各論
第10章 核不拡散

1 核不拡散に関する我が国をめぐる二国間の動向

(1)日米再処理問題
 日米間の再処理問題について恒久的な解決を図ることを目標として昭和56年10月,ワシントンにおいて,(i)日米両国は米国産核燃料の再処理に関する長期的取決めを昭和59年12月末までに作成する意図を有すること,(ii)それまでの間,東海再処理工場はその能力(210トン/年)の範囲内で運転すること,等を骨子とする新たな共同決定の署名,共同声明の発表が行われた。
 また翌年の昭和57年6月には,中川科学技術庁長官が訪米し,ブッシュ副大統領,ヘイグ国務長官,エドワーズエネルギー長官等米国政府要人と会談し,日米双方は再処理問題について包括同意方式による解決を早期に図るためすぐにも話合いに入ることで意見の一致をみた。
 これを受けて,昭和57年8月の東京における協議を始めとし,これまで10回の事務レベル協議が,日米再処理問題の長期的,包括的解決のために行われている。
 なお,東海再処理工場の昭和60年以降の運転については,(i)昭和56年10月の共同決定を昭和60年末まで延長し,その間に,より長期的な解決を図る。(ii)もし,昭和60年末までにより長期的な解決ができない場合には,両政府は,右共同決定を1年間,また,必要に応じさらに延長することを確認するための協議を行うが,これは東海再処理工場に対する保障措置が効果的に適用されること及び両国政府が早期解決を目指して真摯な話し合いを継続することを前提とする,との暫定延長を行うこととなった。

(2)日中間の原子力協力

イ)日中原子力協定締結交渉
 昭和58年9月に北京で開催された第3回日中閣僚会議において,両国の原子力平和利用分野における協力を促進し,発展させるべく政府間で話し合いを進めていくことで日中両国の意見が一致した。
 この結果を受けて,第2回日中科学技術協力委員会に中国側関係者が来日した機会をとらえ,日中間の原子力協力に関する政府レベルの初めての会合が,昭和58年10月東京において開催された。
 実質的に第1回目の日中原子力協議は同年12月に北京で開催された。この協議において,日中間の原子力協力を円滑に進めていくための協定をできるだけ早期に締結すること,日中間の原子力協力を平和利用分野に限定すること及び協定が締結されるまでの間にも協力が可能な分野については,これを進めていくことで意見の一致をみた。また,平和利用確保の問題については,双方の立場に隔たりがあるが,話し合いを継続していくことで意見の一致をみた。
 その後,昭和59年2月から3月にかけて東京で,また,7月には北京で第2回及び第3回の協議が行われ,日中原子力協定の締結に向けて具体的な検討が進められている。
 なお,中国をめぐる原子力分野における国際協力の動向をみると,フランスは,昭和58年5月にミッテラン大統領が訪中した際,仏中原子力協力覚書を交換している。米国は,昭和58年7月に,2年間にわたり中断されていた米中原子力協議を再開し,協議を重ねた結果,昭和59年4月のレーガン大統領訪中時に米中原子力協定にイニシアルを行っており,また,西独は,昭和59年5月に独中原子力協定に調印している。

ロ)秦山原子力発電所への建設協力
 中国は同国の原子力発電所建設計画の一つとして浙江省海塩県秦山(上海の南西)に,出力30万kWの加圧水型原子炉(PWR)1基の建設を準備中である。このプラントの部品の設計,製作等は基本的には「自力更生」の原則に則り中国自身の手により進められているが,一部の機器については外国から輸入することとされており,我が国のメーカーに対しては原子炉圧力容器等の引き合いがあった。
 これを受けて,原子炉圧力容器を中国に輸出する場合の平和利用の確保の問題に関して,日中原子力協定の交渉と並行して日中両国政府間で協議を進め,昭和59年3月,当該圧力容器の移転に関し,(i)日本国から移転される原子炉圧力容器は,秦山原子力発電所においてのみ,かつ,平和的目的に限って利用され,また,いかなる方法によっても軍事的目的に利用されないこと,(ii)日本側の要求に応じ,日本側関係者が秦山原子力発電所を訪問すること,の二点を内容とする書簡を取り交わすことで合意に達し,同月に閣議において本件に関し関係省庁の各大臣から発言を行うとともに,同日付けで書簡を署名交換した。


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