第1章 平和利用と国際関係

(7)日米再処理交渉と国際核燃料サイクル評価

 昭和51年10月のフォード声明及び昭和52年4月のカーター声明によって明らかにされた,商業再処理とプルトニウ ムの軽水炉利用の無期限延期等プルトニウム利用を抑制しようとする米国の政策は大きな国際的反響を呼び起こ した。その後,昭和52年5月のロンドンサミットにおいて開催が決定された核問題主要国予備会議での検討を経て 同年10月に原子力の平和利用と核不拡散を両立させる方途を検討するため,技術的,分析的作業を行うことを目的 として国際核燃料サイクル評価(INFCE)設立総会が開かれた。
 当時,我が国においては,動力炉・核燃料開発事業団の東海再処理工場の運転開始を間近に控えており,米国から購入した核燃料を再処理する場合には,日米原子力協定上,事前に米国との共同決定を必要としていた。このため,共同決定のための交渉が米国との間で開始されたが,新しい核不拡散政策を背景として,保障措置上の問題から東海再処理工場に核不拡散効果が大きいと考えられる何らかの設計変更を必要とする米側と,エネルギー資源の不足から早急に再処理を実施したいとする我が国との間で交渉は難航した。
 INFCE開始直前の昭和52年9月,INFCEでの結論が出るまでの暫定的なものとして共同決定が行われた。この結果,東海再処理工場について,再処理量等に制約が課せられたものの,当面代替技術の採用は困難であるとの判断から,とりあえず実績のある単体抽出法によって運転を行うことで合意がなされた。この日米間の合意の意味は大きく,INFCEでの検討にも影響を与えた。
 我が国は,こうした米国との協議を踏まえて,昭和52年10月原子力委員会において,原子力平和利用と核不拡散は両立し得るものであり,非核兵器国の原子力平和利用を阻害するべきでないとの基本認識の下にINFCEに臨む基本方針(再処理を不可欠とし実用化の難易度を考えた代替技術および制度的改善を検討する等)を決定した。
 INFCEでの検討は設立総会後に設置された核燃料サイクルの各分野毎の8つの作業部会において進められ,各作業部会の調整を行うために設置された技術調整委員会(TCC)においても,各作業部会の作業全般をとりまとめたTCC報告書が作成された。これらの作業結果を受けて,昭和55年2月ウイーンにおいて最終総会が開催され,各作業部会報告書及びTCC報告書が提出され2年4ヶ月にわたる検討作業を終了した。
 INFCEにおいては核不拡散の観点から,再処理,濃縮,プルトニウム利用などが評価されたが,保障措置が核不拡散と原子力の平和利用の両立のための手段として有効であることが確認され,この保障措置をさらに効果的なものとするため,保障措置技術の改良を進めるとともに,国際制度の整備や核不拡散に有効な技術的代替手段の確立を図ることによって核不拡散と原子力の平和利用は両立し得るとの結論が得られたことは重要な成果であった。
 なお,INFCEは調査研究作業であり国際的な交渉ではないとの位置づけがなされており,その成果は以後の多国間協議や二国間協議に生かされるべきものとされた。


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