放射線障害の病理および予防管理方法の研究

フランスにおける留学報告


 本稿は昭和33年度原子力留学生として33年10月から34年8月までフランスのパリ大学およびサクレー原子力研究所において放射線障害防止に関する研究を行なった国立公衆衛生院労働衛生学部広川太刀雄氏の報告であって、編集上の都合から若干手を加えたものである。

各機関についての概略および研修事項

(1)パリ大学医学部医学物理教室(Laboratoire de Physique Medical, Faculte de Medecine de Paris)

 この教室は医学の領域におけるいわゆる物理的測定方法とそれを応用した医学的研究および物理的作因の人体に対する影響についての教育と研究を行なっており、放射線に関することもこの研究室が担当している。わたしは主任教授Dognon博士の指導により、サクレー原子力研究所、ラジウム研究所に行く準備として電離放射線の生物学的影響についての基礎知識の教育を受けた。 11月から12月にわたって当教室で行なっていた医師に対する放射線および放射性物質取扱の専門コースのアイソトープ実習に参加した。実習項目は測定機器の取扱、ラジオアイソトープの測定、ラッテ甲状腺によるヨードの固定の測定、 82Pを用いた家兎血量、赤血球量の測定等である。

 なおこの期間に原研、ラジウム研、労働衛生関係の研究所、工場を見学し、放射線衛生のバックになる労働衛生の現況について学んだ。

(2)ラジウム研究所(Institut du Radium)

 この研究所の生物学部門はパスツール研究室(Laboratoire Pasteur)で行なわれており、隣接のキュリー財団研究所(Fondation Curie)の研究室とともにLatarjet教授が指導し、放射線による変異とその回復、放射線細胞生理学、白血病等の研究が行なわれている。わたしはDuplan博士の研究室(細胞生理学)で行なった。この研究室ではおもに血液学の面からRadiobiologyないしRadiopathology の研究を進めており、 2月は人間および動物の放射線障害の病理組織等、ことに血液学的な面について学んだ。昨年10月のユーゴスラビアの原研で起こった原子炉暴走事件の犠牲者6名(キュリー病院で治療を行なった)の血液変化ならびに骨髄移植術実施後の血液像の推移、死亡者の組織変化は、貴重な例でもあり、興味深いものであった。

 6月から8月にいたる3ヵ月間は、 Radiobiologyの実験を行なった。これは純系マウスをX線で照射し、(致死量以上)、同株マウス、異株マウス、またはラットの骨髄細胞を移植して被照射動物の回復を調べる研究で、異株または異種の細胞によって惹起される抗原抗体反応、骨髄細胞のX線に対する反応といった基礎的問題が入り、現在欧米のRadiobiology の研究の主力はこの分野にそそがれており、さきに記したユーゴの被曝者に対して行なって成功した骨髄移植法の基礎は、この一連の研究によって提供されたものであり、またこの被爆者のうち100%致死量(600rem)から1,000rem の範囲内の量を受けた4名全員がこの骨髄移植法で救い得た事実から、原子炉作業者等のように事故の際に大量の照射を受ける可能性のある者に、この範囲内の量も正確に測定しうるフィルムバッジまたは線量計を携行させ事故の際の被曝量を正確に知って治療の方針をたてる必要性が認められ、 1,000remまでの量を受けた者も救いうる態勢をととのえる努力が払われるようになってきたのである。またさらに白血病患者にX線を照射して白血病細胞を破壊し、骨髄移植を行なうという治療法も現実に行なわれはじめた。

 この研究室において、以上の研修を行なうことにより、 Radiobiologyの現状といろいろの実験技術、実験動物の骨髄細胞の形態等を学び得たことは、非常に有益であった。

(3)サクレー原子力研究所

 研究生として原子力衛生および放射線病理学部(Service d'Hygiene Atomique et de Radiopathology)(S.H.A.R.P.)に籍を置いたが、この部はJammet博士のもとに、衛生管理の総括と放射線衛生学、放射線病理学の研究を行なっており、機構上は原子力庁直属で、便宜上サクレーの原研内に置かれた形をとっている。職員数は約40名で、衛生管理面では、医務部(Service Medical)および放射線管理・アイソトープ工学部(Service de Controle des Radiations et du Geuie Radioactif) (S.C.R.G.R.)との連けいの下に原研内の衛生管理を行なっており、個人被曝量デ-タの管理、健康状態に関するデータの管理および作業に伴う危険に対する安全にして衛生的な作業のしかたの勧告、衛生教育および現場の監視を行なっている。研究面では、電離放射線による障害ないし疾病についての研究(おもに血液学的)、これらの障害の追求ならびに診断方法の研究、許容量についての研究等を行なっている。 研修としては、まず3月に3週にわたって行なわれたW.H.0.、国立公衆衛生学校、国立核科学技術学校(サクレーに併置)が組織し、S.H.A.R.P.が行なった第3回"電離放射線防護のコース"に参加した。これは1956年度に第1回が開かれ、今回は第3回目にあたり、28名の受講生中半数はW.H.0.が派遣した欧州各国の放射線衛生担当者であった。

 コース終了後、S.H.A.R.P.で行なった研修は次のとおりである。

(a)放射線による骨髄造血細胞の障害を研究するための一方法として、骨髄造血細胞を組織培養し、放射線照射後その変化を追及する方法があるが、マウスを用いて培養技術の検討を行なった。
(b)尿中の天然ウラン、ウラン233、プルトニウム、ラジウム、トリウム、ストロンチウム90の定量法。これはかかる物質に曝露されている者の定期検査の一項目として日常行なわれている方法をならった。
(c)空気中放射性元素の許容量を計算する方法
(d)放射線による血液の変化

 以上のほか、 S.H.A.R.P.にて研修中に医務部、 S.C.R.G.R.において放射線衛生に関係のある業務を見学したが、すでに述べたものも含めて、原子力研究所の労働衛生管理の概略を次に述べる。

(1)研究室ないし作業現場の環境条件のうち、放射線に関するものはS.C.R.G.R.が測定管理し、それ以外の有害因子については、医務部が測定しており、労働衛生の立場からS.H.A.R.P.がこれに関与している。

(2)個人被曝線量の測定はフィルムバッジ(胸および手首用)を用いることを原則とし、これは全職員が携行しており、原子炉、 hot laboratory作業等比較的大量の照射を受けるおそれのある場合にはもちろんポケットチャンバーを用いる。フイルムは原研内のものに限らず、特殊例を除き、他の研究所、医療施設,工場等国内すべてのものをフォントニー・オー・ローズ原研において現像し、被曝線量記録は、 S.C.R.G.R.からS.H.A.R.Pおよび医務部に送られ、健康管理上の資料に供されている。照射量が1年5remの許容量から算出された2週間平均線量をこえた場合には、ただちに原因調査が行なわれ、原因が放射線によると考えられる場合には、ただちに医務部において精密な検査が行なわれている。1958年度原子力庁職員8,100名中年間線量5remをこえたのは2名である。(産業では2%)。

(3)放射線および放射性元素に曝露される者はもちろん、すべての有害作業に従事する者について、それぞれの有害作因による障害の発生を発見するためのいわゆる特殊身体検査を厳重に実施している。この検査は就業時および定められた間隔(曝露の度合に応じた)で定期的に行なわれている。有害作業の概念はフランスにおいては許容量ないし恕限度を考慮せず、作業上有害作因に曝露される場合には、曝露の量的問題は問わずに有害作業と考え、原研ではProtectionの状況、曝露時間の長さによって定期検査の間隔をかえている。防護の状態が悪く曝露時間も長い場合には有害作因のいかんによっては毎月1回の検査を行なうこともある。検査の項目も非常に多く、現状で考えられる範囲のものをほとんどすべて含んでおる。医務室では各人の作業条件と健康状態をよく把握しており、健康管理は良好な状態で行なわれている。なおフランスにおいては、医務室は工場においても特殊検診を含めた健康管理を主とし、診療は災害または急患を除き行なわない。

(4)人体の汚染事故の場合、室内および器具汚染の場合と同様にS.C.R.G R.の除染チームが現場において除染を行なうが、人体については応急処置のみで、ただちに医務室に送り、除染室で除染し、精密な身体検査を行ない、異常の発生を追及するシステムになっている。

(5)身体検査により異常が見い出された場合は、当該有害作因から離れるために、その作業を中止し、異常の度合に応じて検査をくりかえし、異常が確定すれば労災の対象となる。

(6)以上の人体に関するいっさいの検査の実施とその成績判定、人体除染は医師の責任になっている。

(7)各個人についてみると業務上の健康障害をきたす例はごく少数であり、また作業条件も良好で、被曝線量もごく一部を除き年間5rem以下、87%が年間0. 6rem以下の量しか受けていないにもかかわらず、正確な統計はできていないが、集団としてみた場合に就業後白血球減少の傾向を示しているらしいということであった。その原因は十分に分析されねばならないが、現在の許容量である年間5 rem以下でもなんらかのsomaticな影響はあるであろうという考えが多く、この問題の研究の重要性が放射線病理学の課題となっている。