第4章 新型動力炉の開発
(参考)諸外国の動向

高速増殖炉

 高速増殖炉の開発については,原子力先進諸国は,おおむね,実験炉→原型炉→実証炉の3段階を経て商業用大型炉へ向うという開発方針をとっており,英国,フランス,ソ連では,既に,電気出力30万キロワット級の原型炉が稼働している。フランスでは,実証炉(スーパーフェニックス)が運転の段階に入っている。
 スーパーフェニックスに続く次期欧州高速炉については,欧州5ヵ国(フランス,英国,ドイツ,イタリア,ベルギー)間の協力体制で研究開発を行う方向で協議が進められ,1989年2月にフランス,英国及びドイツ間において高速増殖炉の開発に関する協定が調印された。
 具体的には,ヨーロッパ高速炉電力会社グループ(EFRUG)が,従来各国で進められてきたSPX-2,CDFR,SNR-2の設計研究,それに関係したR&Dを統合し,経済性の一層の向上を図りつつ,各国の許認可性を有する欧州統合高速炉(EFR)の共同設計及びそれに関連したR&Dを行う計画を進めている。

イ)フランス
 フランスの高速増殖炉開発は,原子力庁(CEA)を中心として一貫した自主開発路線により進められてきた。1967年には,カダラッシュ研究所で実験炉「ラプソディー」(当初熱出力2万キロワット,1970年4万キロワット,1983年停止,廃止措置を実施中)が,1973年には,原型炉「フェニックス」(電気出力25万キロワット)が臨界に達した。
 また,1985年9月,実証炉「スーパーフェニックス」(電気出力124万キロワット)が臨界に達しており,1986年12月には100%出力を達成,その後1987年3月燃料貯蔵ドラムにナトリウム漏洩が発見され,運転を停止していたが,1989年1月に運転を再開,1990年6月全出力運転に到達した。その後1990年7月に1次系への空気混入等のトラブルが発生し,再び運転を停止している。なお,1989年11月,「スーパーフェニックス」について,プルトニウムの需給バランスや実証炉としての運転をより経済的に行うとの観点から,FBR実証炉としての性能,特性の確認等に必要な試験を終了する1996年以降,ブランケット燃料をすべて鋼製の反射体に置き換えて増殖比を現在の1.2から1.02に引き下げることが決定されたが,これはフランスのFBR開発政策に本質的な変更をもたらすものではない。
 本炉は,フランス51%,イタリア33%,ドイツ等16%の出資による会社NERSAにより管理・運転が進められている。

ロ)ドイツ
 ドイツでは,実験炉「KNK-II」(電気出力2万キロワット)の経験を踏まえ,原型炉「SNR-300」(電気出力32万7千キロワット)の建設がほぼ終了している。しかし,燃料移送・貯蔵に関する州政府の部分許可が下りないため,試運転へ進めない状況となっていたが,1991年3月,計画中止が発表された。
 今後は,欧州統合高速炉(EFR)を中心とした開発に重点が置かれるものとみられる。

ハ)英国
 英国における高速増殖炉開発は,英国原子力公社(UKAEA)を中心に進められており,1959年,ドーンレイ研究所で,実験炉「DFR」(Dounreay Fast Reactor,電気出力1万5千キロワット)が臨界に達した。実験炉「DFR」は,高速増殖炉燃料技術等に関し貴重な情報提供を行ってきたが,当初の任務を果たし,1977年3月閉鎖された。
 「DFR」に続く原型炉として,「PFR」(Prototype Fast Reactor,電気出力25万キロワット)が建設され,1974年3月臨界に達したが,運転開始後,蒸気発生器の漏洩故障が発見され,修理改造が行われた。
 また,1987年にも,蒸気発生器の漏洩故障が生じたが,現在ほぼ順調に運転されている。なお,PFRの運転は1994年まで継続され,それ以降は運転停止という政府案が示されている。

ニ)米国
 米国は,世界で最も早く開発に着手し,EBR-I,II,エンリコ・フェルミ炉,SEFOR等の実験炉の建設を相次いで進め,特に広範囲にわたる基礎工学的研究開発に力を注いでいる。
 高速増殖炉用燃料照射試験施設「FFTF」(Fast Flux Test Facility,熱出力40万キロワット)は,1980年1月に臨界,1980年12月全出力運転を達成し,その後順調に運転及び試験が行われてきているが,1990年1月に運転停止計画が発表され,現在検討がなされている。
 原型炉「CRBR」(Clinch River Breeder Reactor,電気出力38万キロワット)の建設計画は,1977年,カーター政権の核不拡散政策の強化後,1978年10月の米国議会において「CRBR」予算が否決されたことにより中止されている。
 近年,モジュラー化,金属燃料など随所に革新的なアイデアを取り入れた新型液体金属冷却炉(ALMR)としてSAFR,PRISMの概念設計が行われ,1988年7月両炉の比較検討の結果,ALMRとしてPRISMが選定され,3年間の概念設計の後,2年間の予備設計が行われることとなった。

ホ)ソ連
 ソ連は,1955年に臨界に達した臨界集合体「BR-1」を手始めに,「BR- 2」(熱出力100キロワット),「BR-10」(熱出力5千キロワット→1万キロワット)等の実験施設を相次ぎ建設し,1969年には,実験炉「BOR-60」(熱出力6万キロワット,電気出力1万2千キロワット)が,1972年には,海水脱塩をも目的とした「BN-350」(熱出力100万キロワット,電気出力35万キロワット相当)が,それぞれ臨界に達した。「BN-350」については,1974年蒸気発生器のトラブルが伝えられたが,その後,修復され順調に運転が続けられている。原型炉「BN-600」(電気出力60万キロワット)の建設は,「BN-350」の蒸気発生器のトラブルの経験を踏まえ慎重に進められたため完成が遅れたが,1980年2月,臨界に達し,1980年4月,運転を開始した。
 「BN-600」に続く大型炉については「BN-800」(電気出力80万キロワット)の建設が開始された。また,次の大型炉「BN-1600」(電気出力160万キロワット)の計画も検討されている。


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