第2章 核燃料サイクル
2.ウラン濃縮

(1)ウラン濃縮需給バランス
 我が国の電気事業者は,現在,米国から年間約3,000トンSWUの濃縮役務の供給を受けており,2000年頃には,約4,000トンSWUの供給を受けられる契約を有している。また,フランスを中心とする国際合弁企業であるユーロディフ社及びフランス核燃料公社(COGE MA)からは,1980年以降30年間にわたり合計約18,000トンSWUの濃縮役務の供給を受けられる契約を有している。
 また,自主的核燃料サイクルの確立という観点から,現在国内において,ウラン濃縮の事業化が進められているところである。
 この国内供給力と上記の電気事業者による海外との契約により,2000年頃までの濃縮ウランの供給は確保されることとなる。
(2)ウラン濃縮の技術開発
 国際的な原子力開発計画の遅れに伴って,現在,世界の濃縮役務の需給バランスは緩和傾向にあり,米国エネルギー省と欧州の濃縮事業者は激しい価格競争を展開するとともに,低廉化を目指して,遠心分離法,レーザー法等多様な技術開発を進めている。
 このような国際動向のなかで,我が国がウラン濃縮の国産化の目標を達成し,国際競争力のある事業を確立していくためには,遠心分離機の高性能化,量産化,プラントシステムの合理化等を進める一方,次世代の技術と考えられるレーザー法等の新濃縮技術の研究開発を着実に進めていくことが必要がある。

 我が国においては,自主技術によるウラン濃縮工場を稼働させるべく,1973年度から国のプロジェクトとして動力炉・核燃料開発事業団を中心に遠心分離法によるウラン濃縮技術の開発を推進している。同事業団は,岡山県人形峠において,1979年9月,パイロット・プラントの運転を開始し,1982年3月末からは遠心分離機合計約7,000台により全面運開し,各種の試験研究を行った後,1990年3月,運転を終了した。
 また,同事業団は,遠心分離機の量産技術の確立,プラント設備の合理化等により濃縮プラントの信頼性,経済性の向上を図るため,岡山県人形峠において商業プラントに先立つ原型プラントの建設を進め,1988年4月に第1期分として100トンSWU/年の能力で部分操業を開始した。その後,1989年5月には第2期分も含め200トンSWU/年の能力で全面操業を開始し,現在順調に運転を続けている。

 同事業団は,引き続き遠心分離法の信頼性,経済性の向上を目指した技術開発を行っているところであるが,特に同事業団が開発してきた新素材を用いた遠心分離機及びプラントシステムは,コストダウンにつながる次世代技術であり,同事業団では,早急に実用化への見通しを得るため,本遠心機に関するブロック試験規模の実証等を含め,官民共同研究を1986年から1992年に実施した。
 さらに,同事業団では,1989年5月にとりまとめられた原子力委員会ウラン濃縮懇談会の報告を受けて,民間の協力を得つつ,人形峠事業所において新素材高性能遠心機1,000台規模の実用規模カスケード試験装置を1992年に建設し,翌年から運転を開始することとしている。
 レーザー法については,従来,原子法及び分子法の研究がそれぞれ進められてきたところである。原子法については日本原子力研究所が原理実証に成功し,1984年度より工学試験を実施し,1986年度より光反応プロセス等の基礎データベースの収集整備を実施するため,基礎プロセス試験を行っている。また,電気事業者を中心とする民間においては,1987年4月にレーザー濃縮技術研究組合が設立され,原子法の機器開発・システム試験が進められている。
 また,分子法については,理化学研究所が1985年度より3ヵ年計画で原理実証試験を行い,1988年4月に軽水炉燃料として必要な3%程度の濃縮ウランが得られることが確認された。さらに,1988年度からは理化学研究所において引き続き分離プロセス最適化研究,レーザー高度化研究を行うとともに,動力炉・核燃料開発事業団において工学実証試験を行っている。
(3)商業プラントの建設
 我が国の遠心分離法技術は,動力炉・核燃料開発事業団による技術開発及び運転経験の蓄積の結果,国際的な水準に達しており,商業プラントの建設及び運転に当たっては,これまでの知見を適切に活用しつつ推進していくことが必要である。
 1984年4月,電気事業連合会は,青森県に対し,ウラン濃縮施設,再処理施設,低レベル放射性廃棄物埋設施設の立地の包括的協力要請を行う,その後,1984年7月,青森県六ヶ所村への一括立地,事業規模等を決定し,さらに青森県及び六ヶ所村に対しその旨を報告し,立地協力要請を行ったが,この要請に対して,1985年4月に青森県から要請を受諾する旨正式に回答がなされた。また,ウラン濃縮の事業化のため,電気事業者を中心に,1985年3月に商業プラントの事業主体として日本原燃産業(株)(現日本原燃(株))が設立された。
 1985年6月に着手された立地調査に引き続き,1987年5月,原子炉等規制法に基づき内閣総理大臣に対し加工事業許可申請書が提出された。1988年8月に事業許可を受け,1988年10月には,建設工事が開始され,1992年3月に操業を開始した。その後,逐次増設され,最終的には1,500トンSWU/年の規模とする計画となっている。


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