第6章 核融合及び原子力船の研究開発
2 原子力船

(1)原子力船「むつ」の開発

 原子力船「むつ」は昭和49年9月,出力上昇試験中にしゃへいの不備によって放射線漏れが発生したため,しゃへい改修等の修理を行うこととなり,昭和53年10月,青森県むつ市の大湊港にある定係港から長崎県の佐世保港に回航されて,昭和55年8月からは本格的なしゃへい改修工事に着手するなど修理が進められてきた。この間,本格的な工事着手が遅れたこともあり,確実に修理を実施するためには地元関係者と約束した昭和56年10月までの期限を延長せざるを得ないとの判断に至り,昭和56年8月31日,科学技術庁長官と日本原子力船研究開発事業団理事長が長崎県を訪問し,地元三者に対し,「むつ」の佐世保港出港期限を昭和57年8月31日まで延長することを要請し,昭和56年10月,地元側の同意が得られるという経緯があったが,昭和57年7月,制御棒駆動機構試験を最後にすべての修理を終了した。
 「むつ」の定係港の問題については,昭和56年5月24日,科学技術庁,日本原子力船研究開発事業団と青森県,むつ市,青森県漁連の地元側三者の間で,「むつ」の新定係港を青森県内の外洋に設置することとし,むつ市関根浜地区を候補地として調査,調整の上決定し可及的速やかに建設すること,「むつ」は新定係港が完成するまでの間は,大湊港の定係港に停泊すること,などで基本的合意(五者共同声明)が得られていた。日本原子力船研究開発事業団は昭和56年9月から,これに基づいて関根浜地区の調査を開始したが,昭和57年3月には,同地区に新定係港を建設することは技術的に可能であるとの結論が得られ,地元側に報告した。さらに,同年6月からは関根浜漁業協同組合との漁業補償交渉を開始し,また同年9月には港湾の設計のための海上ボーリングにも着手するなど,新定係港の建設にむけての作業が鋭意進められている。
 佐世保港における修理が終了した「むつ」は,大湊港の定係港に入港させることとして,青森側関係者との間で話し合いが行われていたが,昭和57年8月30日,科学技術庁,日本原子力船研究開発事業団と青森側三者(青森県,むつ市,県漁連)の間で「原子力船『むつ』の新定係港建設及び大湊港への入港等に関する協定書」が締結され,「むつ」は大湊港の定係港に入港できることとなり,昭和57年8月31日に佐世保港を出港し,9月6日大湊港に入港した。


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