思いいずるまま

原子力委員会参与 三島 徳七

 貿易の自由化体制もいよいよ大詰めにきて、日本の工業も世界の技術と真正面からぶっつからざるを得なくなった。当分は関税の防波堤をつくって一息つけるかも知れぬが、いつまでもそのような状態でいられる筈はない。一日も早く良品を安価につくって国際貿易の競争にうちかち輸出の振興をはからねばならぬ。

 従来わが国で人件費の安いのがコスト競争に有利とされたが、最近の相つぐ賃上げで、今では日本の人件費も欧米諸国と大差がなくなり、結局は技術と設備の面で勝負せざるを得なくなって来た。

 わが国最近のめざましい産業発展と経済成長は、西独と共に世界注目の的であるが、それは設備をも含めて外国技術の導入によるところが極めて大きい。いわば他人の褌で相撲をとったようなものである。外国技術導入の効果が予想外に大きな効果をおさめたことから、わが国の企業家には、ややともすれば、完成された外国技術の導入に頼りすぎ、国産技術を積極的に企業化しようとする意欲に欠けてきた感がある。導入する技術は既に外国で企業化に成功しており安心して利用出来るのに反し、国産新技術の場合は、初めて企業化されるため果して成功するか否かという不安が大きい。その上新技術を企業化する開発研究は、基礎研究よりもはるかに多くの人材や資金と、なみなみならぬ苦心を要し、しかも常に失敗の危険を伴なっている。それ故、企業家としてはあえてこのようなリスクを侵してまで国産技術に固執するよりも、一層安全確実な外国技術の導入に走るのは止むをえないともいえる。

 しかし、このような傾向は決して好ましいものでなく、もしこのままに推移すれば、最近国内に芽ばえつつある新技術の若葉をつみとるのみか、ひいては有為な科学技術者の研究意欲をも阻害するおそれ大である。

 最近、産業界でも独自の技術を確立せねばならぬ状勢に気づき、研究所の新設あるいは拡充が盛んになってきたが、まだ掛声だけで実質的施策は序の口である。他方政府の施策を見るに、作文は立派だが実行は容易に進まぬ恨みが多い。特に日本にもっとも欠けている工業化研究施設についての対策は寥々たるものである。研究の成果を企業にまでもって行くには、工業化研究によるノウハウが最も大切で、これがなくては直ちに企業に踏切れない。

 わが国の研究者、技術者の中には世界的に優秀な人もあり、研究成果もしばしば優れたものが出現するが、多くは実験的規模で生みだされたもので、工業化に必要なノウハウ技術が欠けているため、大きな企業成果をあげるまでに長時間を要し、逆に外国で開発される例があるのは残念で、是非これを強化せねばならぬ。最近の技術革新の特長はスピードの非常に速いことで、いかに優れた研空成果でも、開発企業化のタイミソグが遅れては外国特許の後塵を拝するほかない。

 さて、わが国が原子力平和利用の調査研究をはじめたのは、昭和29年頃で、当時の日本には原子力工業に関する技術は皆無に近く、文献や情報の入手さえ容易でなかった。それが31年に原子力委員会が発足したのを契機として急速に拡大発展し、僅か数年の間に施設と研究面において、一応世界水準に近づきつつあることは画期的なことである。しかし、この画期的発展のあとを顧みれば、その大部分はいろいろな方法て先進諸外国からとり入れた技術を消化利用したもので、日本独自のものは極めて少ない。過去はそれでよいとしても、今後は徒らに先進国における新技術の開発完成を待つような他力本願は極力さけ、日本の国情にそくした自立的研究を基盤とする国産技術の育成と開発に最大の努力を注がねばならぬと痛感する。それには今一段と強力な国家的政策が必要であると共に、研究の進め方にも一層有効な処置を講ぜねばならぬ。

 私が科学技術庁と原子力委員会につながりを持ってから数年であるが、その間、担当の国務大臣は7回程かわられた。大臣の任期の余りにも短いのを遺憾に思う。いかにすぐれた人でもこんな短い任期では抱負を充分実現することは至難であり、殊に科学技術庁の如く新しく発足した場合においてなおさらで、先進国の例の如く副総理級の初代大臣が5年も骨を折って、やっと理想の政策を軌道に乗せえたのに比べると、日本の場合は余りにも無理だといわざるを得ない。この度、強力内閣が成立し、科学技術庁長官を担当された三木国務大臣は新任の言葉として「今後わが国が激しい国際競争に立ち遅れぬためには科学技術の振興こそが勝負だといえよう。この際各省庁のように行政的な事務にわざわいされることのない科学技術庁で、時間的な余裕をもって自由な立場で施策を考え進めて行きたい」と強い決心を示されている。私は三木大臣が従来の如く短期でおやめにならず、少なくとも3年位、長官の椅子におちついて、その抱負を立派に実現されるよう切望して止まない。