第9章 核不拡散
1.核不拡散に関する我が国をめぐる二国間の動向

(2)日中間の原子力協力

イ) 日中原子力協定締結交渉
 昭和58年9月に北京で開催された第3回日中閣僚会議において,両国の原子力平和利用分野における協力を促進し,発展させるべく政府間で話し合いを進めていくことで日中両国の意見が一致した。
 この結果を受けて,第2回日中科学技術協力委員会に中国側関係者が来日した機会をとらえ,日中間の原子力協力に関する政府レベルの初めての会合が昭和58年10月東京において開催された。
 実質的な第1回目の日中原子力協議は同年12月に北京で開催された。この協議において,日中間の原子力協力を円滑に進めていくための協定をできるだけ早期に締結すること,日中間の原子力協力を平和利用分野に限定すること及び協定が締結されるまでの間にも協力が可能な分野については,これを進めていくことで意見の一致をみた。また,平和利用確保の問題については,双方の立場に隔たりがあるが,話し合いを継続していくことで意見の一致をみた。
 その後,昭和59年2月以降協議が東京,北京において交互に開催され,日中原子力協定の締結に向けて具体的な検討が進められていたが,昭和60年7月の第6回協議において協定の仮署名が行われ,同年7月31日,第4回日中閣僚会議の場で署名の運びとなった。
 なお,中国をめぐる原子力分野における国際協力の動向をみると,フランスは,昭和58年5月にミッテラン大統領が訪中した際,仏中原子力協力覚書を交換している。米国は,昭和58年7月に,2年間にわたり中断されていた米中原子力協議を再開し,協議を重ねた結果,昭和59年4月のレーガン大統領訪中時に米中原子力協定にイニシアルを行っており,昭和60年7月23日に同協定が署名された。また,西独は,昭和59年5月に独中原子力協定に署名しており,英国も昭和60年6月に署名を行った。

ロ) 秦山原子力発電所への建設協力
 中国は同国の原子力発電所建設計画の一つとして浙江省海塩県秦山(上海の南西)に,出力30万kWの加圧水型原子炉(PWR)1基を建設中である。このプラントの部品の設計,製作等は基本的には「自力更生」の原則に則り中国自身の手により進められているが,一部の機器については外国から輸入することとされており,我が国のメーカーに対しては原子炉圧力容器等の引き合いがあった。
 これを受けて,原子炉圧力容器を中国に輸出する場合の平和利用の確保の問題に関して,日中原子力協定の交渉と並行して日中両国政府間で協議を進め,昭和59年3月,当該圧力容器の移転に関し,(i)日本国から移転される原子炉圧力容器は,秦山原子力発電所においてのみ,かつ,平和的目的に限って利用され,また,いかなる方法によっても軍事的目的に利用されないこと,(ii)日本側の要求に応じ,日本側関係者が秦山原子力発電所を訪問することの二点を内容とする両国政府当局者間の書簡を取り交わすことで意見の一致をみ,同月に閣議において本件に関し関係省庁の各大臣から発言を行うとともに,同日付けで書簡を署名交換した。


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