第3章 進む研究開発
(1)核燃料サイクル

イ)ウラン濃縮等

(i) ウラン資源の確保
 原子力委員会はその発足の当初において核燃料は極力国内資源に依存し,不足分のみを海外に依存するとの方針を打ち出し,原子燃料公社を中心にまず国内探鉱を推進することとした。しかしながら,国内探鉱が進むにつれ,国内資源では商業炉の早期導入に伴い拡大する核燃料需要を賄えないことが明らかになる一方,核燃料の国際管理と供給を一つの業務目的とする国際原子力機関(IAEA)が設立される等,核燃料が海外から容易に入手可能となったため,その後,当面は海外に依存する方針となった。昭和40年代に入ると原子力発電の導入に伴い,我が国の核燃料需要は急速に増加することが予想され,また,米国の濃縮ウラン供給が委託濃縮制度に変わったことから,原子力委員会は昭和42年の長期計画の改定にあたり,海外資源の低廉かつ安定な供給を確立する等の観点から必要の都度の購入,長期契約による購入,開発輸入等を適宜組み合わせるとの考えを示した。さらに,昭和47年の長期計画では先進国の積極的な原子力発電導入策により核燃料需給が逼迫することが予想されたため,将来の年間所要量の3分の1を開発輸入することを目途に海外ウラン探鉱を促進する方針を示した。また,昭和50年代に入ると世界的に核不拡散政策が強化され,ウラン資源国の政策変更によりウランの安定供給が妨げられるおそれも出たため,昭和53年,57年の長期計画においても調査探鉱・開発輸入推進の方針が引続き示された。昭和50年代初めより,動力炉・核燃料開発事業団及び民間企業により,海外での調査探鉱が実施されており,その成果として海外ウラン資源開発(株)(OURD)がニジュールのアクータ鉱業に参加して開発を行いそのウラン精鉱が輸入されている。
 なお,現在はウラン資源の需給は緩和し,昭和70年代前半までの必要量は手当済であるが,将来再び需給が逼迫する可能性もあり,調査探鉱・開発輸入の努力は今後とも継続する予定である。
(ii) 製錬・転換・成型加工
 原子力委員会は,ウランの製錬・転換及び核燃料への成型加工については当初よりその事業化は民間で行うとの考えの下に開発を進めることとし,今日では既にウラン燃料の再転換及び成型加工分野は産業として自立するまでに成長している。また,昭和33年の「核燃料開発に対する考え方」の中で原子燃料公社で技術開発を進めることとした一貫製錬技術は動力炉・核燃料開発事業団に引き継がれ,実用化のために製錬・転換パイロットプラントの試験運転が昭和57年より行われているところである。
(iii) ウラン濃縮
① 調査研究期
 原子力委員会発足当時は,動力炉の候補としてガス炉,重水炉等が軽水炉とともに挙げられており,ウラン濃縮の事業化については緊急性はない状態であった。しかし,原子力委員会は将来の必要性に鑑み,基礎研究の推進を図ることとし,理化学研究所,日本原子力研究所等においてガス拡散法,遠心分離法等について基礎的研究が開始された。その後昭和36年の長期計画においては軽水炉の導入が見込まれるようになったことを背景に15~20年後に濃縮ウランの一部を国産化するために技術開発を促進する方針を打ち出し,濃縮事業は原子燃料公社が担当すること,それまで理化学研究所において進めてきた遠心分離法の研究開発を原子燃料公社に移管し,ガス拡散法については理化学研究所,日本原子力研究所等が研究開発を進めるとの方針が示され,その方針に従って基礎的研究が続けられた。
② プロジェクト推進期
 昭和40年代に入ると動力炉として軽水炉が主流を占めることが決定的となった。こうした動向を踏まえ原子力委員会は,昭和41年,濃縮ウラン,プルトニウム等の特殊核物質を民有化するとの方針を示した。この方針に沿って改定された日米原子力協定に基づき,電気事業者は米国等と濃縮ウラン購入の長期契約を締結した。原子力委員会は,昭和42年の長期計画においてウラン濃縮は当面海外に依存することとするが,国内技術開発を進めるとの方針を示した。さらに原子力委員会は,ガス拡散法と遠心分離法の研究を進めその評価を昭和47年ごろに行い可能な限り研究開発を集中するとの方針を決定した。また昭和44年8月には「ウラン濃縮研究基本計画」を決定し,遠心分離法及びガス拡散法を原子力特定総合研究に指定し,技術開発体制を整備した。特定総合研究期の3年間の研究開発の結果,遠心分離法は欧米との技術格差が縮まっており,経済規模の観点から,国情に適した技術であると評価された。また,昭和40年代後半に入ると先進主要国が積極的な原子力発電導入政策を推進したことによりウラン濃縮需要が逼迫するおそれが出たため,米国からの濃縮ウラン役務確保が必要とされ,さらに国際ウラン濃縮共同プロジェクトの検討も開始された。このような状況を背景として,原子力委員会は昭和47年4月に策定した長期計画において,濃縮ウランの一部国産化の方針を打ち出した。さらに,同年8月には昭和60年までに我が国において遠心分離法による国際競争力のあるウラン濃縮工場を稼働させることを目標に,パイロットプラントの建設・運転までの研究開発を国のプロジェクトとして取り上げ,動力炉・核燃料開発事業団に担当させることを決定した。
 昭和48年度以降,遠心分離法の機器開発とシステム開発は順調に進み当初の予定通り,昭和53年度に同事業団は岡山県人形峠においてパイロットプラントの建設に入り,昭和54年9月には一部運転を開始し,昭和57年3月には全面的に運転を開始した。
③ 事業化推進期
 昭和50年代に入ると核不拡散の強化を目的として,海外からの濃縮ウランの供給に際して厳しい条件をつけられるようになり,濃縮ウランの国産化の必要性が一層高まった。
 このため,原子力委員会は,昭和53年の長期計画においてウラン濃縮の新規需要の相当部分については国内で賄う方針を立てた。さらに昭和56年8月,原子力委員会ウラン濃縮国産化専門部会は報告書を原子力委員会に提出し,これをうけて昭和57年6月の長期計画において以下の方針が示された。すなわち濃縮ウランの安定供給,自主的核燃料サイクルの確立などの観点からウラン濃縮の国産化を進めていく必要があり,商業プラントを1980年代末までに運転開始すること,機器の大型化,低コスト化及び合理化等にかかる技術開発を行うため原型プラントを建設運転する必要があり,動力炉・核燃料開発事業団がその任に当たり,民間はこれに積極的に協力していくものとすること。さらにウラン濃縮事業は国が関与すべき問題が多いが,経営の効率性,他の核燃料サイクル事業との関連等の観点から見て,将来は民間において実施すべきことが示された。
 これをうけて,動力炉・核燃料開発事業団は原型プラントの立地地点を岡山県人形峠と決定し,昭和62年度部分運転開始を目標に建設準備をすすめているところである。
 また,民間においても動力炉・核燃料開発事業団が開発した技術の移転を受けて他の核燃料サイクル施設とともにウラン濃縮施設を青森県六ヵ所村に立地することが明らかにされており,事業主体となる日本原燃産業(株)が本年3月に設立され,昭和66年ごろ運転開始を目途に建設準備を進めているところである。また,遠心分離機の製造にあたるウラン濃縮機器(株)が昭和59年12月に設立されている。
 また,遠心分離法に続くウラン濃縮技術であるレーザー法については,将来,有用なものとなる可能性がある技術と位置づけ,既に日本原子力研究所及び理化学研究所において技術開発に着手している。


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