第II部 原子力研究開発利用の動向
第9章 核拡散防止

2.核拡散防止に関する我が国をめぐる二国間の動向

(1)日米再処理問題
 昭和52年4月,カーター前大統領は,商業ベースの再処理及びプルトニウムリサイクルの無期限延期を含む原子力政策を公表した。この政策は国内政策として公表されたものであったが,米国は,世界的に核不拡散を強化するため,協定締結国に対し,同様の措置をとることを求めてきた。
 当時,我が国は,動力炉・核燃料開発事業団東海再処理施設における米国産核燃料の再処理について,日米原子力協定第8条C項に基づく共同決定を行うべく準備を進めていたところであったため,米国の核不拡散政策の強化は,我が国に直接影響を与えるものとなった。
 このため,昭和52年4月から,日米間で3次にわたる交渉を行い,昭和52年9月,「合衆国産の特殊核物質の再処理についての日米原子力協定第8条C項に基づく共同決定」を行い,東海再処理施設における当初2年間99トンの使用済燃料の再処理について,同協定第11条の保障措置が効果的に適用されることを確認した。さらに,本共同決定に当たり,両国は,了解事項を共同声明として発表した。

 共同声明の要旨
① 東海再処理施設を2年間,99トンまで既定のプルトニウム単体抽出の方法で運転する。
② 我が国は,硝酸プルトニウムを酸化プルトニウムにするための転換施設の建設を2年間見合わせる。一方,米国は,我が国の新型炉等の研究開発用プルトニウムの供給確保を保証する。
③ この2年間,再処理施設内の運転試験設備(OTL:Operational Test Labo-ratory)等により,混合抽出法の実験を行い,その結果を国際核燃料サイクル評価に提供する。
④ 2年間の運転終了後,運転試験設備の実験結果及び国際核燃料サイクル評価の検討の結果に照らして日米両国政府によって混合抽出法が技術的に実用可能であり),かつ,効果的であると合意された場合には,東海再処理施設を混合抽出法に改造する。
⑤ プルトニウム分離のための新たな再処理施設については,2年間,主要な措置をとることを見合わせる。
⑥ 軽水炉へのプルトニウムの商業利用に関する決定を2年間延期する。
⑦ 国際原子力機関は,本施設において常時査察を含む保障措置を十分に適用できる。
⑧ 我が国は,本施設におけるセーフガーダビリテイ及び核物質防護措置を改善する。
⑨ 我が国は,米国,国際原子力機関と協力して保障措置関連機器の試験を実施し,その結果を国際核燃料サイクル評価に提供する。

 共同決定における当初の再処理施設運転期間は2年間であったが,昭和54年9月及び昭和55年4月の2度の日米間の合意により,昭和56年4月末まで延長された。
 さらに99トンの再処理枠を昭和56年4月30日までに使い切る見込みであったため,昭和56年2月25日新たに50トンの再処理枠を追加するとともに,運転期間を昭和56年6月1日まで延長する共同決定を行った。
 昭和56年5月に行われた鈴木総理とレーガン大統領の首脳会談において,原子力・核不拡散問題も議題に上り,この場で,我が国にとって使用済燃料の再処理が重要であることが米国側に理解されるとともに,東海再処理施設の運転延長,第二再処理工場の建設等の日米再処理問題について恒久的解決を図るべく早急に協議をすべきことが合意された。

 日米首脳会談共同声明
                                                                  昭和56年5月8日
 第14項
 総理大臣と大統領は,核兵器の拡散防止の死活的重要性にかんがみ,引き続きそのための国際的な努力を推進してゆく必要があることを再確認した。他方,両者は,世界の増大するエネルギー需要に対応するためには,適切な保障措置の下で今後益々原子力の果たすべき役割が拡大されねばならず,日米両国が原子力平和利用の促進のために一層協力すべき,特別の責務を有していることにつき意見の一致をみた。この関連において,大統領は,日本にとって再処理が特に重要であるとする総理大臣の見解を支持した。総理大臣と大統領は,これを受けて,東海再処理工場の運転継続及び新たな再処理施設の建設等の懸案事項の早急かつ恒久的な解決を図るために,両国政府が速やかに協議を開始すべきことに意見の一致をみた。

 しかし,米国内部で,新政権の核不拡散政策策定作業が遅れたこともあって,日米再処理問題の恒久的解決を図るための日米協議を直ちに開始できず,このため,暫定的措置として,同施設の運転期間を昭和56年10月31日まで延長するとともに,両国政府は同日までに日米再処理問題の恒久的解決を図るべく努力することとし,昭和56年6月1日ワシントンにおいてこれを確認する口上書を交換した。
 昭和56年7月,レーガン大統領は,核不拡散及び原子力平和利用協力に関する声明を発表し,その中で核不拡散体制の強化を提唱する一方,核拡散の危険のない進んだ原子力計画をもつ国での再処理や高速増殖炉の開発は妨げないと述べ,カーター前政権より弾力的な姿勢を示した。
 こうして,同月,日米再処理問題の恒久的解決をめざし,両国政府間の協議が開始され折衝を続けた結果,同年9月,実質的合意に達し,その後米国内の所要の手続きを経て,同年10月,日米共同決定の署名,共同声明の発表等を行った。その合意の内容は次のとおりである。①東海再処理施設は設計能力(210トン/年)の範囲内で運転し,運転期限は昭和59年末までとする。
②第二再処理工場については,建設に関する主要な措置に対する規制を撤廃すること。③東海再処理施設において,対IAEA保障措置技術支援計画の枠組みの中で,かつ,自発的に保障措置研究開発を行う。④東海再処理施設で回収されたプルトニウムは,混合酸化物に転換し,我が国の高速増殖炉,新型転換炉の研究開発に用いる。
 我が国は東海再処理施設の運転期限について制限を課すべきでないとの立場で折衝に臨んだが,恒久的な解決のための協議にはなお時間を要するという米国側の立場を理解し,上記期限については,その満了とともに東海再処理施設の運転を中断させる意図ではなく,この期限内に長期的な取決めを行うとの趣旨であることを日米間で確認したため,現時点では最も現実的な解決であるとして今回の同意となった。
 なお,昭和52年9月の共同声明の趣旨を踏まえ,「混合抽出法」に関する試験研究等が東海再処理施設を中心に積極的に進められ,その成果について意見交換を行うため,昭和53年9月以来3度にわたり,日米の専門家による会合が開催された。
 また,同じく共同声明の趣旨を踏まえ,昭和53年2月,東京で,我が国と米,仏,IAEAとの間で会合が持たれ,東海再処理施設における改良保障措置技術の研究開発(東海再処理施設改良保障措置技術実証,TASTEX:Tokai Advanced Safeguards Technology Exercise)を行うこととなった。TASTEXの研究項目として,13項目(Task)が選定され,技術者の相互派遣及び研究情報の交換が進められてきたが,昭和56年5月26日から28日にかけて,東京において,第5回運営委員会が開催され,これらの研究については所要の成果が得られたとの結論が得られ,TASTEXは終了することとなった。
 さらに,共同声明によって一時建設を見合わせていた東海再処理施設に付設される予定のプルトニウム転換施設については,混合転換方式を採用することで建設されることとなり,昭和55年8月建設が開始された。

(2)日米原子力協定に係る動き
 カーター前政権時代には,米国議会においても,核拡散防止の動きが強まり,昭和53年3月,原子力資材,技術の輸出に対する規制を核不拡散の観点から強化することを目的とする「1978年核不拡散法」が発効した。
 この核不拡散法において,現行二国間協定を核拡散防止の観点から改正することが要請されていたため,米国は,昭和53年10月,我が国に対し,現行日米原子力協定(昭和43年7月発効,昭和48年12月一部改正)の改正交渉の開始の申し入れを行った。
 これを受けて,昭和54年2月,本協定改正に係る日米協議が行われ,米側から,核不拡散法に基づいて作成されたモデル協定の説明があった。しかしこれ以後,本協定改正に係る協議は行われていない。
 一方,米国は,「1978年核不拡散法」の発効以降,現行協定に基づく各種規制権の行使に際しても厳しい姿勢を示し,例えば海外再処理委託のための使用済燃料の第三国移転の事前同意,研究炉用高濃縮ウランの輸出に関する承認に当っては,ケース・バイ・ケースの判断基準を適用してきているが,昭和56年7月に発表されたレーガン大統領の対外原子力政策においては,これらの承認等を速やかに処理するよう米国の行政府に指示するとともに,原子力規制委員会(NRC)に要請するとされている。

(3)日加原子力協定に係る動き
 カナダは,インドの核実験を契機として,昭和49年12月,保障措置の強化を目的とする新ウラン輸出政策(昭和51年12月追加)を発表し,我が国も含め,原子力協定締結国に対し,原子力協定改正交渉の申し入れを行った。
 我が国との間での改正交渉は,昭和52年1月に開始され,昭和53年1月に妥結し,昭和53年8月に改正議定書の署名,昭和55年5月に同議定書の批准承認が行われ,昭和55年9月,発効した。

 さらに,改正議定書署名と同時にとりかわした交換公文に基づき,昭和56年2月19,20日,東京において特別技術委員会及び合同作業委員会が開催され,新協定発効時のカナダ産核物質の在庫量の確定及び原子力活動に関する情報交換を行った。

(4)日豪原子力協定に係る動き
 オーストラリアは,ウラン資源国としてカナダと同様な立場から昭和52年5月保障措置新政策を発表し,我が国を含む原子力協定締結国に対し,協定改正交渉の申し入れを行った。
 我が国は,オーストラリア側の申し入れを受け,これまで7回にわたり協定改正に係る日豪交渉を行った。(昭和53年8月東京,同年12月キャンベラ,昭和54年7月東京,昭和56年4~5月キャンベラ,昭和56年6月東京,昭和56年8月キャンベラ,昭和56年9~10月東京)

(5)日英・日仏原子力協定の動き
 日英協定は昭和43年,日仏協定は昭和47年に発効しているが,日英協定下では,天然ウランの入手,再処理委託等が進められ,日仏協定下では天然ウランの入手,濃縮委託,再処理委託等が進められた。


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