第3章 進む研究開発
(3)その他研究開発

ハ)核融合

(i)A計画とB計画
 昭和30年8月の原子力平和利用国際会議(第1回ジュネーブ会議)におけるインドのバーバ議長の演説を契機として,核融合の研究に対する国際協力の機運が高まり,米英ソを中心として,それまで各国の機密であった核融合研究が公表されるようになった。
 このような機運の中で,我が国でも昭和33年4月,原子力委員会は核融合専門部会を発足させて,核融合研究の基本方針,研究体制などについて具体的な審議を始めた。その後,国内における各方面の研究の進展状況及び第2回原子力平和利用国際会議の報告書にあらわれた各国の研究の趨勢を考慮して,昭和34年3月,核融合専門部会は,A計画及びB計画の実施を提案する報告書を原子力委員会に提出した。
 すなわちA計画は,昭和30年頃から大学,国立試験研究機関等で行われてきた基礎研究をさらに進めるとともに,新しい着想の育成と具体化及び研究者の養成を図るものであり,B計画とは,諸外国である程度成功の可能性が示された総合的な実験装置を建設し,我が国の研究水準を向上させるというものであった。
 一方,日本学術会議においても,核融合特別委員会が設置され,ここで核融合の研究の進め方,特にB計画について議論された。さらに研究者の自主的組織である核融合懇談会でも,この問題についてたびたび議論された。このような情勢の中にあって,原子力委員会の核融合専門部会は,B計画を実施すべきかどうかについて検討を行ったが,意見の集約が困難であったので,当面はプラズマの体系的研究(A計画)に重点を置き,B計画の実施を見合わせることとした。

(ii)プラズマ研究所設立
 その後,原子力委員会の核融合専門部会は,昭和35年10月,核融合の研究は当面,プラズマ物理に対する基礎的理解を深め,プラズマ実験の技術的基礎を養うことに重点を置くべきであるとし,プラズマ科学の研究を行うための機関の設立が必要であるとの答申を行った。
 一方,日本学術会議でも同様にプラズマ科学研究所の設立を検討していた。また,昭和35年7月には,国立研究所協議会がプラズマ研究所の必要性を認めた報告書を文部省に提出した。このようなことから,プラズマ研究所が昭和36年度に名古屋大学に設置されるに至った。

(iii)第1段階核融合研究開発基本計画
 名古屋大学プラズマ研究所設立後は,ここを中核として,大学,日本原子力研究所,通産省工業技術院電気試験所及び理化学研究所において,核融合研究の基礎となるプラズマ物理の基礎的,体系的研究が進められ種々の成果が得られた。
 一方,海外における核融合研究は,核融合炉を目標とした新たな段階に進展していたので,将来の我が国の核融合研究の進め方について,39年頃から日本学術会議を中心に検討が行われてきた。原子力委員会においても,原子力開発利用長期計画の策定に当たり,この日本学術会議の検討結果と海外の動向を考慮し,核融合研究の長期計画の検討が行われた。
 そして原子力委員会は,昭和42年4月に改定した「原子力開発利用長期計画」で,制御された核融合を目的とする総合的な研究開発を計画的に進めるとの方針を明らかにし,同年5月,核融合専門部会を再び設置した。この部会からの答申を基に,原子力委員会は昭和43年7月核融合の研究開発を原子力特定総合研究に指定するとともに,昭和44年度からの6年間を第一段階として,将来核融合炉へ進展すると予想される装置を主に計画を進めるという研究開発基本計画を策定した。昭和43年頃から,ソ連のクルチャトフ原子力研究所でトカマク型装置を用いてプラズマ温度と閉じ込め時間に関してあげた画期的成果が世界的注目を浴びるようになっていたことから,日本原子力研究所では,本計画に基づきトカマク型のトーラス磁場装置「JFT-2」等を製作することとした。同装置は昭和47年に完成し世界に比肩し得る研究成果が得られ,また,大学においても,プラズマ物理及び核融合に関して積極的な研究が行われ,世界的水準の研究成果が挙げられた。

(iv)第2段階核融合研究開発基本計画
 原子力委員会は,この第一段階における成果を踏まえ,昭和50年7月,核融合の研究開発を「ナショナルプロジェクト」に指定するとともに,臨界プラズマ条件の達成を目指した「第2段階核融合研究開発基本計画」を推進することとし,さらに核融合の研究開発を大学とも緊密な連携を保ちつつ,総合的かつ効果的に推進するために,昭和50年11月,原子力委員会の下に関係分野の専門家による「核融合会議」を設置した。この「第2段階基本計画」に従い,日本原子力研究所においてはトカマク方式の「臨界プラズマ試験装置(JT-60)」の製作が昭和53年4月より始められた。昭和60年4月には,JT-60本体が完成し,待望の“first plasma,(脚注),点火に成功した。また,電子技術総合研究所では昭和50年度より高ベータプラズマの研究が開始された。
 一方,大学等においては,昭和55年度に名古屋大学プラズマ研究所の「JIPPT-II(トカマク・ステラレータ方式),京都大学ヘリオトロン核融合研究センターの「ヘリオトロンE」(ヘリオトロン方式)が,昭和57年度には筑波大学プラズマ研究センターの「ガンマ10」(複合ミラー方式)が,昭和58年度には,大阪大学レーザー核融合研究センターの「激光12号ガラスレーザー装置」が各々完成し,これら装置を用いた実験研究が実施され,世界的水準の成果が得られてきた。
 また,国際協力においては,IAEA,IEAを通じた協力を行うとともに,日米間で昭和54年5月に核融合を協力の重点分野の一つとする日米エネルギー等研究開発協力協定が締結され,米国のタブレット-IIIを用いた共同研究,情報交換及び研究者の相互派遣等を行う協力が開始され,大きな研究成果が得られた。
 以上のように,現在我が国における核融合研究は人類の将来を担う核融合動力炉の実用に向けて着実な歩みを遂げている。


(脚注)
first plasma:最初にプラズマ電流が発生すること。


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