ジュネーヴ会議の教訓

原子力委員会参与 田中 慎次郎

 昨年の夏にジュネーヴでひらかれた原子力平和利用国際会議の報告書が、国際連合から公刊された。全16巻がずらりとならんだのをみると、まさしく壮観であるし、内容的にも注目すべき論文がすくなからずふくまれていることと思われる。原子力平和利用に関連したあらゆる領域の問題が、16巻に分類されて収容されているから、いわば原子力平和利用の百科全書である。

 会議の運営が見事であったばかりでなく、全16巻の報告書が予定された通りに完成した。国連の数ある仕事のなかで、スタートからゴールまで、これほど立派にやりとげられたのは、おそらくこれが最初であろう。正直にいって、私は国連の存在を改めて見直したのであった。この会議は国際協力の一つの模範であった。もちろん、この国際協力は会議が厳密に政治問題を除外し、科学を対象として行われたことに、その成功の秘訣があった。科学上の自由な討議はあったが、政治的な決議や採決はいっさい行われなかった。

 政治問題を除外したことは、会議を成功にみちびくために確かに賢明な措置であった。原子力に関連のある国際政治問題の重要性については、いうまでもないが、それらをこの会議に持ちこんだならば会議は成功しなかったであろう。当時、一部の人はこの会議が政治問題を厳密に除外したことに不満であったが、それらの人々も、いまとなっては、この会議が成功であったことをみとめているだろう。

 第二次大戦後は、米ソのいわゆる冷たい戦争のために科学知識の国際的な自由な交換や討議がさまたげられていた。特に原子力の領域では、それが原子兵器の生産に結びついていたため、あたかも原子力には機密が当然につきまとうものだとみなされがちであった。このようなまちがった考えは、ジューネヴ会議の成功によって打破された。国際協力の新らしい道標が樹立された。そして、このような新らしい道標がうちたてられたことは、大きくみれば政治的にも重要な意義をもたらしたのであった。

 原子力平和利用国際会議は科学会議であり、そうであったからこそ成功したのであるが、ひとたび成功してみると、その成功には、新らしい国際協力関係を生みだすという大きな政治的成果がともなっていることがわかったのである。小乗的な政治意識を排除することによって、この会議はむしろ大乗的な政治効果をおさめ得たものといえるだろう。

 ジュネーヴ会議の議長バーバ博士は、その閉会演説で次のように述べた。“この科学会議は、広範な政治的効果を必らずやみちびき出すに相違ないのであるが、にもかかわらず、この会議は、ただ一つ重要な点で、他のあらゆる政治会議とその特質を異にしている。それはなにかといえば、ひとたび与えられた知識は、決して後退をゆるさないということである。この会議を組織することによって、世界の諸国民はあともどりできない一歩をふみ出した。ひとたびふみ出された一歩は、もはや後退をゆるさず、前進あるのみである。”この会議で確認された知識や樹立された国際協力の道標は、決してうちたおされることはないであろう。米ソの原子兵器競争は、世界的な世論に逆行して、とめどもなく進行している。水爆の実験も、大陸から大陸へ飛ばすことのできる長距離弾道兵器の完成するまでは続きそうである。他方、原子兵器の種類はますます多様化し、戦術兵器として普及し、ここ10年以内に、大国の軍備の様相は一変するであろう。これは原子力利用の暗い面である。しかし暗にまけてはならぬ。そのためには、光をかかげなければならない。原子力平和利用国際会議の成功は一つの光明であった。この光をいよいよ輝やかすことが、われわれ日本人の尊い任務でなければなるまい。