第3章 安全の確保,安全の実証及び環境保全
1.ソ連チェルノブイル原子力発電所事故と我が国の対応

(1)事故の概要

 昭和61年4月26日午前1時23分(日本時間同日午前6時23分),ソ連のチェルノブイルの原子力発電所4号炉で事故が発生し,大量の放射性物質が周辺環境に放出される事態となった。
 事故が発生した原子力発電所は,ソ連ウクライナ共和国の首都キエフ市の北方約130Kmの地点に立地し,原子炉の型式は「黒鉛減速軽水冷却沸騰水型」と言われるもので,ソ連が独自に開発し,ソ連国内でしか運転されていない特殊なタイプの原子炉であった。
 事故により原子炉建屋は破壊され,火災が発生し,炉心は大きく損傷した。その後,火災は鎮火され,引き続き放射能除去作業と原子炉全体をコンクリートで閉じ込める作業が実施された。事故に伴う放射線被ばくにより29人が死亡(事故当日に死亡した2人と合わせると死者は31人になる)した(8月21日現在)。また,発電所の周囲30kmの住民を中心として約13万5千人が避難したといわれている。
 事故発生直後,北欧,東欧などの近隣諸国で放射能レベルが急上昇した。これら近郊諸国の放射能レベルは,その後低下したものの放出された放射性物質は地球的規模で拡散し,5月3日には我が国に,5月5日にはアメリカにも到達した。
 なお,8月14日には,ソ連が事故に関する報告書を国際原子力機関(IAEA)に提出し,この報告書に基づき8月25日〜29日には,IAEAにおいて各国の代表が参加して専門家会合が開催され,事故の経過,原因,影響等について検討が行われた。


目次へ          第3章 第1節(2)へ