第I部 総論
第2章 エネルギー情勢等と内外の原子力開発利用の状況

4.放射線利用の状況

 放射線利用は,原子力発電と並ぶ原子力開発利用の重要な柱として位置付けられているが,近年,加速器施設等の先端的研究施設が整備されつつあり,これらを活用した研究開発推進のための体制整備が求められている。また,生活者の立場を重視した科学技術の活用が要請されており,この観点からの放射線利用の貢献も大いに期待されている。このような状況を踏まえ,原子力委員会放射線利用専門部会は,今後の推進方策について検討を進め,1993年6月に「放射線利用の新たな展開について」(専門部会報告)を取りまとめた。

(1)放射性同位元素及び放射線発生装置の利用状況
 放射性同位元素(RI)又は放射線発生装置の使用事業所は着実に増加しており,1993年3月末現在,4,958事業所に達し,また,放射線障害防止の技術的基準に関する法律に定める放射線発生装置は,1993年3月末現在,914台に達しており,医療,農業,工業及び研究開発等に幅広く利用されている。

(2)放射線利用技術の実用化等の状況

①医療分野
 医療分野において,放射線は診断及び治療等で利用されている。また,医薬品の体内徐放化*13や医用材料の合成・加工にも放射線が使われている。
 診断の面では,放射線が生体を透過する性質が利用され,胸,胃及び骨のX線撮影を始めとし,X線コンピュータ断層撮影等に利用されている。また,放射性医薬品の体内投与とエミッション・コンピューテッド・トモグラフィ*14を利用した臓器の機能等の画像化による診断も行われている。
 治療の面では,X線,γ線等の照射によるがん治療が実用化されており,我が国の放射線治療を受けたがん患者数は,年間約9万人(全がん患者数の約3割に相当)と見込まれている。また,現在重粒子線を利用したがんの治療に関する研究も進められており,放射線医学総合研究所において,照射治療に関して優れた性質をもつ重粒子線による治療法の研究及び重粒子線がん治療装置(HIMAC)の建設が進められ,1993年度中に重粒子線がん治療の臨床試行を開始する予定である。

②農業分野
 農業分野では,品種改良,害虫防除及び食品照射といった分野において放射線が利用されている。
 植物の品種改良については,γ線照射の利用により,耐倒伏性の強いイネ,黒斑病に強いナシなど100種に及ぶ新品種が生まれている。
 害虫防除については,不妊虫放飼法*15によるウリミバエ根絶防除を沖縄,鹿児島両県で実施しており,沖縄県久米島,宮古群島等に続き,奄美諸島全域,沖縄本島及び周辺諸島で根絶を達成した結果,果実類の移動規制が解除され,他地域市場への出荷が自由となった。残る八重山群島でも,1993年10月に,ウリミバエが根絶された。


*13低温下での放射線重合により,ホルモン,抗体などの薬物を適当な材料と混ぜ合わせてカプセルを作り,薬物を長時間,徐々に溶出させる(徐放化)ことができる。この方法は,薬物の溶出時間や量を調節,制御することにより,薬効の持続性を高める特徴を持っている。
*14被験者の体内の放射性医薬品からの放射線を測定し,コンピュータにより画像処理して体内の断層像を得る方法。
*15人工的に飼育したウリミバエの雄に放射線を当て,その雄を野外に放すとその雄と交尾した野生の雌は幼虫になれない卵を産む。これを繰り返すことにより,卵から孵化する幼虫の数を激減させる方法。

 食品への放射線照射は,発芽防止,熟度遅延,殺菌及び殺虫等により,食品の保存期間を延長するなどの目的で行われる。我が国では,1967年に原子力委員会が定めた「食品照射研究開発基本計画」に基づき,馬鈴薯,玉ねぎ等7品目の安全性,照射効果等の研究開発を実施し,研究成果が取りまとめられている。我が国で実用化されているのは馬鈴薯であり,1974年から北海道士幌町で発芽防止のための照射が行われている。また,世界では1991年10月現在,37か国で馬鈴薯,玉ねぎ,香辛料など合計約60品目について食品照射が法的に許可されている。

③工業分野
 工業分野での放射線利用には,放射線の物質透過を利用した計測・検査,放射線と物質との相互作用による品質の改良及び医療器具の滅菌といった分野がある。
 γ線,β線又は中性子線は厚さ,密度又は水分含有量の精密な測定等に広く利用されており,また,鉄鋼,航空機部材等における亀裂の非破壊検査等にも放射線は利用されている。
 また,材料に放射線を照射し,放射線と物質との相互作用により,耐熱性,強度,耐摩耗性等の向上等,材料の品質改良に役立てられている。例えば,電線の被覆材では,放射線照射により耐熱性が向上し,これらの電線はテレビ,ラジオ,自動車等に使用されている。この他,自動車のタイヤの成型時の型崩れ防止,発泡ポリオレフィンの製造中の制御,半導体へのイオン注入等,広範に役立っている。
 さらに,医療用具の滅菌については,化学殺菌のような残留有害物がないこと等からγ線による滅菌がメス,縫合糸等100種類以上の医療用具を対象として実施されている。近年,電子線照射も行われ始め,手術用ガウン等の不織布,プラスチック製縫合糸,採血針等が滅菌されている。

④環境保全等の分野
 放射線利用技術は,排煙,廃水及び汚泥の処理など環境保全面でも社会に貢献できる原子力技術として注目されている。
 日本原子力研究所等では,電子線照射による燃焼排ガスの脱硫・脱硝技術の実用化を目指し,石炭火力発電所,都市ごみ焼却施設等からの排ガスを電子線処理するパイロット試験を実施しているほか,下水処理等から発生する汚泥の放射線処理による殺菌・処理等に関する技術開発が進められている。
 東京都立アイソトープ総合研究所では,γ線又は電子線による下水の脱色・殺菌等の研究が行われている。

⑤研究分野
 ライフサイエンス分野では,DNA塩基配列,蛋白質の構造解明等の研究に活用されている。また,植物に対する施肥効果及び家畜の代謝機能の解析のための研究にもRIが利用されている。今後は,マルチトレーサー*16を用いた植物体内移行・分布の同時測定等への応用が期待される。


*16 物質の中にRIを混合し,その放射線を測定器で追跡して,その物質の動向を調べることをトレーサー法と言い,これに用いられるRIをトレーサー(追跡子)という。
加速器を利用すると同時に複数のRIを生成し,溶液の中に取出すことができる。これをマルチトレーサーという。マルチトレーサーを用いれば,多数の元素の挙動を同じ条件の下でトレーサーを同時に追跡することができる。

 一方,試料に含まれるRIの崩壊状況を測定することにより年代を知ることができるため,放射線は考古学分野にも利用されている。

(3)先端的研究開発の状況

①放射性同位元素(RI)の利用に関する研究開発
 RIを用いたより高度な医療利用として,陽電子放出核種を利用する脳,心臓及び肺等の機能的診断について,PET*17装置による代謝・血流分布等生理的データの定量的画像情報化技術,短寿命RI標識化合物の製造技術等の研究開発が進められているほか,がん関連抗原を認識するモノクローナル抗体をRIで標識する免疫核医学的手法を用いたがんの診断・治療技術の研究が進められている。

②放射線ビーム発生・利用技術に関する研究開発
(放射光の発生・利用技術)
 高輝度・短波長のシンクロトロン放射光は,物質・材料系科学技術,ライフサイエンス,情報・電子系科学技術等の広範な基礎研究分野のための有力な研究手段であり,現在,日本原子力研究所及び理化学研究所が大型放射光施設(SPring-8)の建設を進めている(詳しくは6.に記述)。これを利用して分子レベルの時間的変化の動的解析,極限環境下での物質の構造及び物性の解明,X線ホログラフィによる原子・分子の立体配列の直接観察等が進められる。
(イオンビームの発生・利用技術)
 日本原子力研究所において,イオンビームを用いた耐放射線性極限


*17 ポジトロン・エミッション・コンピューテッド・トモグラフイーの略。エミッション・コンピューテッド・トモグラフィーのうち,体内に投与する放射性医薬品として短寿命陽電子放出核種を使用するもの。

 材料,新機能材料の研究等の放射線高度利用研究が開始された。また,バイオ技術の研究として,イオンビーム照射を利用した突然変異育種技術及び局部照射による細胞加工技術の開発も期待される。
 基礎研究分野では,理化学研究所において重イオン加速器を用いた原子核物理等の研究が行われており,超重元素の発見等が期待されている。
(RIビームの発生・利用技術)
 近年,高エネルギー重イオンビームによる入射核破砕反応で生成する高速不安定核ビームを用いた研究が注目されるなど,RIビームの利用により加速粒子の種類が飛躍的に拡大し,これまでになかった核反応や新核種及び新元素の合成が可能になるため,物質・材料研究,生物研究,基礎医学の研究等の幅広い研究分野への利用が期待されている。
(陽電子ビームの発生・利用技術)
 陽電子の利用は,高密度化する半導体素子の微小・微量の欠陥の評価等に不可欠な分析手段として,電子技術総合研究所等で研究開発が進められている。さらに,陽電子が消滅等の特異性を持った素粒子であり,かつ消滅γ線の与える情報量も豊富であることから,原子・分子物理学の基礎理論の新展開,宇宙進化の研究,DNA損傷による突然変異機構の解明の分野でもその利用が期待されている。
(陽子ビーム,中性子ビーム等の発生・利用技術)
 理化学研究所が英国ラザフォードアップルトン研究所の大強度陽子加速器に付帯してミュオンビーム発生施設を建設しており,これによる物性解析等の基礎研究の進展が期待されている。
 核融合材料研究のための大強度重陽子加速器によるエネルギー選択型中性子発生技術,長寿命放射性核種の消滅処理のための大強度陽子加速器技術等の研究開発が行われている。
 また,研究炉からの中性子ビームの利用については,これまでの研究に加え,高性能の冷中性子ビームの供給が可能になったことにより,研究分野が飛躍的に拡大され,一層広範な研究開発が期待される。


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