第4章 新型動力炉の開発
2,新型転換炉

(2)実証炉の開発

 ATR実証炉については,原子力委員会の原子力開発利用長期計画(1982年6月)及び原子力委員会決定(1982年8月)の「実証炉の建設・運転は,電気事業者及び動力炉・核燃料開発事業団の協力を得て電源開発(株)が行う」旨の基本方針を踏まえ,電源開発(株)が,青森県下北郡大間町を建設予定地として,環境調査結果の取り,まとめ,基本設計等を実施した。この立地環境調査,基本設計及び立地交渉の進展を踏まえ,1985年5月の第4回ATR実証炉建設推進委員会(電源開発(株),電気事業連合会,動力炉・核燃料開発事業団,科学技術庁,通商産業省で構成)において同実証炉の建設計画が決定された。電源開発(株)はこれを受けて,大間町等地元に対し建設計画への協力要請を行い,ATR実証炉は建設に向けて本格的に動き出すことになった。同実証炉の建設計画はその後の地元の状況等を踏まえ修正されたが,現在,1993年4月の着工,1999年3月の運転開始を目途に,鋭意計画を推進しているところである。「ふげん」と実証炉「大間原子力発電所」の主要な設計仕様の比較を表に示すが,実証炉の設計は,大型化に伴う改良,「ふげん」の実績と軽水炉の経験の反映,設計の合理化等の成果をおり込んだものであり,その主要事項は次の通りである。

(i)燃焼度の向上
 燃料費と燃料集合体の年間取替数を低減するために,取替炉心の平均核分裂物質量を3.3%として,燃焼度を「ふげん」の17,000MWd/tから31,OOOMWd/tへ向上させた。
 なお,設備利用率の向上を図るため,12ヵ月連続運転できる設計としている。

(ii)チャンネル平均出力の増大
 圧力管の本数を削減し炉心を小型化するため,炉心の出力分布を平坦化し,チャンネル平均出力を「ふげん」より約25%増大した。

(iii)燃料棒の細径化
 燃料棒直径を「ふげん」の16.5mmから14.5mmへと細径化して,燃料集合体当たりの燃料棒本数を28本から36本に変更し,燃料棒の単位長さ当たりの出力を低減した。
 そのほか,重水ダンプスペースの削除及びこれに伴う後備炉停止系の変更,カランドリアタンク側胴部の合理化,遮へいプラグとシールプラグの一体化,入口管オリフィスの削除,低圧注水系容量の合理化,応力腐食割れ対策,燃料取扱設備等の合理化等を図っている。
 また,実証炉のための研究開発は,動力炉・核燃料開発事業団大洗工学センターの重水臨界実験装置,新型転換炉安全工学実験施設等の試験施設を中心として,燃料の改良に必要な研究,安全審査に必要な確証試験等が進められている。

(参考)諸外国の動向

高速増殖炉
 高速増殖炉の開発については,原子力先進諸国は,おおむね,実験炉→原型炉→実証炉の3段階を経て商業用大型炉へ向うという開発方針をとっており,英国,フランス,ソ連では,既に,電気出力30万キロワット級の原型炉が稼働している。旧西独では,原型炉が建設段階にあり,フランスでは,実証炉(スーパーフェニックス)が運転の段階に入っている。
 スーパーフェックスに続く次期欧州高速炉については,欧州5ヵ国(フランス,イギリス,旧西独,イタリア,ベルギー)間の協力体制で研究開発を行う方向で協議が進められ,1989年2月にフランス,イギリス及び旧西独間において高速増殖炉の開発に関する協定が調印された。
 具体的には,ヨーロッパ高速炉電力会社グループ(EFRUG)が,従来各国で進められてきたSPX-2,CDFR,SNR-2あ設計研究,それに関係したR&Dを統合し,経済性の一層の向上を図りつつ,かつ,各国共通のライセンサビィリティを有する欧州統合炉(EFR)の共同設計及びそれに関連したR&Dを行う計画を進めている。

イ)フランス
 フランスの高速増殖炉開発は,原子力庁(CEA)を中心として一貫した自主開発路線により進められてきた。1967年には,カダラッシュ研究所で実験炉「ラプソディー」(当初熱出力2万キロワット,1970年4万キロワット,1983年停止,廃止措置を実施中)が,1973年には,原型炉「フェニックス」(電気出力25万キロワット)が臨界に達した。また,1985年9月,実証炉「スーパーフェックス」(電気出力124万キロワット)が臨界に達しており,1986年12月には100%出力を達成,その後1987年3月燃料貯蔵ドラムにナトリウム漏洩が発見され,運転を停止していたが,1989年1月に運転を再開した。
 なお,1989年11月,「スーパーフェニックス」について,プルトニウムの需給バランスや実証炉としての運転をより経済的に行うとの観点から,FBR実証炉としての性能,特性の確認等に必要な試験を終了する1996年以降,ブランケット燃料をすべて鋼製の反射体に置き換えて増殖比を現在の1.2から1.02に引き下げることが決定されたが,これはフランスのFBR開発政策に本質的な変更をもたらすものではない。
 本炉は,フランス51%,イタリア33%,旧西独等16%の出資による会社NERSAにより建設・管理・運転が進められている。

ロ)旧西独
 旧西独では,実験炉「KNK-II」(電気出力2万1千キロワット)の経験を踏まえ,原型炉「SNR-300」(電気出力32万7千キロワット)の建設がほぼ終了している。しかし,燃料移送・貯蔵に関する州政府の部分許可が下りないため,試運転へ進めない状況となっている。

ハ)英国
 英国における高速増殖炉開発は,英国原子力公社(UKAEA)を中心に進められており,1959年,ドーンレイ研究所で,実験炉「DFR」(DounreayFastReactor,電気出力1万5千キロワット)が臨界に達した。実験炉「DFR」は,高速増殖炉燃料技術等に関し貴重な情報提供を行ってきたが,当初の任務を果たし,1977年3月閉鎖された。
 「DFR」に続く原型炉として,「PFR」(PrototypeFastReactor,電気出力27万キロワット)が建設され,1974年3月臨界に達したが,運転開始後,蒸気発生器の漏洩故障が発見され,修理改造が行われていたが,1985年3月からは,ほぼ順調に運転されている。現在,PFRの運転は1994年まで継続され,それ以降は運転停止という政府案が示されている。

ニ)米国
 米国は,世界で最も早く開発に着手し,EBR-I,II,エンリコ・フェルミ炉,SEFOR等の実験炉の建設を相次いで進め,特に広範囲にわたる基礎工学的研究開発に力を注いでいる。
 高速増殖炉用燃料照射試験施設「FFTF」(FastFluxTestFacility,熱出力40万キロワット)は,1980年1月に臨界,1980年12月全出力運転を達成し,その後順調に運転及び試験が行われてきているが,1990年1月に運転停止計画が発表され,現在検討がなされている。
 原型炉「CRBR」(ClinchRiverBreederReactor1電気出力38万キロワット)の建設計画は,1977年,カーター政権の核不拡散政策の強化後,1978年10月の米国議会において「CRBR」予算が否決されたことにより中止されている。
 近年,モジュラー化,金属燃料など随所に革新的なアイデアを取り入れた新型液体金属冷却炉(LMR)としてSAFR,PRISMの概念設計が行われ,1988年7月両炉の比較検討の結果,LMRとしてPRISMが選定され,3年間の概念設計の後,2年間の予備設計が行われることとなった。

ホ)ソ連
 ソ連は,1955年に臨界に達した臨界集合体「BR-1」を手始めに,「BR-2」(熱出力100キロワット),「BR-10」(熱出力5千キロワット→1万キロワット)等の実験施設を相次ぎ建設し,1969年には,実験炉「BOR-60」(熱出力6万キロワット,電気出力1万2千キロワット)が,1972年には,海水脱塩をも目的とした「BN-350」(熱出力100万キロワット,電気出力35万キロワット相当)が,それぞれ臨界に達した。「BN-350」については,1974年蒸気発生器のトラブルが伝えられたが,その後,修復され順調に運転が続けられている。原型炉「BN-600」(電気出力60万キロワット)の建設は,「BN-350」の蒸気発生器のトラブルの経験を踏まえ慎重に進められたため完成が遅れたが,1980年2月,臨界に達し,1980年4月,運転を開始した。「BN-600」に続く大型炉については「BN-800」(電気出力80万キロワット)の建設が開始された。また,次の大型炉「BN-1600」(電気出力160万キロワット)の計画も検討されている。


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