所感

原子力委員長  三 木 武 夫

 「国家百年の計」という言葉があるが、科学技術振興を必要とするわが国にとってこの言葉ぐらい適切にそのあり方をあらわしているものはない。ひとむかし前は、もっぱら軍備の強大を誇ることによって国威の発揚が行なわれていた。しかるに、今日四大国が原水爆を保有するにいたって、従来のごとき軍備による競争は意味をもたなくなり、いわゆる競争的共存の時代に入るに及んで、ある国の格付けは、人間の知恵と力の結晶である文化の高さによって決められねばならなくなってきている。

 これは、腕力の強い者が優者であるという原則から、えい知と勤勉により豊かな生活を営む者こそ優れた者であるというように世の中の考えが変わってきつつあるからである。科学技術はこのような文化を高める原動力として重要なものであることが次第に一般に認識されるようになった。

 ところで、科学技術は人間の創意と工夫にもとづいて開発されるものであるから、その根源はすべて人材にある。優秀な人材を育成し、思う存分その実力を発揮できるような環境を設けてはじめて芽ばえる人間社会の純然たる創作が科学技術であるといえるだろう。

 このように高度の人間のえい知は、長年月にわたる営々たる努力と、多勢の人々の協力によって具現されるもので、ここに国家百年の計として科学技術振興の重要性が叫ばれるゆえんがあると思う。

 わが国に西欧の近代文明が流入したのはそう遠い昔ではない。その後、追いつき、追い越せの勢で急速な成長をなしとげ、現在では自他ともに許す極東の工業国家としての地位を獲得した。この間、先進諸国の水準にできるだけ早く到達するため、多くの外国技術を導入し消化する加力が行なわれ、その消化能力において驚くべき実績を示してきた。しかしながら、外国の技術に依存することは、反面ようやくわが国の土から芽ばえつつある国産技術の若葉を摘みとってしまうおそれもあり得る。この点は、今後これまで以上に慎重に考慮されねばならないと考えている。

 研究という仕事は、ばく大な資金をつぎ込んでも、その資金に比例して利潤を生ずるとは必ずしも断言できないのが実情である。もしかすると、失敗して、何の利潤も生まないでおわってしまうかも知れない。この点から、研究費の少ないわが国の研究者が、失敗を恐れるあまり、思い切って斬新な研究へ踏切れないでいるとも考えられる。真の科学技術の振興は、研究者を勇気づけ、その能力を十分に発揮できるような理解と愛情を持つことにより推進されるものであると思う。

 とくに、原子力の平和利用は、その姿が総合科学技術の開発である点で、科学技術開発の頂点に立つものであるから、今後とも積極的にすすめてゆくことが必要である。原子力の平和利用が真の果実を国民にもたらすか否かは、これにたずさわるすべての人々の努力の如何によるものであり、またこの点に、平和利用のみに徹底するわが国の真の面目があると考える。