術の吸収と研究施設の整備に努めてきた。その結果、38年度には日本原子力研究所をはじめとする関係機関の施設の整備も一応終わり、初期段階において必要な開発体制がほぼ整い、新たな発展段階への転機にさしかかるにいたった。すなわち、今後はこれらの研究施設を利用して、実用炉の国産化の研究をすすめる一方、国産動力炉および将来の目標である高速増殖炉の研究開発など、わが国独自の技術を開発し、具体的な成果をあげるべき段階に移りつつある。

 このような観点から以下経緯を回顧しつつ事項別に述べることとする。

1.動力利用

 原子力発電 原子力発電所の建設の気運は、31、32年頃から盛り上り、32年12月に原子力委員会は「発電用原子炉開発のための長期計画」を発表し、50年度までに700万キロワットの原子力発電所を建設することを目標として、その方向を打ち出し、数年後には、原子力発電は在来の火力発電に十分対抗しうるようになるとの見通しをたてた。

 この見通しのもとに日本原子力発電株式会社が設立され、34年から英国のコールダーホール改良型炉を茨城県東海村に建設することになった。

 その後、35年頃から世界の石油の供給についての見通しが明るくなり、火力発電の技術的進歩も加わって原子力発電の経済性が火力発電に匹敵すると推定される時点が、さきに委員会が推定した時点よりもやや遅れることが明らかとなってきた。この間、世界的にも原子力発電所の建設はあまり行なわれず、わが国においても発電2号炉以降の計画はなかなか具体化しなかった。

 このような背景において、原子力委員会は、原子力発電の経済性の見通しとわが国のエネルギー事情からみた原子力発電の必要等から32年の計画を再検討し、さらに放射線利用等のより広い分野における開発研究の方針をも含めて、新たに「原子力開発利用長期計画」を36年2月に策定した。

 この計画によれば原子力発電による発電原価は、海外における開発動向なども考慮して、45年頃には重油専焼火力発電所の発電原価にほぼ匹敵するであろうとの見解のもとに、45年頃までの開発段階において合計約100万キロワットの規模の原子力発電所が建設されることを期待し、次の10年間を発展段階とみて、この間に合計600万キロワットないし850万キロワットの規模の原子力発電所が建設されることを想定している。

 この「長期計画」に先立って、34年から工事が開始された日本原子力発電(株)の出力16万6000キロワットの黒鉛減速ガス冷却型(コールダーホール改良型)発電所の建設工事は順調に進み、39年度末には完成の予定である。

 これに続く発電2号炉は、日本原子力発電(株)が建設する25万〜30万キロワットの軽水冷却型炉であるが、現在、福井県敦賀市に44年完成を目途として建設計画が進められている。発電3号炉以降については、東京、関西および中部の3電力会社が45年完成を目途として30万キロワット前後の原子力発電所の建設準備を着々とすすめている。

 これらが期待どおり進捗すれば、「長期計画」にいう開発段階における100万キロワットの規模はそれを上回って達成されることとなる

 しかし、日本原子力発電(株)1号炉は当初の予想よりかなりその発電原価が高くなる見通しであり、また、発電2号炉以降のものについても直ちに火力発電原価ときっこうし得るとは考えられない。同時に45年前後より各発電所から取り出される使用済燃料の処置もまた問題である。原子力委員会は、開発段階における原子力発電を推進するため、再処理工場の建設および使用済燃料中に含まれるプルトニウムの買上げなどについて具体的に検討を行なった。

 なお、通商産業省産業構造調査会総合エネルギー部会が、38年12月に、わが国における総合エネルギー政策の現状と将来の基本的あり方について提出した報告の中で、原子力発電がエネルギー源としてその位置を高く評価したこと、また、これを受けて同省産業合理化審議会原子力産業部会が39年2月に、原子力発電の現状を分析し開発促進のために当面講ずべき措置を提案したことは、時宜を得たものであった。

 使用済燃料の再処理 原子力発電所の建設が予定どおりすすむと、45年頃には5発電所が稼働することとなり、これら発電所から取り出される天然ウランまたは低濃縮ウランの使用済燃料は、45年頃には年間約100トン、50年頃には年間約200トンになると推定されている。

 原子力委員会は、これら使用済燃料を国内において再処理することとし、原子力発電の推進策の一つとして、1日当たり処理能力0.7トン規模の再処理工場を45年稼働を目途として、原子燃料公社に建設することの検討を重ねてきた。燃料公社は、38年度において建設すべき工場の予備設計について、英国の会社等に発注を行なった。一方、再処理等に関する基礎的研究が原研および燃料公社の共同体制のもとで37年度にひきつづいて行なわれている。

 原子力船 32年以降、運輸省船舶技術研究所、社団法人日本原子力船研究協会および民間企業等で原子力船開発のための予備的研究が進められてきた。37年に原子力委員会は、原子力船の建造に関して検討を重ねた結果、約6,000総トンの海洋観測および乗員訓練用の船を建造することを決定した。この計画を遂行するための主体として、官民共同出資の特殊法人日本原子力船開発事業団が38年8月発足した。

 事業団は、さきに原子力委員会が決定した「原子力第一船開発基本計画」にそって、38年度に基本設計、39年度に建造契約、43年度に竣工し、その後2年余りの間、実験航海を行なう予定である。

 事業団は、基本計画にもとづき38年度においては原子力船の主要目を決定し、原子炉の型式を「間接サイクル軽水型」と定めた。

 なお、従来、原子力船の研究開発に寄与してきた(社)日本原子力船研究協会は、事業団の発足にともない発展的に解散した。

2.研究開発

 研究炉 32年8月完成した原研のJRR−1をはじめとし、38年度末において合計8基の研究炉が稼働している。これらの研究炉による原子力の研究は、原研を中心として、大学および民間企業において活発にすすめられている。さらに2基の研究炉が建設中で、1基が計画中である。

 動力試験炉 36年1月から本格的な建設工事が開始された動力試験炉(JPDR)は、38年8月に臨界に達し、10月26日に試験的ではあるが、わが国ではじめて原子力による発電が行なわれた。このことは、わが国の原子力開発利用上画期的なできごとである。しかし、その直後建設請負者ジェネラルエレクトリックジャパン社は、JPDRに関する労働不安を理由として、突然運転停止を申し入れた。この結果、約3週間にわたって出力上昇試験は中止せざるを得ない事態となったが、その後、出力上昇試験も無事終了し、12月9日に原研に正式に引き渡された。

 国産動力炉 動力炉の開発については、海外技術の導入による国産化能力の培養と並行して、すでに蓄積された国内技術を基礎として、将来性のある国産動力炉開発のすすめ方の大綱を次のとおり決定した。すなわち、50年頃に実用化の見込みの高いものでありその炉型式は天然ウランまたは微濃縮ウランを使用する重水減速型とする。まず、38年度において冷却材にガス、水蒸気、軽水、有機材のいずれを採用すべきかの検討を行ない、開発すべき炉型およびその要目を決定する。

 開発の主体は、開発の初期段階においては原研を中心とし、民間企業等の参加協力を求め推進することとし、デモンストレーション炉建設の段階における開発については、今後の進展に則して決定する。

 原研は、この原子力委員会の決定にしたがい、38年6月、国産動力炉開発室を発足させて、重水減速炉の設計研究、概念設計作業およびその評価等の作業に着手した。また、同年12月には最適の冷却材を選定する際の資料とするために、出力30万キロワットの大型重水減速炉について5種類の冷却方式をそれぞれ採用した場合の概念設計を民間企業に分担発注した。

 なお、同年7月大学、民間企業等の参加を得て国産動力炉計画委員会を原研に設置し、炉型の検討を進めている。

 材料試験炉 核燃料、原子炉材料等の国産技術の確立と新型国産動力炉の開発に資するため材料試験炉が必要である。このため原子力委員会は、35年以来材料試験炉の設置について検討を重ねてきたが、38年8月熱出力5万キロワットの材料試験炉(JMTR)を43年度完成を目途として、原研大洗地区に建設することを決定した。これにもとづき、最終的に仕様書の検討が終わり、39年度にその建設契約が行なわれる予定である。

 プルトニウム燃料 原子力発電の開発にともなって生成されるプルトニウムから、さらに有効にエネルギーを取り出すことは、将来の原子力の動力利用としてきわめて大きな意義をもっている。この点に関し、従来、原研と燃料公社とが共同でプルトニウムの基礎的研究を推進してきた。一方、原子力委員会は、熱中性子炉および高速中性子炉の燃料としてプルトニウムを利用する計画の策定に資するため、38年4月プルトニウム専門部会を設置した。

 専門部会は、原子力発電の開発にともない生成するプルトニウムの核燃料としての利用に関する計画策定に必要な事項について、審議を重ねている。

 高速増殖炉 高速増殖炉の開発については、燃料、大型希しゃく炉心に関する炉物理、ナトリウム機器の大容量化に関する点等について問題がある。

 原子力委員会は、学識経験者からなる懇談会を39年2月以来しばしば開催して、これらの問題点を中心にして、研究開発の考え方を検討している。一方、原研においては、高速増殖炉の基礎的調査研究、設計研究等の検討を行なうとともに臨界実験装置の発注を行なった。

 ラジオアイソトープ ラジオアイソトープは、放射線源として、あるいはトレーサーとして、工業、医学農業等に多岐多様にわたって利用されている。

 このようなラジオアイソトープの利用促進の重要性にかんがみ、38年7月、原子力委員会は、ラジオアイソトープの製造と頒布、廃棄物処理、関係技術者の養成訓練および利用に関するコンサルタント等各種サービス業務を総合的に行なう機関として、39年度に「アイソトープセンター」を原研に設けることを決定した。

 一方、ラジオアイソトープの製造技術および利用の研究等が原研、国立試験研究機関等において行なわれている。

 放射線化学 放射線による高分子および低分子反応等に関する試験研究が37年度にひきつづき、国立試験研究機関等で行なわれている。さらに放射線化学の中間規模試験を実施するため、200万電子ボルト共振変圧器型加速器および10万キュリーのガンマ線照射装置等を設備した原研高崎研究所が39年3月開所した。

今後これらの装置を活用して高分子のグラフト重合反応、高圧重合反応等の研究が行なわれる予定である。

 核融合 主としてプラズマの密度や温度の測定法およびプラズマの不安定性等に関する基礎的な研究が名古屋大学プラズマ研究所、その他の大学、国立試験研究機関、原研、民間企業等において行なわれている。

3.国際協力

 わが国は、原子力の平和利用を推進して行くに当って、米国、英国等先進国との間に2国間協定を締結し原子炉、核燃料等の受入れ、情報の交換等を行なうとともに、世界の原子力の平和利用推進の中心である国際原子力機関(IAEA)にその設立当初から加盟し、同機関の行なう諸活動に積極的に協力している。わが国の原子力平和利用における国際協力の38年度の主要な動きは、次のとおりである。

 最近における世界の原子力平和利用の動きの中で国際原子力機関の活動が活発化してきたことに対応し、わが国は、38年度は、とくに同機関に対する協力を強化した。

 わが国は、日米原子力協定に対して国際原子力機関の保障措置を適用することとし、そのための協定が、38年9月、日本、米国および同機関との間に締結された。同機関の主要任務の1つである保障措置の実施を2国間協定の当事国が全面的に受け入れたのは、世界においても初めてのケースで特筆すべきできごとである。また、同機関は、38年2月従来の研究用原子炉を主要な対象とした保障措置制度を大型動力炉にも拡大して適用するため、保障措置規則の改正案を採択し、その後、保障措置制度の全般的再検討を開始したが、わが国は、保障措置実施がわが国の原子力利用の推進に及ぼす影響を十分に考慮しつつ、これらの決定や検討に積極的に参加している。

 また、わが国は、38年度にはじめて、国際原子力機関を通ずる技術援助の専門家をフィリピンおよびタイに派遣したほか、39年8月から東南アジア諸国の留学生を対象に同機関と協力してラジオアイソトープの地域訓練コースを東京で開催することを決定したなど、同機関を通ずる東南アジア諸国に対する国際協力を活発化している。

 2国間協定にもとづく国際協力は、37年度からはじまった日米研究協力において新しい方向を示し注目される。すなわち、日米研究協力は、わが国が一方的に原子炉、核燃料等を受け入れるという形ではなく、相互主義の原則にもとづき、日米両国がともに関心を有するテーマについて専門家会議、ニューズレターの交換等を行なうものである。そのテーマは、39年度には従来の「酸化物および炭化物系燃料」からさらに「原子炉の安全性」にまで拡大される予定である。日米研究協力は2国間協定にもとづく国際協力の一歩前進したあり方である。

 最近、わが国における原子力の研究開発の進展にともない、増大する研究用特殊核物質(燃料用以外のウラン235、ウラン233およびプルトニウム)の需要に応ずるため、日米協定に規定された研究用特殊核物質の供給限度わくが米国側との交渉の結果撤廃され、そのための改正議定書が、39年4月発効した。

4.放射線安全

原子力の平和利用の進展にともない原子炉の設置および核燃料物質、放射線発生装置、放射性同位元素等の利用はますます増大し、これにともなってその安全性が一層重要となる。これらの安全性については、核原料物質、核燃料物質及び原子炉の規制に関する法律、放射性同位元素等による放射線障害の防止に関する法律等にもとづいで慎重に審査、検査等が行なわれている。

 一方、原子炉施設の安全性に関する研究、放射線障害の防止に関する研究、放射能の対策研究等が原研、国立試験研究機関、民間企業等において行なわれている。産業界、学会の協力のもとに、原子力の安全性について調査研究の実施、関係諸機関との連絡、協調、技術の普及を目的とした財団法人原子力安全研究協会が39年6月設立された。

また、米国における原子炉安全審査の実態を調査して、わが国における原子炉の安全審査に資するため、原子力委員会は5名からなる原子炉安全審査調査団を編成して38年10月中旬、米国へ派遣した。

 なお、原子力委員会は、38年11月原子炉事故時の公衆の安全確保に関する3つの基本的目標を掲げた原子炉立地審査指針について原子炉安全基準専門部会から報告書の提出を受けたので、その報告書についてさらに検討を行ない、39年5月原子炉立地審査指針を決定した。

 さらに放射線審議会は、38年7月内閣総理大臣から放射性物質の大量放出事故に対する応急対策の放射線レベルについて諮問をうけ審議している。

 環境放射能を把握し、その対策に資するため37年度にひきつづき環境、食品、人体の放射能レベルの調査が国公立試験研究機関等において行なわれた。

5.研究開発の体制

 機構および予算 わが国の原子力開発の体制は、過去10年間にわたり順次整備され、各機関の内容も充実してきた。38年度においては、わが国原子力第1船の建造を行なうことを目的として、8月に日本原子力船開発事業団が設立された。

 また、茨城県東海地区には、各種の原子力関係施設が集中的に設置されつつあるので、この地区における放射線監視を充実し、原子炉施設等の安全対策を強化するため、科学技術庁の地方支分部局として水戸原子力事務所が38年10月に発足した。

 39年度原子力関係予算は総額においてはじめて100億円台となり、38年度に比し約14億円増の108億円余りとなった。

 原子力委員会専門部会等の動き 37年度にひきつづき原子炉安全専門審査会および8つの専門部会はそれぞれ活発な活動を行なってきたが、さらにプルトニウム専門部会が38年4月設置された。

 専門部会から提出された報告書は、「放射能調査の方針について」(放射能専門部会)、「原子炉立地審査指針について」(原子炉安全基準専門部会)および「国産動力炉開発計画について」(動力炉開発専門部会)がある。その詳細については関係章に述べてある。

 日本原子力研究所をめぐる問題 前述のとおり、動力試験炉(JPDR)の試験的発電直後における運転停止を契機として原研のあり方が問題となり、各方面において種々の立場から議論がなされ、原子力委員会においても原研の改善について検討するところがあった。

 他方、衆議院科学技術振興対策特別委員会においても、原子力政策全般について再検討を加えるため、原子力政策に関する小委員会を設置した。

 小委員会は、原子力委員会および原研に対して、原子力の日本における位置、あるべき原研の姿とその発展像、原研の改革の諸点等6項目についてその見解を求めた。原子力委員会および原研は、39年3月それぞれ報告書を小委員会に提出した。

 両報告書は、現状を、一応の施設整備を終わり研究開発の成果の獲得と活用へと移行する段階であると認識する点においては一致しているが、原研のあり方についての見解は必ずしも一致していない。原子力委員会は、原研がわが国原子力の研究開発の中枢的機関たる使命感に徹し、人心の刷新と士気の向上に努め経営組織とその機能の改善強化を行なうべきであるとするのに対し、原研は、わが国原子力開発体制における原研の役割を明確にし、運営上の自主性を確立し、計画に見合った人員、資金を確保することが必要であるとしている。

 小委員会はこれらの報告書および関係当事者の陳述をもとに原子力委員会の指導力と企画力の強化、原研における開発研究の重視、研究者、技術者に関する体制の確立、労務管理の整備等、8項目の見解にまとめ39年4月科学技術振興対策特別委員会に報告した。