第3章 核燃料サイクル
4 再処理

(1)東海再処理施設

 動力炉・核燃料開発事業団において,我が国初の再処理施設(処理能力0.7トンウラン/日)が東海村に建設され,昭和52年9月から昭和55年2月までホット試験が実施された。途中,昭和53年8月,酸回収蒸発缶の故障のため運転を中止したが,施工法等の改善を施し,安全性を確認した後に昭和54年11月,運転を再開し中断していたホット試験を継続した。
 この結果,昭和52年9月より開始したホット試験は昭和55年2月までに合計約31トン(原子炉装荷時の金属ウラン換算)の使用済燃料を処理して終了した。同再処理施設においては昭和55年3月より使用前検査が始まり,法令に定める所定の項目に関する検査が行われており,本検査期間中,昭和55年9月末までに更に約34.1トンの使用済燃料を処理している。

 また,東海再処理施設の運転については,昭和52年9月の日米共同声明及び日米共同決定に基づき,当初2年間,99トンウランを限度とする使用済燃料の再処理を行うこととなっていた。しかし,共同声明における当初期間2年間(54年9月まで)は国際核燃料サイクル評価(INFCE)の期間(当初2年間で終了するものと考えられていた)を考慮したものであったため,INFCEの期間が昭和55年2月末まで延長されたことに伴い,再処理施設に関する日米両国間の協議にINFCEの成果を反映させる必要もあり,東海再処理施設の運転期間が昭和55年4月30日まで延長された(昭和54年10月1日,日米両国間で口上書を交換)。その後,99トンウランの使用済燃料の再処理が終了していないこと,核不拡散により有効に貢献し得るような技術開発のための各種研究をしばらく継続することが望ましいこと,INFCEの結果を消化するのに十分な時間が必要であること等から当該運転期間を,更に1年間延長し昭和56年4月末までとすることとなった(昭和55年7月26日,日米両国間で口上書を交換)。
 さらに,昭和52年9月の日米共同声明において,「当初の運転期間が終了した時点において,もし運転試験設備(OTL)での実験作業の結果として,及びINFCEの結果に照らして,混合抽出法が技術的に実行可能であり,かつ効果的であると両国政府が合意するならば,本施設の運転方式は,在来の再処理法から全面的な混合抽出法に速やかに変更される」とされた。
 これを受けて,動力炉・核燃料開発事業団は,OTLを使って混合抽出技術に関する試験を行うほか,混合転換技術について各種の研究を行ってきた。その結果,特に混合転換技術については,動力炉・核燃料開発事業団が独自に開発したマイクロ波加熱直接脱硝法(MH法)が他の方法に比べ優れているとの見通しが得られ,55年7月26日日米両国間の口上書交換により混合転換法によるプルトニウム転換施設が建設されることとなり,57年後半の完成を目途に55年8月,MH法によるプルトニウム転換施設(能力10kg MOX/日)の建設に着手した。


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