原子力局

動力試験炉完成引渡し


10月26日発電12月9日引渡し


 日本原子力研究所東海研究所において建設中であった動力試験炉(JPDR電気出力12,500kW)は、昭和38年8月22日臨界に達し、その後、零出力での特性試験および出力上昇試験を引き続き行ない、10月26日午後5時には電気出力2,000kWに到達して、その発電試験は成功をみた。これは、わが国における初めての原子力発電であって、原子力の平和利用開発史上に画期的な意義を有するものと考えられる。
 しかしながら、10月29日にいたって労働不安を主な理由としてGEJ社からの運転中止の申し入れがあり、その結果約3週間にわたってJPDRの出力上昇試験は中止せざるを得ない事態となった。
 その間、争議行為の事前通告時間の問題等について労使間で争議行為の正常化をはかるための接衝が続けられたが、11月16日に至りJPDRに関する争議協定および放射線下労働の安全対策に関する協定に仮調印(11月28日正式成立)の運びとなり、11月20日からJPDRの運転は再開された。
 その後の出力上昇試験は順調に進捗して、最終試験である定格出力での100時間連続運転は、12月5日から開始された。途中労組のストライキのため一時運転を中止せざるを得ない事情もあったが、12月9日午後5時30分には最終試験を終了し、JPDRはGEJ社から日本原子力研究所に正式に引き渡された。
 かくして、GEJ社と日本原子力研究所の契約発効(昭和35年9月1日)と同時に開始されたJPDRの建設は、その後3年有余にわたる建設期間を経て完成引渡しをうけるにいたったのである。
 その後、原子炉を停止させて、燃料要素のガンマ線強度の測定が行なわれ、炉内出力分布を調べる試験が完了し、現在引き続き機器の補修と計装燃料およびスエージ燃料の押入作業が実施されており、その終了は1月末頃と予想される。
 さらに原研では、本年夏頃までに初期の特性測定を完了した上、1,000時間のデモンストレーンョン運転を2回行ない、JPDRが長時間に亘って安定して運転し得るものであることを実証する計画を有している。
 ちなみに、JPDRの契約から完成引渡しまでの経緯と今後の利用計画の概略は以下のとおりである。

1)契約成立までの経緯
 昭和32年末原子力委員会は、軽水型動力炉の将来性を考慮し、日本原子力研究所に1〜1.5万kW程度の濃縮ウラン軽水型動力試験炉を設置することを決定した。動力試験炉設置の目的は次のとおりである。すなわち

(1)動力炉の建設運転ならびに保守について実際の経験を得る。

(2)各種の実験および試験により動力炉の特性を理解する。

(3)燃料の性能試験、舶用炉への応用など各種の研究に役立てる。

(4)国産部品の特性試験、寿命試験を行ない、軽水型動力炉の国産化に貢献する。

その後日本原子力研究所においては、昭和33〜34年の間に調査団の派遣、各社からの見積入札の検討等を行なってGE社の自然循環沸騰水型(電気出力12,500kW、2.6%UO2約4,200kg)を採用することを決定し、その結果として、昭和35年9月1日にGEJ社との契約が発効するに至ったものである。

2)JPDRの契約
 JPDRの契約は、日本原子力研究所とGEJ社との間に結ばれたが、GEJ社の契約義務の履行の保証人として、インタナショナルゼネラルエレクトリック社(IGE社)がついており、また同社は米国内における業務を総括している。米国内の機器設計製作会社はGE社とEBASCO社であるが、EBASCO社は土木建築関係および原子炉を除く全般の設計と工事を担当し、GE社は原子炉関係機器の設計と燃料、制御機器等の製作を担当した。一方、国内ではGEJ社の下請業者として(株)日立製作所と日本原子力事業(株)が参画し、原子炉圧力容器をはじめとする機器の製作原子炉格納容器の建設等を行なった。発電所本館その他の建家工事はGEJ社との契約には含まれず、原研が直接工事を担当した。
 JPDRの契約はいわゆるターン・キー方式と呼ばれるもので、全体が完成しているから原研に引渡されることとなっており、その間の工程の調整をはじめとする総括責任はGEJ社がこれを負っていた。GEJ社との契約金額は約34億円であり、一方JPDRの建設費は次表に示すように約44億9千万円である。(但し燃料の地金代約3億5千万円はこれに含まれていない。)

JPDR建設費

3)建設の経過
 昭和35年9月1日に契約が発効した後先ず現場において建設敷地の整地工事が開始された。昭和36年2月には、建家や機器の設計についての検討会が米国で開かれ、3月末からは原子炉格納容器の基礎工事が開始された。5月には発電所本館等の建家工事も着手され、一方機器の製作も原子炉圧力容器をはじめとして、あいついで進められた。7月末には、格納容器の基礎工事を終え、8月からは格納容器の組立が開始されるなど、現場の建設工事を中心として、活ぱつに建設の歩みが進められた。
 昭和37年に入って、格納容器や建家工事の進捗とともに機器の製作も進み、現場への機器の搬入据付作業が進められた。7月には原子炉圧力容器の据付、格納容器の気密扉の取付作業、10月にはタービン発電機の据付が行なわれ、昭和37年末には主要機器の据付けを略完了した。昭和38年に入ってからは機器ならびに系統の運転前試験が逐次行なわれた。7月末には、燃料装荷の準備が殆んど完了し、8月中旬には通産省の燃料装入前検査を受ける運びとなった。同検査合格証の受領ならびに試験使用の認可を得て、8月22日には燃料装荷が開始され、同日12時41分炉は臨界に達した。
 JPDRの試運転は、この臨界操作からGEJ社との契約上の最終試験である100時間定格出力運転までの間を零出力試験と出力試験とに分けて実施された。

4)零出力試験および出力試験

1)零出力試験8月22日〜9月14日
 8月22日臨界操作とともに始められた零出力試験では、72本燃料要素集合体炉心の組立ておよびその間の臨界試験、燃料均一性試験、温度係数の測定、制徹棒の較正をはじめ零出力における各種核特性の測定などが行なわれた。

2)出力試験
 出力試験は次の5段階に分けて行なわれた。

(イ)加熱試験(10月11日〜18日)
 この試験期間には原子炉圧力容器の蓋をしめ、原子炉の温度および圧力を上昇させて、高温高圧下の制卸棒駆動装置の操作、スクラム試験、反応度温度係数の測定、機器の熱膨張測定、各部放射線レベルの測定、補機等の運転性能のチェック等が実施された。

(ロ)1/2出力までの出力上昇試験(10月20日〜11月23日)
 原子炉の出力を定格出力の約半分まで上昇させて、機器の性能や運転状況が調べられた。原子炉で発生した蒸気でタービンが起動され、10月26日、日本最初の原子力発電が行なわれた。

(ハ)90%出力までの出力上昇試験(11月25日〜27日)
 この期間には前段階で実施されたいろいろの試験結果および機器の運転状況をもとにして、さらに定格出力に近い高出力レベルで運転し、高出力レベル下での試験および運転性能のチェックなどを行なった。

(ニ)定格出力までの出力上昇試験(11月30日〜12月4日)
 この期間には前期間までに実施された試験を定格出力で実施した他、自動制御系の試験、原子炉給水ポンプの性能試験などを行ない、次の100時間連続運転を遂行するのに必要な試験や機器の運転状況のチェック等を実施した。

(ホ)定格出力連続100時間運転(12月5日〜9日)
 試験は労働組合のストライキのため2回中断されたが、その他は順調であった。12月9日本試験の終了と同時にJPDRは日本原子力研究所に引渡された。

5)JPDRを利用する研究開発
 JPDRの本来の使命を発揮をするのは今後の運転ならびに研究開発にある。JPDRの研究計画は、日本原子力研究所動力試験炉研究委員会で検討中であるが、その内容は(1)運転研究、(2)特殊測定および解析研究、(3)国産品の試験研究、(4)強制循環高出力密度化改良研究に区分される。

(1)運転研究動力炉の運転を高い信頼性のもとに安全かつ経済的に行なうため、運転保守ならびに運営上の問題点を、JPDRの実際の運転を通じて明らかにし、それらの解決に役立てることは重要な課題である。わが国最初の原子力発電所としての実際経験は、それ自体が大きなテーマであり、また、実際の運転を通じてPDRの設計、製作、建設、組み立ての妥当性を吟味することが、将来の改良を進める際に大いに役立つものと考えられる。

(2)特性測定および解析研究プラントの諸特性を測定し、統計的にこれを解析して、それらを設計値と比較検討して将来のプラントの設計、建設に役立てるなど、今後の開発研究の基礎とする。

(3)国産品の試験研究実用動力炉をわが国自身の力で建設し、開発していくためにはJPDRを国産品の照射試験研究および開発の場として利用することが必要である。高中性子束、高温高圧、あるいは沸騰水、蒸気中のふん囲において、現在使用されている燃料、構造材料などに関しての試験研究を基にしてさらに一歩具体化を進め、国産部品、国産燃料、国産構造材料の照射試験ならびに国産機械施設、部品の実用化研究開発の場として、JPDRを積極的に活用していくことが考えられている。

(4)強制循環高出力密度化改良研究現在のJPDRは自然循環型である。この型のプラントの経済性を向上するため強制循環型を採用して出力密度を上げることが考えられる。JPDRを利用してこの強制循環高出力化方式の課題ととり組むことは重要な一つの眼目とみなされる。