第4章 新型動力炉の開発
(参考)諸外国の動向

(1)高速増殖炉

 高速増殖炉の開発については,原子力先進諸国は,おおむね,実験炉→原型炉→実証炉の3段階を経て商業用大型炉へ向うという開発方針をとっており,英国,フランス,ソ連では,既に,電気出力30万キロワット級の原型炉が稼働している。西独では,原型炉が建設段階にあり,フランスでは,実証炉(スーパーフェニックス)が運転の段階に入っている。
 スーパーフェニックスに続く次期欧州高速炉については,欧州5ケ国(フランス,イギリス,西ドイツ,イタリア,ベルギー)間の協力体制で研究開発を行う方向で協議が進められている。
 具体的には,ヨーロッパ高速炉電力会社グループ(EFRUG)が,従来各国で進められてきたSPX-2,CDFR,SNR-2の設計研究,それに関係したR&Dを統合し,今後5年間で,経済性の一層の向上を図りつつ,かつ,各国共通のライセンサビィリティを有する欧州統合炉(EFR)の共同設計及びそれに関連したR&Dを行う計画を進めている。
 発表されている計画では,設計作業は最初の2年間で概念設計,次の3年間で詳細設計を行うこととなっている。

イ)フランス
 フランスの高速増殖炉開発は,原子力庁(CEA)を中心として一貫した自主開発路線により進められてきた。昭和42年には,カダラッシュ研究所で実験炉「ラプソディー」(当初熱出力2万キロワット,昭和45年4万キロワット,昭和58年停止,廃止措置を実施中)が,昭和48年には,原型炉「フェニックス」(電気出力25万キロワット)が臨界に達した。また,昭和60年9月,実証炉「スーパーフェニックス」(電気出力124万キロワット)が臨界に達しており,昭和61年12月には100%出力を達成した。(その後,昭和62年3月燃料貯蔵ドラムにナトリウム漏洩が発見され,運転停止,再開は早ければ1988年末と予定されている。)本炉は,フランス51%,イタリア33%,西独等16%の出資による会社NERSAにより建設・管理・運転が進められている。

ロ)西独
 西独では,実験炉「KNK-II」(電気出力2万1千キロワット)の経験を踏まえ,原型炉「SNR-300」(電気出力32万7千キロワット)の建設がほぼ終了している。しかし,燃料移送・貯蔵に関する州政府の部分許可が下りないため,試運転へ進めない状況となっている。

ハ)英国
 英国における高速増殖炉開発は,英国原子力公社(UKAEA)を中心に進められており,昭和34年,ドーンレイ研究所で,実験炉「DFR」(Dounreay Fast Reactor,電気出力1万5千キロワット)が臨界に達した。実験炉「DFR」は,高速増殖炉燃料技術等に関し貴重な情報提供を行ってきたが,当初の任務を果たし,昭和52年3月閉鎖された。
 「DFR」に続く原型炉として,「PFR」(Prototype Fast Reactor,電気出力27万キロワット)が建設され,昭和49年3月臨界に達したが,運転開始後,蒸気発生器の漏洩故障が発見され,修理改造が行われていたが,昭和60年3月からは,ほぼ順調に運転されている。現在,「PFR」の運転は1994年まで継続され,それ以降は運転停止という政府案が示されている。

ニ)米国
 米国は,世界で最も早く開発に着手し,EBR-I,II,エンリコ・フェルミ炉,SEFOR等の実験炉の建設を相次いで進め,特に広範囲にわたる基礎工学的研究開発に力を注いでいる。
 高速増殖炉用燃料照射試験施設「FFTF」(Fast Flux Test Faci11ty,熱出力40万キロワット)については,昭和55年1月に臨界,昭和55年12月全出力運転を達成し,その後順調に運転及び試験が行われている。
 また,原型炉「CRBR」(C1inch River Breeder Reactor,電気出力38万キロワット)については,昭和52年,カーター前政権の核不拡散政策の強化により,計画が大幅に遅れていたが,昭和58年10月,米国議会において「CRBR」予算が否定されたことにより,「CRBR」の建設計画は,中止されることとなった。
 その後,モジュラー化,金属燃料など随所に革新的なアイデアを取り入れた新型液体金属冷却炉(LMR)としてSAFR,PRISMの概念設計が行われてきたが,1988年7月両炉の比較検討の結果,LMRとしてPRISMが選定され,今後3年間概念設計を行ない,この後,2年間の予備設計が行われることになった。

ホ)ソ連
 ソ連は,昭和30年に臨界に達した臨界集合体「BR-1」を手始めに,「BR-2」(熱出力100キロワット),「BR-10」(熱出力5千キロワット→1万キロワット)等の実験施設を相次ぎ建設し,昭和44年には,実験炉「BOR-60」(熱出力6万キロワット,電気出力1万2千キロワット)が,昭和47年には,海水脱塩をも目的とした「BN-350」(熱出力100万キロワット,電気出力35万キロワット相当)が,それぞれ臨界に達した。「BN-350」については,昭和49年蒸気発生器のトラブルが伝えられたが,その後,修復され順調に運転が続けられている。原型炉「BN-600」(電気出力60万キロワット)の建設は,「BN-350」の蒸気発生器のトラブルの経験を踏まえ慎重に進められたため完成が遅れたが,昭和55年2月,臨界に達し,昭和55年4月,運転を開始した。「BN-600」に続く大型炉については「BN-800」(電気出力80万キロワット)の建設が開始された。また,次の大型炉「BN-1600」(電気出力160万キロワット)の計画も検討されている。


目次へ          第5章 第1節へ