第II部 各論
第10章 核不拡散

1.核不拡散に関する我が国をめぐる二国間の動向

(1)日米原子力協定
1970年代後半の米国の核不核散強化政策により,日米間で我が国の使用済燃料の再処理が懸案となり,1982年6月に至り,中川科学技術庁長官(当時)が訪米し,ブッシュ副大統領(当時),ヘイグ国務長官(当時),エドワーズエネルギー省長官(当時)等米国政府要人と会談し,日米双方は再処理問題について包括同意方式による解決を早期に図るためすぐにも話合いに入ることで意見の一致を見た。
 これを受けて,1982年8月以来累次にわたる交渉を経て,1987年11月,包括同意方式を導入した新協定が署名された。その後,我が国においては1988年5月25日,国会による承認手続が完了し,また,米国においても,1988年4月25日,所要の国内手続が完了したことから,1988年6月17日,東京において発効のための外交上の公文が交換され,同協定は翌7月17日発効した。この協定の主要点である包括同意方式とは,この協定の適用を受ける核物質等について,両国政府は,貯蔵,管轄外移転,再処理及び形状または内容の変更に関する合意の要件を,長期性,予見可能性及び信頼性のある基礎の上に満たす別個の取極(実施取極)を締結し,実施取極において,協定上規制の対象となる貯蔵,管轄外移転,再処理及び形状または内容の変更について,それらが両国において合意された施設において行われること等の一定の条件が満たされる場合には,個々に合意することなく,両国政府が合意することとするものである。
 同協定においては,当初,一定のガイドラインに従うプルトニウムの航空輸送について,米国の包括同意が得られたが,海上輸送についても包括同意方式とし,これを安定的に行う可能性を検討していくことが有意義であるとの,日米間の意見の一致を見,交渉を進めた結果,1988年10月,日米原子力協定に基づく実施取極の附属書の一部修正が行われ,一定のガイドラインに従う海上輸送についても包括同意の対象となることとなった。1992年11月から1993年1月にかけて行われたフランスから我が国へのプルトニウム海上輸送は,このガイドラインに基づいて実施された最初のものである(72ページ参照)。

(2)日仏原子力協力協定改正について
 1972年2月26日の日仏原子力協力協定締結以降の日仏それぞれの核不拡散上の対応の進展,すなわち我が国のNPT加盟(1976年),国際原子力機関(IAEA)との間の保障措置協定の締結,仏側における仏ユーラトムIAEA保障措置協定(1977年)の締結,さらに,1974年のインドの核実験を契機とした各国の核不拡散政策の強化,あるいは原子力資材等の移転に関する供給国グループの指針である「原子力資材等の移転に関する原子力供給国グループのガイドライン(ロンドン・ガイドライン)」の作成(1978年)等の国際的な動きを背景として,日仏間の原子力平和的利用協力関係の実態を踏まえ,1987年4月,協定改正交渉を開始することになった。この交渉は,1988年7月以降6回にわたって行われ,1990年4月9日に改正議定書に署名,同議定書は同年6月26日国会で承認を得て,同年7月19日に発効した。
 改正の主な内容は,単なる「平和的利用」の「平和的非爆発目的利用」への変更,機微な技術(再処理,濃縮及び重水生産の技術)に関する規定の導入,及び核物質防護に関する規定の導入等である。
 この改正により,日仏間の原子力平和的利用協力のための新しい法的枠組みが提供され,原子力分野におけるフランスとの長期的に安定した協力が確保されることとなった。


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