第1章 原子力に期待される役割とその展開
3.我が国における原子力政策

(1)最近の原子力をとりまく状況

 我が国において原子力開発が始まって以来30年以上が経過し,これまで原子力発電や放射線利用等の分野において優れた実績を積み重ねてきている。
 しかしながら,昭和61年4月に発生したソ連チェルノブイル原子力発電所事故は,我が国国民の原子力,とりわけ原子力発電に対する考え方に少なからず影響を与えた。
 事故発生当初は,遠く離れた外国での事故でもあり,我が国への放射性物質の降下も少なかったため,そのことが直ちに原子力発電反対につながるものではなかった。例えば,事故後1年以上を経過した昭和62年8月に,総理府が原子力に関する世論調査を実施したが,それによれば,原子力発電を将来の主力電源と考える人が前回調査した昭和59年の51%から増加して60%を超え,今後原子力発電を増やしていくべきとした人も前回の36%から57%へと増加し過半数を占めた。しかし,一方では,放射線などに関して86%が何らかの不安・心配を感じていると回答していることも見逃してはならない。
 しかしながら,昭和62年後半頃から,チェルノブイル原子力発電所事故により広くヨーロッパ各地に拡散した放射性物質で汚染された食品が,ヨーロッパ外にも輸出されて,その一部が我が国に輸入され,我々の食卓にも上がっているのではないかという不安が出始めたため,改めて原子力発電の安全性,必要性の問題が広く国民の関心を集め始めた。
 この動きを決定的なものとしたのが,昭和63年2月の四国電力(株)伊方発電所2号炉における出力調整運転試験の実施に伴い活発化した原子力発電に対する反対運動である。この試験は,将来,原子力発電の電力設備全体における比重が高まった時点において,電力需要の変動に対応するのに備えて行われたものであるが,これに反対する人々は,発電所を作り過ぎて電力が余っているためにこの試験が必要になったのであり,また,チェルノブイル原子力発電所事故の原因となった試験と同様のものであるため同様の事故が起こる可能性がある等,専門的立場から見ると科学的根拠の乏しい主張を行い,その結果として原子力発電に関する国民の理解を混乱させることとなった。
 伊方発電所2号炉の出力調整運転試験に対する反対運動以降,ヨーロッパからの輸入食品の放射能汚染問題への関心の高まりと相まって,婦人,若年層を含め,原子力施設立地地域だけでなく全国的に原子力発電に対する反対運動が急速に高まってきた。そして,その論点も,原子力発電の安全性や放射能汚染に関することだけでなく,原子力発電の必要性や我が国のエネルギー政策に関すること等にまで拡大してきている。
 原子力開発利用を進めるに当たっては,国民の理解と協力を得ることが大前提であることは言うまでもない。
 原子力委員会としては,広く国民に原子力の安全性に対する不安感が増大し,さらにその一部が反対運動という形で表出してきていることを厳粛に受け止めている。このため,政府及び原子力関係者は,相互の密接な連携の下に,原子力に関する正確な知識及び情報の提供に努めつつ,国民の立場に立って解り易い言葉で丁寧に,原子力の必要性,安全対策等について,従来にもまして積極的に説明し理解を求めていくべきである。
 我が国における原子力開発利用の基本的な進め方については,昭和62年6月に決定した原子力開発利用長期計画に詳述してあるところであるが,次節以下で,上記の反対運動の動向を踏まえ,原子力発電を含め,なぜ原子力開発利用を推進する必要があるかを改めて述べてみたい。


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