第3章 進む研究開発
(2)新型動力炉開発

イ)国産動力炉開発のスタート

(i) 開発の基本方針
 我が国動力炉開発の当初の方針は,国産化を早期に達成するため,当面海外の技術を吸収して,我が国の技術水準の向上を図りつつ開発を進めるということであり,核燃料資源は極力国内資源に依存することとし,その有効利用を図るとの観点から,増殖炉を指向するものであった(昭和31年長期基本計画)。この背景には,当時核燃料物質の提供等を目的とする国際的な原子力機関が発足しておらず,海外からの燃料輸入が円滑に進むという確実な見込みが得られなかったという事情がある。
 その後,実用発電炉の早期導入を求める気運が高まり,原子力委員会は昭和32年に「発電用原子炉開発のための長期計画」を策定し,発電用原子炉の海外からの導入に並行して日本原子力研究所を中心に増殖型炉の研究開発を進め,小型の国産2号炉(熱中性子増殖炉)及び国産3号炉(高速中性子増殖炉)を経て昭和40年代半ばまでに電気出力10万キロワット程度の国産増殖動力炉を建設する方針とした。また,本計画では,将来プルトニウムが蓄積されるとして,最終的には増殖型,天然ウラン型及び濃縮ウラン型と並んで,天然ウランまたは劣化ウランにプルトニウムを混合した燃料を使用する炉型が存在するとし,後年度のプルサーマルないし新型転換炉につながる考え方が示されている。

(ii) 初期研究の開始
 昭和32年,日本原子力研究所東海研究所第1期工事が終了し,JRR-1の完成等研究施設・設備が充実されていくなかで,基礎的研究が開始されたほか,動力炉開発も昭和33〜34年頃から開始された。高速増殖炉については,濃縮ウランやプルトニウムを大量に必要とすることから,炉物理研究や液体金属技術研究等実験室規模の研究が中心となる一方,熱中性子増殖炉については大型装置による研究等が行われ,熱中性子増殖炉の研究が先行した。即ち,昭和32年から水均質型熱中性子増殖炉の臨界実験装置の設計が開始(昭和36年臨界)され,また,昭和33年頃から半均質炉構想が生まれ,昭和34年日本原子力研究所のプロジェクトとして研究が進められ,昭和35年に臨界実験装置が完成している。


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