英国ウインドスケール原子炉の事故について

 英国ウインドスケールにおけるプルトニウム生産炉の事故に関しては、本誌においてもさきに外務省からの通報を紹介したが(Vol.2No.11 43ページ参照)、その後さらにこの事故の詳細について在英西大使から外務大臣あて下記の報告がよせられ、国際協力局を通じて原子力局にも連絡があったので、各方面の御参考に供するべく御紹介する。

1. 事故発生当時の状況
 原子力公社スポークスマンからウインドスケールのプルトニウム生産第1号炉〔注1〕の事故について簡単な公式発表が行われたのは10月11日午後であったが、実際に第1号炉の煙突から大量の放射性物質が放出されたのは10日午後4時半ごろとされている。
 当時の発表によれば、事故は燃料棒ウランの定期取替のための炉を運転停止中に発生し、炉中心部の少なくも2箇所のチャネルにおいて燃料棒が赤熱状態にあることが発見され、同時に構内外周辺に配置したモニタリング装置が放射能水準の著しい上昇を示したので、一方において関係係員を非常召集〔注2〕して事故発生炉の温度引下げに努力するとともに、他方安全管理係および保健物理係員を動員して従業員および付近施設等のモニタリングを行わしめ、その結果、事故当時建物外にあった従業員約200名(コールダーホール「B」発電所建設従業員を含む)の即時帰宅静養が命ぜられた。 11日の状況では、当時の風向きから放出放射能は高さ415フィートの煙突から西南方海域へ流れ、したがってその潜在的被害地域としては、ウインドスケールから西海岸まで幅約2マイルの比較的狭い区域が特に警戒されていた模様である。 一方事故発生炉の温度引下げのためには、通常の冷却用空気の送入量を高める方法がとれないため(後述5.参照)、火災防止用として工場常駐の消防車を事故現場に回し、炉の上部から普通の水をホースによって注入〔注3〕、これにより約30時間後に至りようやく熱の引下げに成功したといわれる。

2. 牛乳汚染とその使用禁止
 事故発生と同時に保健物理関係者は、構内外さらに周辺地区にわたり移動モニタリング方式により土地、農場作物、水等の放射能を検査するとともに、牛乳については10日搾乳分からただちにその汚染状態の検査を行っていたところ牛乳以外については一部に許容水準の10分の1ないし15分の1に達したものもあったが、特に警告を発する必要を認めなかったのに反し、牛乳に関しては付近牧場から搾出したもののうち11日搾出分について著しい放射性ヨウ素(I131)による汚染が発見され、その放射能は最大許容水準〔注4〕の6倍にも達したといわれ、このためウインドスケールの海岸地帯幅2マイル、長さ7マイル、面積14平方マイルに含まれる牧場からの牛乳搬出が12日搾乳分から全面的に禁止されるに至った。
 このように牛乳中に放射性ヨウ素が事故発生後短時日のうちに発見されたことは関係者をやや驚かせた模様であるが、これは牧草をはむ乳牛の体内で、ヨウ素が牛乳内に短時間でコンデンスされるためと考えられている。 また、他の元素に比し、ヨウ素のみが多量に検出されるに至った原因は、ヨウ素の気化温度が比較的低く(113.6℃)事故当時の炉内の温度のために分裂生成物の一部であるヨウ素が気化し、煙突上部に設けられた炉過装置によっても阻止できなかったためであると説明されている。
 このような牛乳使用禁止地域(人口約7,000、農家数約100戸)の設定命令は原子力工場の事故の意味をあらためて一般に印象づけることとなったが、14日夜、さらにその禁止地域がウインドスケールを北端とし、カンバーランド州南部から北ランカシヤ州北部にまたがる200平方マイル(第2図参照、含まれる人口約8万、農家約500戸)にまで拡大されるにおよび、事故の影響の重大性が当初予想された以上なることに関係者を含め英国民全体が強い衝撃を受けるに至った。
 15日公社の発表したところによれば、モニタリング活動の拡大発展にともない、野菜、飲料水については許容量水準に達しないことを確認したが、200平方マイル地域の牛乳中のヨウ素については、当初地域(14平方マイル)の放射能水準より、かなり低いとはいえやはり許容水準よりも高く、その減退がまだ認められないため、特に幼児に対する影響を考慮して禁止措置をとったものという。 なお14平方マイル地域の牛乳日産量はおよそ1,500ガロン、200平方マイル地域の日産量は2万〜2万5,000ガロンといわれるが、これらは全部牛乳集荷機関(Milk Marketing Board)の手により集荷された上で、海へ廃棄されており、その対価はすべて原子力公社が補償することとなっている。(1954年原子力公社法第5条の規定による)
 牛乳その他家畜、農産物等の放射能検査はその後も連続的にウインドスケールおよびハーウェル研究所〔注5〕において実施されており、地域内農家は毎日2、3回係員の訪問を受け、場所によっては20回におよんだところもあるという。
 放射性ヨウ素の半減期は8.14日であるから、事故発生後2週間を経た今日では、すでにその放射能も峠を越え減退の方向へ向っているものと思われるが、10月26日現在まだ牛乳使用禁止の命令は解除されていない。


第1図



第2図


3. 事故原因調査委員会の任命とその活動
 公社は事故発生と同時に直接の監督責任者であるリズレー工業化本部長サー・レオナード・オウエン(Sir Leonard Owen、本年9月1日前任者サー・クリストファー・ヒントンが新設中央発電庁総裁に転出したあとを受け同本部長代理から昇格した)を現地に派遣し調査に当らしめたが、その後事故影響の重大性にかんがみ英政府は本問題を15日の閣議で討議の上、16日新たに公社核兵器開発担当理事サー・ウイリアム・ペニー(Sir William Penney)を委員長とする事故原因調査委員会を任命、ウインドスケール事故の根本原因を調査報告せしめることになったと発表した。 ただしウインドスケール炉がプルトニウム生産を目的とする軍用施設であり機密を必要とするとの理由で、この調査は非公開で実施するものとされ、約10日間程度で報告書をまとめる予定とされた。公社により任命された委員会のメンバーは次のとおりである。

 (委員長)サー・ウイリアム・ペニー
      (公社理事、オルダーマストン兵器研究所長)

 (委員)B.F.J.ショーンランド博士
     (Dr.B.F.J.Schonland、ハーウェル研究所長代理、気象物理)

 (〃) J.M.ケイ教授
     (Prof.J.M.Kay、ロンドン大学インペリアル・カレッジ教授、原子核工学担当、前ハーウェル所員)

 (〃) J.ダイアモンド教授
     (Prof.Jack Diamondマンチェスター大学教授、機械工学)

 上の各委員のうちペニー卿は、コッククロフト卿、ヒントン卿とともに英国原子力開発を今日あらしめた3本柱の1人で、年令は最も若いが(本年47歳)頭脳明晰にして、マクマホン法以来米国に締め出された原水爆研究開発にほとんど無の状態から出発し、ついに本年春クリスマス島で成功裡に水爆実験を完成せしめた当の責任者といわれる。 このペニー卿が委員長に任命されたのは、事故発生炉が核兵器用のプルトニウム生産を目的とするものであり、その面からの考慮も払われたものとみられる。
 ショーンランド博士は、1956年はじめてハーウェル原子力研究所所長代理に任命され、同所における経歴は短いが、かねて南アフリカにあって気象物理方面で世界的に名のある学者であり、調査委員会への任命は、コッククロフト所長に代ってハーウェル研究所を代表するとともに、その専門的知識を期待されたためではないかと考えられる。
 ケイ教授は1956年までハーウェル研究所にあり、原子炉の熱計算関係では英国の第一人者と目されている。 本年インペリアル・カレッジに原子炉工学講座が新設された機会に、同講座担当教授に招聘された人である。
 最後にダイアモンド教授は1940年代末に、英国がハーウェル研究所の実験炉BEPOを基礎としてウインドスケールにプルトニウム生産炉を建設した際、炉の冷却関係の設計についてこれに参加したことがあり、ケイ教授と同じく原子炉熱計算方面の専門家として知られている。 同教授が今回の委員に含まれたことは、事故発生炉の冷却系統に深く通じていることとともに、ケイ教授と同様の面でその専門的知識を高く買われたためであろう。
 以上のように事故原因調査委員会は2名の大学教授を含めてはいるけれども、その2名とも前歴において現在の公社と深い関係を有し、全く独自の立場から任命されたものでなかったことは、各方面から批判の的となっているが、これは軍事的秘密に関連するということがその理由とされているようである。(後述4.の(4)参照)
 事故原因調査委員会は17日からただちに現地において調査を開始し、まず現地の最高責任者H.G.デーヴィ(H.G.Davey、ウインドスケールおよびコールダーホール工場総支配人)とリズレー工美化本部R.ファーマー(R.Farmer、安全管理部長)から事情を聴取し、事故炉と比較検査を行うため第2号炉の運転をも停止せしめた。 一方事故炉については、放射線障害の危険を冒しつつ、至急装荷燃料棒の取出が行われることとなり、この作業には厳重な防護服に身を固めたプロセス係があたったが、40分交代という短時間作業のため要員が不足し、公社の濃縮ウラン製造工場であるケイプンハーストからさらに20名のプロセス係員を臨時応援せしめた模様である。 かくて事故発生の直接の原因とみられる中心部の燃料棒を全部取り出すまでには事故発生後約2週間を要したという。  他方調査の進展にともない、炉から放出された放射能の影響が当初の予想以上に広汎なこと、また事故発生当日415フィートの煙突から当然出るべからざる黒色に近い煙の排出がみられたことが報告されたこと等から、煙突上部に設けられた巨大な濾過装置の機能についても不審がもたれ、19日空軍の応援をえて、ウェストランド・ワールウインド型ヘリコプターを3回にわたり煙突上部まで飛ばせ検査を行った。  元来煙突には濾過装置取替え等に使用するエレベーターが設けてあるが、このようにヘリコプターを飛ばせたのは、あらかじめ濾過器付近の放射能を測定することを目的としたようである。 その結果、煙突上部の放射能水準は濾過器取外検査作業を可能とする程度であることが判明し、翌20日には公社の専門科学者2名がエレベーターにより煙突上部に登って検査を行い、さらに従業員20名が装置の取外作業にあたった。 委員会は23日のみその調査を休んだだけで引き続き現地での活動を行い、25日にはほとんど調査を終了した模様で、ペニー委員長の言によれば調査報告書は26日中または27日中に書き上げられ、28日には公社総裁エドゥイン・プラウデン卿の手もとへ提出される見込みという。ただし報告書の全内容がそのままただちに一般へ公表されるか否かは現在のところ明らかでない。

4. ウインドスケール事故の英国内における反響
 国内における事故発生の反響は、関係者と一般国民とで必ずしも一様ではないので、これを公社関係と被災地域住民(主として農民)と国民全般とに一応区分してみよう。

(1)公社関係
 英国が第2次大戦後ハーウェルに最初に原子力施設を建設してその研究に乗り出した1946年以来、この11年間に、いわゆる原子炉事故の発生をみたのは今回のウインドスケールがはじめてであったため、原子力研究開発の唯一の責任機関であり、内外からその権威を信頼されている原子力公社関係者としては、きわめて重大なショックであったことに疑いの余地はない。
 これまで天然ウラン炉の事故としては、カナダに2回、フランスに1回発生したことが知られているが、カナダの場合(1952年、1955年)はオーバー・リアクションが原因といわれ、フランスの場合(1956年10月)は燃料孔がブロックされたための過熱といわれている。
 しかし英国にあっては、これら両国とほぼ同一の期間に1度もかかる原子炉事故を起していないことが、その研究開発を担当する公社関係者の誇りとするところであっただけに、衝撃は大きかったと思われる。 もっともその打撃は汚れなき歴史を傷つけられた点に最も強く、公社の知識と技術に対する自信を揺がすものではなかったようである。 したがって事故発生当時は、その影響がウインドスケール周辺の比較的狭い地域に限られ、それも直接人畜に対する影響はありえないものと考えていたようで、放射線障害に関する知識に乏しい一般農民その他への心理的影響がかくのごとく重大であることについては、十分神経が行きとどいていなかったもののようであり、今回の事故は公社に対する一般の信頼感を過度に期待していたことを反省させる機会となったといえよう。
 次に公社関係者が今回の事故発生にともない最もおそれているのは、ウインドスケール炉と同様の事故が現在原子力発電10ヵ年計画により進行中の工業用発電炉においても発生するおそれがあるのではないかとの不安を国民一般に抱かせはしないかという点であろう。 このため公社からはウインドスケール炉といわゆるコールダホール炉との構造上および操作上の相違につきしばしば説明が行われており、コールダーホール型では万一炉心に事故が発生しても、ウインドスケールのように放射性物質が大気中に放出されることがないということを繰り返し確言している。 この点に関しすくなくとも英国内においてはいまのところコールダーホール型に対する不安感は全く見られないようであるが、この型炉の潜在的購入者である国々、特に日本における事故の反響について公社関係者ならびに民間原子力産業グループ関係者としてはかなり神経を使っている模様である。〔注6〕
 いずれにせよ公社にとって今回の事故は原子力開発担当機関としての重大な責任の意義を改めて認識させ、反省させるものであったことは事実であろう。

(2)被災地域住民関係
 事故発生の翌々日夜半に牛乳搬出禁止を命ぜられたウインドスケール周辺14平方マイルの地域の農民およびシースケール等隣接町村居住者は、当初それほど大きなショックを受けた模様はない。 現地通信は、健康診断の上帰宅静養を命ぜられたウインドスケール工場従業員、シースケール小学校職員等の声を報道しているが、これらはほぼいずれも事故の影響が直接人畜に及ばざるものと確信している点で軌を一にしている。 これはウインドスケール周辺の住民の場合にあっては、ウインドスケール炉運転開始以来すでに7年間もそのすぐひざもとにあってなんらの影響もこうむらずに今日に至っていること、また付近の増加した人口の大部分が公社関係者で、これらから日頃原子力に関して聞知することが多く、公社の機能と責任に対する信頼感が特に強いことによるものとみられる。
 しかしながら第1次牛乳使用禁止から2日後にさらに200平方マイルの広汎な地域が禁止地域に指定されるに及び、漸次農民および労働者の間に放射能障害に対する不安感が増大してきた模様である。  まず16日には、隣接コールダーホール「B」発電所建設に従事中の1,500名が労働者大会を開き、その日任命された公社の原因調査委員会とは別箇に独自の調査員をウインドスケール工場へ送り、はたして隣接地区で作業中の労働者に被害のおそれがなかったかどうかを調査する必要のあること、また作業場内外のモニタリングについても独自の検査を行う必要ありと決議し、デーヴィ所長へ申入れを行った。〔注7〕これに対し公社側はあらためて「B」発電所建設作業場になんら放射線障害の生ずる可能性のないことを確言し、希望者には汚染モニタリング・テストを行う旨答え、組合の調査員派遣についてはこれを拒否した。
 一方周辺地区鉱山の労働者はその代表をウインドスケールへ送り、デーヴィ所長に会見を申し入れ、周辺空気の汚染が、炭鉱換気系統へ侵入するおそれがあるのではないかと問合せたが、これに対しては、温度上昇により気化する放射性ヨウ素のような物質を除き、大量の放射性塵埃が周辺に放出されることは、煙突上部の濾過装置の機能からみてありえないとの説明を受け了承された模様である。
 これらに対し付近農家の主要産物である牛乳の販売禁止措置を受けた農民の不安は最も大きなものがあったようである。 すなわち、廃棄した牛乳代価は公社から支払を受けるとしても、禁止期間がいつまで続くか不明なこと、野菜、水源等の汚染のおそれの有無、さらに人体に障害がないとしても家畜(牛および羊)が障害を受けることはないか、またその面から家畜の買却が不可能ないし著しく値下りするのではないか等がその不安の主体をなすものであった。 特に農水産省の地方当局が、すべての牛、羊、豚を屠殺する際には、屠殺場において甲状腺を除去するものとすると通達したため牛乳使用禁止地域内の家畜の値下りが案ぜられた模様である。
 このような農民の不安を鎮めるため、農水産省および公社は22日ランカシヤ州ウルバーストンで開催された全国農民同盟(National Farmers’Union)ランカシヤ支部特別会議(300名出席)に係官を出席せしめ、地域内外モニタリング状況を詳細に説明して、牛乳以外なんら心配すべきものはなく、汚染されたとみなされる区域の放射能レベルは、70年間にわたり全く障害を受けることなく生活しうる水準(許容水準)の10分の1ないしそれ以下であることを示して農民の不安を一掃せしめるよう努めたほか、24日には、カンバーランドおよびウェストモーランド地方の農民300名以上をシースケール公会堂に招き、デーヴイ所長はじめ農水産省地方監督官等から同様の状況説明を行うとともに、特に家畜売買についてはなんら案ずべき要素がない旨を繰り返し説いた。
 以上のような関係者の努力によって、禁止地域内住民の不安も事故発生後2週間の間に漸次おさまる方向へ向っているように見受けられる。

(3)国民一般に対する影響
 上記地域外の英国民一般に対する影響としては、原子力開発利用にともなう放射線障害の可能性の絶対防止とその安全管理についてこれまで原子力公社の科学知識と能力に全幅の信頼をおいたので、ウインドスケール事故の放射能影響が200平方マイルもの広範囲に及んだことは確かに相当驚かされた模様であるが、今回の事故が現在建設中の原子力発電所等原子力施設一般に対する不安感をただちに惹起したとは見られない。 この点ウインドスケール型とコールダーホール型の構造上、操作上の相違は公社新聞等の広報活動によって、かなりよく了解されているものとみられる。
 ことに現在の英国にとり、原子力分野での世界的リードが、重要な希望の星となっていることからしても、ここで原子力計画をスローダウンさせるようなことは全く考えられないこととみているようである。 今回の事故により放出された放射能が予想以上に広範な地域の牛乳を汚染したこと、またその一部がロンドンにまで到達したことは〔注8〕確かに脅威であったが、しかし、牛乳の廃棄以外に実際上のdamage が現われていないことは、それ以上の不安を国民一般に生ぜしめなかった理由であろう。
 新聞紙上に現われた今回の事故に対する一般読者の投書はむしろ予想以上に少なく、マンチェスター・ガーディアン紙に2回掲載された程度であるが、これらもウインドスケールから3マイルのシースケール居住者によるものであり、かえって今春のクリスマス島水爆実験の際の読者投書が数においても内容においても深刻なものがあったことは、この間の国民一般の反応程度を推測する上に、一つの指標を与えるものであろう。

(4)新聞等言論機関による批判
 事故に対する報道機関等の批判は、根本的原因がまだ明らかでないこともあって、公社関係者自体に向けられたものはほとんどみられず、主として事故発生後行われた警告措置の適否ならびに事故原因の公表と、ふたたび事故を繰り返さないための保証の面に向けられているようである。
 第一の問題は、事故発生後公社のとった周辺地区への警告措置が適当でなかったため、当初14平方マイルの地域に限定されていた牛乳使用禁止を、わずか2日後に200平方マイルにまで拡大する等いたずらに周辺農民のみならず、国民一般にも不安感を抱かせるに至った点を指摘するものであり、第二の問題は、かかる原子炉事故が2度と発生しないことを公社が国民に保証し、その信頼をふたたびかちとるためには、公社部内のみによる原因調査では十分でなく、ぜひとも独自の広い立場からの調査委員会を設け、その手で原因を究明し結果を国民全体にしらせることが最も肝要であるとするものである。  マンチェスター・ガーディアン紙は「公社の行う事故原因調査報告は機密制限の許す範囲において最大限公表することが最も大切である。 なぜなら事故原因を広くしらせることが国民の不安を最もよく取り除きうると思われるからだ。 ウインドスケール工場が安全でないと考える理由は何もないし、現在4箇所において建設中の商業用原子力発電所が技術者の確言するように安全であるかどうかを疑うべきなんらの理由もない。 しかしとにかくウインドスケールがなにかの点でうまくいかなかったことは事実なのだ。 さる木曜の午後そこでいったい何が起ったかを国民が知りうるまでは、またかかる事故がいまでは完全に防ぎ止められるよう十分な措置がとられていることを保証されるまでは、人々は原子力発電所の周辺に安んじて生活しえないだろう。」(10月14日付社説)と論じ、またタイムス紙は「かねがねミルズ動力相および中央電力公社は、原子力発電所の危険性について、かかる心配は絶対にありえないことを説いてきたが、これらの言明への信頼感は、よかれあしかれ、ウインドスケール工場の事故と、それにともなう200平方マイルにわたる地域の牛乳搬出禁止とによってゆすぶられるにいたった。 ウインドスケール事故の原因となったとみられる冷却方式が電力公社の原子力発電所に適用されておらず、ちがった方法をとっていることはまぎれもない事実である。 しかし国民は、ウインドスケールばかりでなく、すべての原子力施設についてある程度再保証されることを求めるだろう。 公社に任命された原因調査委員会のなさねばならぬ問題の一つは、この再保証を与える点にある。ウインドスケールが軍事目的のためのプルトニウムを生産しているため、公開の聴問会を開くことを拒む理由は機密保持上の見地から明らかであるけれども、単に言葉の上で調子がよいだけではウインドスケール事故によってひき起された不安を鎮めるに足らないだろう。 それゆえ、機密に触れないかぎりの詳細についてはすべて公表さるべきであり、今回の事故が他の原子力発電所の場合について適合する点があるかどうかに関しても十分に明らかにされねばならない。」(10月16日付社説)、さらにエコノミスト誌は「先週木曜の午後、ウインドスケール原子炉の内部で何が起ったかは、機密のカーテンの蔭にかくされるであろうし、そうなるのが当然のことでもあろう。 なぜならウインドスケールは軍事工場であり、核兵器用のプルトニウム生産だけを目的とするものだからである。 しかし原子炉の外で起ったこと、すなわち高い放射能を有する核分裂生成物を逸出させ、遠くへだたった地方にまで及ばせたことは、また別問題である。 逸出させた量は決して多くなかったかもしれないが、それらは公社管轄区域外の住民および財産に影響をおよぼした。 したがって公社がみずからの手で行うことを考えているような部内的調査にまかすことなく、公社から独立した調査委員会にかけるのが妥当であるとの議論が成り立つ。 もちろん公社はみずからの調査を当然すすめるべきであろう。 しかしながら一般民衆の信頼は、必ずしも公開のもとに行われなくとも、国民に責任をもちうる、しかも最大限のそして最も慎重な証拠固めにより確かめらるべき独立した法的調査機関の手によってすすめられてこそ真に回復しうべきものなのである。 かかる何者にも煩わされない独自の立場からされる言明のみが、今回の非常事態が適切に処理されたこと、正しい予防手段がとられたこと、また立派な教訓がえられたことについて納得されるに足る保証を与えることができるのだ。」(10月19日号所載“Fall−Out at Windscale”)と主張している。 これら一般報道紙の批判に対し、原子力関係専門誌の論ずるところは、次のようで批判の主旨はほぼ同様ながら、そのニュアンスに若干の差異があるようである。  すなわちニューサイエンティスト誌は「ウインドスケールの原子炉は世界でも最も古いものの一つであり、最初に設計図がひかれた9年ないし10年前には、科学者たちも今日の知識に比すれば核分裂なるものについて知るところがきわめて少なかった。 今回の事故を徹底的に調査することによりその設計上の欠点は今後2度とふたたび繰り返されることはないだろう。 しかし原子力公社が事故発生後に犯したあやまちを今後繰り返さないとはたして断言できるだろうか。 国民の公社に対する信頼感は、ウインドスケールで発生した事故の重大性を公社ができるだけ小さくみせようとしたように見受けられること、さらに住民の健康を保護するための予防手段の実施がいかにも遅れたとみられることによって甚だしくそこなわれた。 逸出した分裂生成物の量はたいしたものではなかったかもしれない。 しかし逸出が起って2日もたってから警官が農家を訪れたことは、実際に起るおそれのある汚染の程度に気づくのが不幸にも遅かったのではないかとの疑いがもたれる。」(10月17日号“Windscale Fire”)、またニュークレア・エンジニアリング誌はその巻頭論文で「施行された予防手段の点からみて、公社が周辺住民の受くべき放射線量を許容水準以下にとどめようとしたことは明らかだ。 報告による牛乳中の放射性ヨウ素の含有量は最大許容水準の6倍に及んだということであるけれども、この程度の放射能を含む牛乳を実際に飲用したからといって、時間の要素を考慮に入れるならば決して成人の身体機能に障害を与えることになるとは思われない。 さらに幼児の場合についても、この牛乳の飲用が確実に害ありとは考えられないけれども、公社としてはそれが誇張されて受け取られるおそれがあるにせよ、予防手段とみられる措置はすべて実施すべきであると確信しているのだ。 こうした措置は公社の責任感にもとづいて行われねばならぬとする信用の面のほかに、公社としては放置しておいて将来生ずるかもしれない論外に大きな損害賠償要求に対しみずからを守る必要もあるだろう。
 ウインドスケール事故から学びとらねばならぬ教訓は、6年間の経験といえども、それがそのまま絶対確実とは断言できないということである。 調査委員会の結論が事故原因を明白に指摘しようとしまいとにかかわらず、今回の事故は、いかに多くの点が未知のまま残されており、またいかに容易に具合悪くなることがあるものであるかを示している。 『慎重の上にも慎重を』ということばは、常に原子炉建設運転上にあてはまるだろう。」(11月号所載“The Windscde Incident”)と論じている。

5. 事故の推定原因
 ウインドスケール炉事故の真の原因は調査委員会の発表をまたねば明らかでないが、ここでは一応これまで各方面で論ぜられている推定原因について述べる。その前にウインドスケール炉の構造を簡単に説明しておいた方が便利であろう。

(1)ウインドスケール炉の構造
 ウインドスケール炉はプルトニウム生産専用の軍用炉なるためその構造機能の詳細は発表されておらず、わずかに原子力公社経済担当官K.E.B.JAYのまとめた“Britain’s Atomic Factories,1954”に若干の説明が与えられているだけである。
 ウインドスケール炉の建設は1947年11月に着手され1950年7月に完成、1951年早々から実際の運転に入っているが、その構造概略を示せば第3図のとおりである。


第3図

 まず中心部には巨大な黒鉛ブロックが厚さ10フィート 幅100フィート 長さ200フィートのコンクリート・マットの上に積み上げられ、水平方向に多数の燃料孔があけられている。 各燃料孔には直径1インチ、長さ約1フィートのアルミニウム被覆を施した燃料棒がそれぞれ直列に何本かおさめられ、これらとは別に垂直方向および直角方向に炉の運転をコントロールする制御棒およびシャット・アウト・ロッドが黒鉛ブロックを貫通している。 この炉心全体は厚いコンクリート壁で遮蔽されており、一方隣接ブロワー室から送られる冷却用空気は導管をとおって、黒鉛ブロック前面へ導かれ、各燃料孔を通過して背面に出たのち、通風煙突から大気中に放出される。 煙突は大気中に微量に含まれるアルゴン等が、炉心通過時放射能を帯びることを考慮して415フィートの高さにつくられ、また大気中に夾雑する塵埃が放射能を帯びて排出されることを防ぐため、上部に巨大な濾過装置が設けてある。
 この濾過装置はハーウェル研究所の設計になるもので、同所長ジョン・コッククロフト卿の名をとって“John’s Hat”と愛称されているが、単に大気中夾雑物のみならず、かりにアルミニウム被覆の欠陥から微量の放射性物質が漏れるようなことがあった場合もこれを阻止する役目を有する。 また冷却用空気中の放射能増大に対処する設備としては、空気が炉心を通過し煙突に入る箇所で連続的に放射能を検出するようになっており、同時に冷却空気の放射能が高まった場合、炉心のどの領域が具合わるいか、さらに具体的にどの燃料孔に不都合があるかを操作員がただちに検出しうるよう三段構えの安全装置が施してあるという。

(2)事故発生直後の推定
 10月11日の最初の公社発表によれば、事故は炉の運転停止中に発生したとあることから、その原因としてまず考えられたのは、運転停止後の送風冷却〔注9〕を怠ったためではないか(12日付マンチェスター・ガーディアン)ということであったが、その後まもなく、何か特殊な実験を実施中であったためコントロールを失したのではなかろうか(17日付サイエンティスト誌、19日付エコノミスト誌)との観測が行われた。
 その後、上の実験が、黒鉛ブロックの膨脹を防止するためにときたま行われる“Wigner release”〔注10〕であるらしいことが漸次明らかにされるにおよび、送風機停止論は影をひそめた模様である。

(3)最近の推定
 事故発生時に“Wigner release”プロセスを実施中だったらしいことが、ほぼ明らかとなるに及び、このプロセスが、まだ十分詳細に理解されていない点もあることから、その際コントロールを失したのではないかとの見方が次第に強くなったが、なお、はたして“Wigner release”だけに原因があるのか、それとも他の原因と結び付いた複合的理由によるものかについては意見が分れており、ニューサイエンティスト誌は前者の見解を示し、黒鉛中に蓄積されたエネルギーが急激に解放されると、炉内温度の急上昇をひき起す可能性があると論じ、黒鉛減速型炉のように“Wigner release”を必要とするものについては、開放式大気冷却型をとることにあやまちがありうるとしている。 (ニューサイエンティスト10月24日号)
 他方後者の見解をとるものは、ウインドスケール炉のような低温炉(操作温度180℃といわれる)において“Wigner release”がメインテナンス上必要であることを十分認めつつも、これが特殊な実験そのものではないことを指摘し、上のプロセスと軍事目的のための特殊実験が結びついて原因となったのではないかと推定している。 (タイムズ紙10月21日付科学記者通信)
 さらにその後、マンチェスター・ガーディアン科学記者は、上の特殊実験が、実は重水素から三重水素を製造するためのものであったと指摘し、調査委員会の議論は、この点に集中されようと論じ大きな波紋を投げた。 (10月26日付マンチェスター・ガーディアン紙)
 三重水素は重水素と異なり、天然にはほとんど存在しないが、核融合反応を重水素よりも起しやすいことから、1954年のビキニ水爆には三重水素を使用したといわれる。 しかし三重水素を大量に製造するのは困難でありかつきわめて高価となるので、その後水爆材料としては比較的安い重水素とリチウムの混合物が使用されているようであるから、もしウインドスケール炉で事実三重水素の製造を行っていたとすれば、水爆材料としてよりもむしろ、ハーウェル研究所において本年運転開始された核融合実験炉(ZETA)用の原料を製造していたのではないかと推測される。

 前記マンチェスター・ガーディアン紙によれば、すでに数週間前からウインドスケール炉内に三重水素製造のための長いガスシリンダーが装入されており、その内部には高圧のもとに重水素が封入され、これが、中性子照射を受けて三重水素に変換するものとされていたという。 この場合炉内に装入するためには、重水素容器として中性子を吸収し易い鋼を使用するわけにいかないから、なんらかの特殊金属容器を用いたものと考えられる。 かかる容器の品質によっては炉内温度が300度以上に上昇した場合容器から重水素または三重水素が漏洩し、これが冷却用空気と混合して爆発を起し炉内の温度を局部的に高め、ひいては付近の燃料棒被覆を熔解させ、内部のウラン燃料を空気中に露出し、かくてウランの酸化と放射性物質の大量排出を生じたのではないか、というのが同誌科学記者の推定事故原因である。
 このようにウインドスケール炉において三重水素製造のための特殊実験が行われていたことが事実であったとしても、はたしてその実験装置が温度コントロールの微小な差異により爆発を生ずるおそれのあるようなものであったかどうか、また“Wignerrelease”操作上の狂いが先で、特殊実験の爆発がそれに付随して起ったものであるか、あるいはその反対であったかどうか等は、調査委員会の結論が公表されないかぎり判明しないが、いまのところ上記の推定は最も事実に近いものと見られ、もしこれが事実であれば、かかる特殊実験を全く予想しえない商業用原子力発電所の場合にはますます今回のウインドスケール事故のようなものがありえないとの結論を強めるものとなろう。



〔注1〕なお第1号炉はウインドスケール工場構内のほぼ最北端に位置し、隣接コールダーホール発電所からも遠い方にあたる。[戻る]

〔注2〕第1号炉事故処理のため当時運転中の第2号炉をも一時停止せしめ、その要員を第1号炉へ振り向けたといわれる。[戻る]

〔注3〕ホースによる注水の際 同炉の逆転係員1名はホースとともに燃料挿装入孔に手を一時的に入れたため両手ともかなりの放射線障害を受け、静養を命ぜられたという。[戻る]

〔注4〕最大許容水準(M.P.L.)とは成人が生涯を通じ連日当該量の放射線を受けても障害を生じないと考えられる最大値をいう。 放射性ヨウ素I131に対する最大許容水準は国際放射線防護委員会(InternationalCommission on Radiological Protection=I・C・R・P・)の勧告によれば 6×10-6/μc/cc とされているが、英国では1×10-6/μc/ccをその最大許容水準と定めている。[戻る]

〔注5〕モニタリングすべき各種の試料をウインドスケールのみならずハーウェルへ送って検査するのは、ウインドスケールの放射能バックレベルの上昇により同所における測定機器の正確度に影響があることを考慮しての措置である。[戻る]

〔注6〕たまたま事故発生当時、当館は公社と日英原子力一般協定交渉中であり、また原子力議員団のコールダーホール発電所およびバークレイ発電所建設地の視察等が事故の翌週に行われた等の事情もあり、公社関係者および民間グループ関係者が館員と接触する機械も特に多かったが、その際英側は、異口同音にウインドスケール事故の英国型炉購入を期待している日本側への悪影響を案ずるごとき内容の質問を行っていたことは、最もよくこの点な証明するものと思われる。[戻る]

〔注7〕この職場大会において一部から組合側の独自の調査が実施されるまで職場を放棄すべしとの動議が出されたが、3分の2の多数を獲得しえず、結局大金終了後ふたたび全員作業に復したといわれる。[戻る]

〔注8〕 ロンドン郊外ハローにあるコダック会社の工場では写真用フィルム製造上放射線の影響を防ぐ必要があるため、自主的に工場構内の大気放射能を連日検査しているが、ウインドスケール事故発生の2日後に、通常のレベルより著しく増加したことを報じている。 (ウインドスケールとロンドン間の直線距離約250マイル)〔注9〕本型炉では燃料棒取替のつど炉の運転を停止しなければならないが、運転停止後も炉心の核分裂生成物による強い放射能のため、いわゆる decay heat が残存し、これによる熱を除去する必要上、しばらくの間送風機を止めるわけにいかない。[戻る]

〔注9〕本型炉では燃料棒取替のつど炉の運転を停止しなければならないが、運転停止後も炉心の核分裂生成物による強い放射能のため、いわゆる decay heat が残存し、これによる熱を除去する必要上、しばらくの間送風機を止めるわけにいかない。[戻る]

〔注10〕“Wigner release ”とは、米国原子力委員会のDr.Wigner に由来する黒鉛炉に関連する特殊な複雑な問題である。 元来原子炉内でウラン235が核分裂した際に放出される中性子の速度は毎秒100万メートルというオーダーの高速中性子であるが、これを具合よく次のウラン235原子核にあて核分裂を起させるためには、中性子の速度を落した方がよい。 黒鉛はこの中性子の速度を毎秒20〜100メートルの範囲まで減速させる役目を果しているわけであるが、その際中性子の失ったエネルギーは、一部は熱となって放出されるが一部は黒鉛原子内部に貯えられ機械的ひずみを超す原因となっている。 ひずみを生じた黒鉛は性質がもろくなるので、これを防ぐための方法として研究されたのが適当な期間使用したのち、黒鉛の温度を400℃程度に上昇させ、貯えられたエネルギーを放出させるプロセスで、これを“Wigner release”と称している。[戻る]