第9章 核不拡散
1.核不拡散に関する我が国をめぐる二国間の動向

(1)日仏原子力協力協定改正について
 1972年2月26日の日仏原子力協力協定署名以降,我が国は原子力の平和的利用を担保するための基本的な国際的枠組みである核不拡散条約に加盟し,国際原子力機関(IAEA)との間で保障措置協定を締結した。また,仏側に於いても,仏ユーラトムIAEA保障措置協定が締結され,原子力の平和的利用が一層確保されることとなった。
 また,国際的に見ても,1974年のインドの核実験(「平和的核爆発と主張)を契機に,各国の核不拡散政策が強化され,さらに,米,ソ,英,仏,旧西独,加,日本の7か国がロンドンで協議を行い,原子力資材等の移転に関する供給国グループの指針である「原子力資材等の移転に関する原子力供給国グループのガイドライン(ロンドン・ガイドライン)」が作成された。
 このような新たな国際的な動きを現行協定に取り込むことの必要性が認識されていたこと,また,同協定が日仏間の原子力平和的利用協力関係の実態にも沿わないものとなっていたことを踏まえ,1987年4月,日仏間で協議の結果,協定改正交渉の開始につき意見の一致をみた。これを受けて,1988年7月以降6回にわたる交渉を行い,1990年1月実質合意に到達し,4月9日本協定の改正議定書に署名,同議定書は6月26日国会で承認を得て,7月19日に発効した。
 改正の主な内容は単なる「平和的利用」の「平和的非爆発目的利用」への変更,機微な技術(再処理,濃縮及び重水生産の技術)に関する規定の導入,及び核物質防護に関する規定の導入である。
 本改正は,日仏間の原子力平和的利用協力のための新しい法的枠組を提供することにより,我が国にとり必要不可欠な長期的に安定したフランスとの協力を確保するものである。また,今後の我が国の原子力平和的利用の一層の促進及び核拡散防止への我が国の貢献に寄与するものである。

(2)新日米原子力協定
 日米間の再処理問題について恒久的な解決を図ることを目標として,1981年10月,ワシントンにおいて,日米両国は米国産核燃料の再処理に関する長期的取決めを1984年12月末までに作成する意図を有すること,それまでの間,東海再処理工場はその能力(210トンU/年)の範囲内で運転すること,等を骨子とする新たな共同決定の署名,共同声明の発表が行われた。
 また翌年の1982年6月には,中川科学技術庁長官が訪米し,ブッシュ副大統領,ヘイグ国務長官,エドワーズエネルギー長官等米国政府要人と会談し,日米双方は再処理問題について包括同意方式による解決を早期に図るためすぐにも話合いに入ることで意見の一致をみた。
 これを受けて,1982年8月以来何回かの交渉を経て,1987年11月,包括同意方式を導入した新協定が署名された。その後,我が国においては1988年5月25日,国会による承認手続が完了し,また,米国においても,1988年4月25日,所要の国内手続が完了したことから,1988年6月17日,東京において発効のための外交上の公文が交換され,同協定は翌7月17日発効した。同協定においては,当初,一定のガイドラインに従う航空輸送について,米国の包括同意が得られたが,海上輸送についても包括同意方式とし,これを安定的に行う可能性を検討していくことが有意義であるとの,日米間の意見の一致を見,交渉を進めた結果,1988年10月,協定実施取決め附属書の一部修正が行われ,一定のガイドラインに従う海上輸送についても包括同意の対象となることとなった。


目次へ          第9章 (参考)へ