第2章 新長期計画策定の背景としての内外の原子力開発利用の現状
8.原子力科学技術の多様な展開と基礎的な研究の強化

(3)放射線利用の現状と研究開発

 放射線利用は,原子力発電と並ぶ原子力開発利用の重要な柱として位置付けられており,基礎研究,工業,農業,医療,環境保全等の幅広い分野への応用を通じて国民生活の向上に大きく貢献してきている。また,開発途上国等に対する技術協力テーマとしても重要性が高まっている。

①放射線利用に関する研究開発
 加速器はもともと原子力研究に不可欠な実験装置であったが,種々の放射線を人工的に作り出し,物質にイオン種又は高密度のエネルギーを制御良く注入できるといった特徴から,原子核研究だけでなく新たな放射線利用技術の開発等の分野で優れた成果を挙げている。
 これらの技術は,原子力のみならず科学技術全般,ひいては社会環境に対して革新的波及効果を及ぼすものとして大きな期待が寄せられており,従来の成果をもとに,イオンビーム及び放射光に関する研究など新しい研究分野のための加速器の開発が進められている。
 日本原子力研究所及び理化学研究所は,兵庫県播磨科学公園都市において,1997年の一部供用開始を目指し,世界最大(8ギガエレクトロンボルト)の大型放射光施設(SPring-8)の建設を推進している。
 本施設の高指向性・高輝度の放射光によって,物質・材料系科学技術,情報・電子系科学技術,ライフサイエンス等の広範な分野の研究・技術開発に飛躍的な発展をもたらすことが期待される。また,本施設は,放射光利用研究の中核的研究拠点(センター・オブ・エクセレンス)とすることを目標に,我が国の産学官の研究者はもとより,国外の研究者に広く開かれた施設として最大限活用されることが重要である。
 このため,第129回国会において「特定放射光施設の共用の促進に関する法律」を制定し,利用者本位の考え方を原則とした体制整備を行い,その共用の促進を図ることとした。

 放射線医学総合研究所では,重粒子線によるがん治療法の研究開発を進めている。重粒子線は,従来の放射線療法では治療が困難であったがんに対する治療効果が高く,かつ重粒子線のエネルギー分布をがん患部に合わせて調整することにより患部周辺の正常細胞の障害を最小限に抑えられるなど優れた性質を有している。このため同研究所では,この優れたがん治療法への期待にこたえるべく,1987年度より重粒子加速器を用いた重粒子線がん治療装置(HIMAC)の建設を進め,1994年に完成に至り,1994年6月より,患者への照射治療が開始され,現在頭けい部,肺,中枢神経のがんを対象として,臨床試行が進められている。今後は,同治療法の早期確立を目指し,対象とするがんを広げるとともに対象とする患者の数を増やしていく予定である。

 そのほか,日本原子力研究所では1994年度にタンデム加速器ブースターを完成させるなど従来の加速器では困難であった原子核反応機構の解明等の原子核物理等の基礎研究が進められている。

②放射性同位元素及び放射線発生装置の利用状況
 放射性同位元素等による放射線障害の防止に関する法律(放射線障害防止法)に基づく放射性同位元素(RI)又は放射線発生装置の使用事業所は着実に増加しており,1993年3月末現在,4,958事業所に達している。これを機関別に見ると,民間企業1,865,研究機関908,医療機関808,教育機関408,そのほかの機関969である。
 非密封RIの使用量としては,医療機関におけるテクネチウム99mが大部分を占めている。体内診断用(インビボ)放射性医薬品におけるガリウム67,テクネチウム99m,ヨウ素123,ヨウ素131及びタリウム201の使用量は増加傾向にある。体外診断用(インビトロ)放射性医薬品については,利用核種の大部分はヨウ素125であり,使用量は近年横ばいの傾向にある。
 また,密封RIの使用事業所数は4,335である。コバルト60はレベル計に,ニッケル63はガスクロマトグラフ装置に,クリプトン85は厚さ計に,ストロンチウム90はたばこ量目制御装置に,セシウム137はレベル計,密度計等に,イリジウム192は非破壊検査装置に,アメリシウム241は厚さ計,密度計等に主に使用されており,これらの核種を装備した機器の使用台数は漸増傾向にある。医療機関においては,コバルト60,ラジウム226等が密封小線源として利用されているほか,コバルト60及びセシウム137が遠隔照射治療装置の線源として,また,コバルト60等が放射線滅菌用の大線源として利用されている。
 放射線障害防止法に定める放射線発生装置は,1993年3月末現在,914台に達している。放射線発生装置の65%は医療機関に設置され,がん治療等に利用されている。また,35%が教育機関,研究機関,民間企業等に設置され,様々な研究開発に利用されている。
 なお,放射線障害防止法の規制対象とならない低エネルギー電子加速器,イオン注入装置等も民間企業等に多数設置され,幅広く利用されている。

③放射線利用技術の実用化等の状況

(i)医療分野
 医療分野において,放射線は診断,治療等で広く利用されている。
 診断の面では,放射線が生体を透過する性質が利用され,広く普及している胸・胃・骨等のX線撮影を始めとし,X線コンピュータ断層撮影(X線CT),ポジトロンCT等に利用されている。
 治療の面では,X線,γ線等の照射によるがん治療が実用化されている。また,現在粒子線を利用したがんの治療に関する研究も進められている。(「①放射線利用に関する研究開発」参照)

(ii)農業分野
 農業分野では,品種改良,害虫防除,食品照射といった分野において放射線が利用されている。
 植物の品種改良については,γ線照射を利用した品種改良により,耐倒伏性の強いイネ,黒斑病に強いナシ等,100種に及ぶ新品種が生まれている。

 害虫防除については,不妊虫放飼法*によるウリミバエ根絶防除を長年にわたり沖縄県及び奄美群島で実施してきたが,1993年10月に国内での根絶が確認された。この結果,ウリミバエの寄主となる果菜類等の移動規制が解除され,本土への出荷が自由となった。
 食品への放射線照射は,発芽防止,熟度遅延,殺菌,殺虫等により,食品の保存期間を延長するなどの目的で行われる。我が国では,1974年から北海道士幌町で馬鈴薯の発芽防止のための照射が行われている。また,世界では1993年11月現在,37か国(地域)で食品照射が法的に許可され,27か国(地域)で実用照射されている。


*不妊虫放飼法人工的に飼育した害虫の雄のさなぎに適量の放射線を照射すると,それから羽化した成虫は正常な雌成虫と交尾することはできるが,受精させることはできなくなる。このような雄の成虫を自然界の害虫集団に継続的に大量に放飼すると,雌が受精能力のある雄と交尾する機会が少なくなり,受精卵を産む割合が減っていくので,ついに害虫集団は絶滅する。これを不妊虫放飼法という。応用対象としては,ウリミバエのほか,IAEAがタンザニアで計画しているツエツエバエがある。

(iii)工業分野
 工業分野での放射線利用は,放射線の物質透過性を利用した計測・検査及び放射線と物質との相互作用による品質の改良に大別される。
 γ線,β線又は中性子線は厚さ,密度又は水分含有量の精密な測定等に広く利用されており,また,鉄鋼,航空機製造等における亀裂等の非破壊検査等にも利用されている。普及状況は,1993年3月末現在,厚さ計が418事業所で2,607台,レベル計が196事業所で1,468台,非破壊検査装置は167事業所で976台が,それぞれ保有されている。
 また,放射線と物質との相互作用の利用については,材料に放射線を照射し,耐熱性,強度,耐摩耗性等が向上する場合があり,材料の品質改良に役立てられている。
 γ線による医療用具の滅菌については,化学殺菌のような残留有害物がないこと等から,メス,縫合糸等100種類以上の医療用具を対象として実施されている。

(iv)環境保全分野
 排煙,廃水,汚泥の処理など環境保全分野においても放射線が利用されている。現在,電子線照射による燃焼排ガスの脱硫・脱硝技術の実用化や下水処理等から発生する汚泥の放射線処理による殺菌・促成堆肥化等に関する技術開発が進められており,社会に貢献できる原子力技術として注目されている。

(v)基礎研究分野
 ライフサイエンス分野では,DNA塩基配列の決定,蛋白質等の構造解明・合成,物質代謝,免疫応答等の研究において放射性同位元素(RI)が利用されている。また,植物に対する施肥効果,家畜の代謝の解析のための研究等にもRIが利用されている。今後は,マルチトレーサー*を用いた植物体内移行・分布の同時測定等への応用が期待される。
 一方,試料に含まれるRIの崩壊状況を測定することにより,その年代を知ることができるため,考古学の分野でも利用されている。

④先端的研究開発の状況

(i)RIの利用に関する研究開発
 医療分野において,RIを用いた診断・治療として,陽電子放出核種を利用するインビボ検査(脳,心,肺等の機能診断)について,PET*装置による代謝,血流分布等生理的データの定量的画像情報化による診断技術,短寿命RI標識化合物の製造技術等の研究開発が進められているほか,がん関連抗原を認識するモノクローナル抗体をRIで標識する免疫核医学的手法を用いたがんの診断・治療技術の研究が進められている。


*マルチトレーサー物質の中にRIを混合し,その放射線を測定器で追跡して,その物質の動向を調べることをトレーサー法と言い,これらに用いられるRIをトレーサー (追跡子)という。加速器を利用すると同時に複数のRIを生成し,溶液の中に取り出すことができる。これをマルチトレーサーという。マルチトレーサーを用いれば,多数の元素の挙動を同じ条件の下でトレーサーを同時に追跡することができる。
*ポジトロン・エミッション・コンピューテッド・トモグラフィーの略。エミッション・コンピューテッド・トモグラフィーのうち体内に投与する放射性医薬品として短寿命陽電子放出核種を使用するもの。

(ii)放射線ビーム発生・利用技術に関する研究開発

a)放射光の発生・利用技術
 高輝度で広範な波長の放射光は,材料分野,ライフサイエンス分野等の広範な基礎研究分野のための有力な研究手段であるとともに,原子力分野におけるこれまでの技術蓄積を活用し得るものであることから,大型放射光施設(SPring-8)の建設・整備を引き続き推進する。
 さらに,SPring-8利用の高度化に向けた,放射光のマイクロビーム化に関する研究開発等を進める。

b)イオンビームの発生・利用技術
 イオンビームについては,重イオン加速器を単独あるいは複数組み合わせて利用することにより,放射線による高度な材料開発,がんの重粒子線によるがん治療法の研究開発,原子核物理等の基礎研究が,日本原子力研究所,放射線医学総合研究所及び理化学研究所でそれぞれ進められている。

C)RIビームの発生・利用技術
 RIビームについては,高エネルギー化及び大強度化により,利用できる加速粒子の種類が飛躍的に拡大し,これまでに無かった核反応や新核種・元素の合成につながることから,物質及び材料,生物,基礎医学等の幅広い研究分野への利用が期待される。我が国では理化学研究所を中心として世界最先端の研究が進められており,例えば中性子ハロー,中性子スキンの存在がRIビームを利用した研究により発見された。

d)陽電子ビームの発生・利用技術
 陽電子ビームについては,それを利用した解析手法が,放射光等を用いるほかの手法と相補的な,あるいはほかの手法では困難な物質及びその構造の同定が行える手法として期待されている。

e)陽子ビーム,中性子ビーム等の発生・利用技術
 陽子ビームについては,高エネルギー陽子の核破砕反応を利用する放射性廃棄物の消滅処理技術,陽子加速器と核分裂炉を組み合わせた加速器に関する技術等,燃料サイクルの将来技術の開発において,その可能性が期待されている。また,大強度陽子ビームにより,強力なパルス中性子及びパイ中間子等の二次ビーム発生も期待されることから,大強度陽子加速器の整備を目指した研究開発を進めるとともに,がん治療等陽子加速器を利用する技術に関する研究を進める。
 また,理化学研究所が英国ラザフォードアップルトン研究所の大強度陽子加速器に付帯してミュオンビーム発生施設を建設しており,ミュオンによる物性解析等の基礎研究を進める。
 さらに,核融合炉材料研究のための大強度重陽子加速器によるエネルギー選択型中性子発生技術等の研究開発が行われている。

f)研究用原子炉を用いた中性子線利用研究開発
 研究用原子炉については,原子炉設計そのものに係る研究開発のほか,中性子源としての照射利用,中性子ビームを利用した研究開発等の広範な分野での利用が進められている。今後も軽水炉の高度化,高速増殖炉及び核融合炉開発等のための燃料及び材料の照射研究,微量物質の放射化分析,熱中性子等を利用した医療のための照射技術の開発,RIの製造等への利用を進める。
 また,高分子化学,ライフサイエンス,材料科学等一層広範な研究開発分野における,高性能の熱中性子及び冷中性子ビーム等の回折及び散乱現象等の利用を進める。中性子ラジオグラフィについても,これまで主に用いられてきた熱中性子に加え,高速中性子,冷中性子を用いた研究を進める。こうした先端的研究に対応するため,高性能新型研究用原子炉の技術的検討等の研究開発を進める。


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