第3章 進む研究開発
(3)その他研究開発

ロ)原子力船

(i)原子力船の開発
 昭和30年代初期において,原子力の船舶動力への利用が海外において,米国のサバンナ,ソ連のレーニンの完成を機としてとみに促進され,西ドイツを初め,次々に原子力船の開発計画が進められるようになった。このような海外の情勢に鑑み,我が国においても,原子力船の将来果たすべき役割を考慮して,原子力委員会は昭和36年の原子力開発利用長期計画において,原子力船建設技術の確立,乗組員の養成訓練に資するため,昭和45年頃までに原子力第1船を建設することが必要である旨の考え方を明らかにした。この考えを具体化するために,昭和38年,官民共同出資の特殊法人日本原子力船開発事業団が設立された。
 さらに原子力委員会は,昭和38年7月に原子力第1船は軽水冷却型原子炉を搭載する海洋観測及び乗員訓練船とするとの「原子力第1船開発基本計画」を決定した。事業団はこれに従い,昭和43年度完成を目途に第1船の建造準備を進めたが,建造費の大幅上昇が見込まれたため,原子力委員会は昭和40年8月,原子力船懇談会を開催して検討を進め,基本計画を修正し,船種を海洋観測船から特殊貨物船に変更した。
 原子力第1船の建設は上記方針に基づき,昭和43年より建造に着手され昭和47年に完成した。また原子力船の原子炉ぎ装や,核燃料の交換等を行うための定係港については,地元の了承を得て昭和42年11月青森県むつ市北埠頭部を建設地とすることとし,岸壁等の原子炉ぎ装に必要な施設を昭和45年に完成している。
 核燃料の初装荷は昭和47年に行われ,その後陸奥湾内での臨界,出力上昇試験を行う予定であったが,地元漁業者からの要望を踏まえ,原船事業団では試験の実施場所の検討を重ね,昭和49年9月,太平洋上で出力上昇試験を行ったが,放射線漏れが生じ,社会問題となった。

(ii)事故への対応
 これに対して政府は,直ちに「むつ」放射線漏れ問題調査委員会を開催し,検討を進めた。同委員会は昭和50年5月,「むつ」は技術的に見て全体としてかなりの水準に達しており,適切な改修によって所期の目的を十分達成し得るとの結論に達し,
① 強力な技術組織の確立や責任体制の明確化等組織制度の改革
② 原子炉全般についての技術的な再検討,
③ 放射線漏れに対する十分な対策,
④ 地元住民に対する情報の正確な伝達と理解を得る努力,
の4点について政府に報告した。
 原子力委員会は,同調査委員会の報告を参考とし,昭和50年6月,原子力船「むつ」の開発計画を継続すべきであること,「むつ」の改修に当たっては開発主体である日本原子力船開発事業団の技術水準の向上をはかること,「むつ」の技術的総点検と必要な改修は日本原子力船開発事業団の責任において行い,その際には国の責任において十分な審査を行うことが必要であることなどを明らかとした。一方,政府は「むつ」の安全性確保において責任の所在を明確にすべきであるとの指摘に応えるため,科学技術庁と運輸省は合同で「むつ」総点検・改修技術検討委員会を昭和50年8月に開催し,同事業団が策定した「むつ」の総点検,改修計画について国の立場から厳重にチェックした結果,昭和50年11月同事業団の遮へい改修・総点検計画は妥当との結論を得た。
 政府はこれらの委員会等の意見を踏まえ,昭和50年12月,「むつ」の開発を継続すべきことを決定した。「むつ」問題は国の原子力行政体制のあり方を再検討する契機となり昭和50年2月原子力行政懇談会が開催され昭和51年7月報告が行われ,53年までに行政機構の改革が行われた。
 その後原子力委員会は,原子力船研究開発の進め方について見直しを行うため,昭和54年2月,原子力船研究開発専門部会を設置した。
 同専門部会は,原子力船研究開発の課題,研究体制のあり方について検討を進め,昭和54年12月,原子力船の研究開発体制の強化のため,同事業団を研究開発機関に移行すべきとの報告を行った。
 政府は,これらの方針を踏まえて,日本原子力船開発事業団が「むつ」の開発に加えて原子力船の開発に必要な研究を行うことができるよう,同事業団を日本原子力船研究開発事業団と改め,同事業団に研究開発機能を付し,併せて,行政の簡素・効率化を推進する観点から昭和59年度末までに同事業団を他の原子力関係機関と統合するものとする旨定めることを主な内容とする,日本原子力船開発事業団法の一部改正法案を第93回国会に提出した。同法案は昭和55年11月成立し,同月施行された。
 「むつ」の修理・点検については,昭和53年7月佐世保市より「むつ」受け入れの回答が得られ,遮へいの改修及び安全性総点検は昭和57年6月に佐世保港において終了した。
 その後,青森県むつ市大湊港の定係港に入港させることについて,地元側関係者との間で話し合いが行われた結果,昭和57年8月,「むつ」は大湊港の定係港に入港した。
 原子力船研究開発の進め方については,昭和58年10月,原子力船懇談会が設けられ,同年11月,原子力委員会に対して報告書が提出された。原子力委員会では,それに基づき審議を行い,昭和59年1月,「今後の原子力船研究開発のあり方について」として原子力委員会決定を行った。その後,各方面でのさまざまな論議を踏まえ,政府は「むつ」について,今後の原子力船研究開発に必要不可欠な知見,経験を得るために概ね1年を目途とする実験航海を行い,その後,関根浜新定係港において解役することを主な内容とする「日本原子力研究所の原子力船の開発のために必要な研究に関する基本計画」を昭和60年3月31日に策定した。
 なお,同日,昭和38年以来「むつ」の開発等を進めてきた日本原子力船研究開発事業団は,日本原子力研究所と統合された。


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