第1章 原子力発電

(参考)諸外国の動向

 世界の原子力発電設備容量は,昭和55年6月末現在で総計233基,約1億3千6百万キロワットに達しており,建設中,計画中を含めると644基,約5億4千2百万キロワットになる。
 米国,ヨーロッパ等の先進諸国を中心として世界の22ヵ国で原子力発電所の運転が行われている。
 ブラジル,メキシコ等の開発途上国においても,原子力発電所の建設あるいは計画が進められており,これらの国を上記の運転を既に行っている国にあわせると41カ国にのぼる。
 運転中のものをみると,米国が全世界の原子力発電設備容量の約4割を占めており,日本,ソ連,フランスがそれに続いている。

 炉型別にみると,運転中の世界の原子力発電所の総発電設備容量のうち約79%が軽水炉で占められている。軽水炉の中でも加圧水型炉(PWR)の方が沸とう水型炉(BWR)よりも多い。
 このように,原子力発電は石油代替エネルギーとして,各国のエネルギー政策上,極めて重要な位置を占めるに至っており,各国のエネルギー計画にみられるように,今後更に原子力発電の比重は増大していくものとみられる。

(1) 米 国
 米国では,昭和26年にEBR-1 (150kW)によって世界最初の発電実験を行った後,昭和33年には,ペンシルバニア州シッピングポートに出力6万kWの原子力発電所を完成させた。これに続いて,昭和39年,オイスター・クリーク発電所で当時としては大型の60万kWの軽水炉の建設が決定されたが,これは石炭火力との競争入札で,原子力発電の経済性が認められた最初のものであり,米国ではこの時が原子力発電実用化のはじまりとされている。
 昭和55年6月末現在,運転中の原子力発電所は71基,5,427万kWであり,全世界の約4割の原子力発電設備を有するに至っている。また建設中,計画中のものを加えると180基,約1億8千百万kWに達している。
 しかし,原子力発電に対する反対運動等もあり,原子力発電所の新規発注は,低調で,昭和53年には,2基,昭和54年には発注なしとなっている。
 昭和54年3月に発生したペンシルバニア州ハリスバーグのスリー・マイル・アイランド(TMI)原子力発電所事故は,米国内に大きな反響を呼んだが,その後の調査の結果,放出された放射性物質による周辺住民の健康に対する影響は,識別できない程度であったことが確認された。
 この事故の事態の収拾と事故原因の究明,対策等のために米国原子力規制委員会(NRC)をはじめ,米国政府,州政府等の関係機関により積極的な事故調査が行われ,大統領特別調査委員会報告をはじめ,各種の報告が取りまとめられた。これらの報告にもられた勧告等についてはNRCによって分類整理され,今後とるべき措置について検討が行われており,一方産業界では,TMI事故の教訓を踏まえて,原子力発電所の運転員,管理者養成のため「原子力運転協会(INPO)」を発足させている。

 また新規の原子力発電所の建設,運転の許認可については,事故以来事実上の凍結がなされていたが,昭和55年2月から一部の原子力発電所について燃料装荷と低出力運転の実施が許可された。

(2) 英 国
 英国では,中央電力庁(CEGB),英国原子力公社(UKAEA)等により昭和55年6月現在33基885万kWの原子力発電所が運転されており,10塞662万kWが建設中,2基250万kWが計画中となっている。
 英国は昭和31年のコールダーホール型発電炉(黒鉛減速炭酸ガス冷却:6CR)の開発成功により,第1次原子力発電計画を策定し,また,これと並行してコールダーホール型の改良を行い,熱効率を改善して改良型ガス冷却炉(AGR)を開発し,昭和39年からこの改良型ガス炉による第2次発電計画を策定した。この結果,現在までに,26基約580万kWのコールダーホール型炉が,また5基268万kWのAGRが運転されている。
 また,第3次原子力発電計画で,採用が検討された重水減速蒸気冷却型炉(SGHWR)は,昭和53年1月,経済上技術上の観点から開発が中止され,当面の計画としてAGR,4基を建設することとした。本計画はその後政権交代した保守党がPWRを導入する方向で検討を進めることを明らかにしたことにより,再検討がなされていたが,昭和55年4月正式に建設着手が決定された。
 英国は,ここ数年,エネルギー需要の伸び率の低下や北海油田の開発により原子力開発が停滞していたが,昭和54年12月,将来のエネルギー危機に対処するため,昭和57年から毎年1基ずつ(10年間で1,500万kW)原子力発電所の建設を開始すると発表した。英国はこれにより,電力供給に占める原子力発電の割合を現在の12%から昭和66年に30%,昭和75年に40%に増大させることとしている。

(3) フランス
 昭和55年6月末現在,フランスの原子力発電所は,運転中が18基1,153万kW,建設中が30基3,211万kW,計画中が26基3,319万kWであり,合計規模は74基7,684万kWとなっている。
 運転中のうち244万kWは,ガス炉であるが,このほかのものは,高連増殖炉を除いては全て米ウエスチングハウス(WH)社型加圧水型炉である。
 これは昭和50年4月〜12月に行われた炉型選択上の転換に基づくものである。またWH社の影響力を押えるため,国内の軽水炉のメーカー体制の整備に特に力を注ぎ,フラマトム社(クルーゾロアール社51%,CEA30%,WH社15%,その他4%出資)を強化している。

 新型動力炉メーカー再編成においても,昭和51年4月ノバトム社(クルーゾロアール社60%,原子力庁40%出資)を設立し,西ドイツ,イタリアと共伺で高速増殖炉実証炉スーパー・フェニックスの建設に取り組んでいる。核燃料関係では核燃料公社(COGEMA)において再処理事業等を行っている。
 フランスは米国原子力発電所の事故の後も,改訂7次計画に沿い,新たに9基1,050万kWの原子力発電所の建設計画を承認するなど,原子力の積極的推進を図っているが,更に昭和55年4月に発表された昭和55年から10年間のエネルギー計画によれば,年500〜600万kWのペースで原子力発電所の建設を進め,昭和65年には,一次エネルギー供給に占める割合を30%まで引き上げることにしている。フランスは現在10基のPWRが運転中であり,また90万kW級-21基,130万kW級-8基が建設中で,これらが今後数年にわたり順次操業を開始すれば,昭和66年にはフランスの電力供給に占める原子力の割合は発電電力量で約57%に達し,昭和65年には,この比率が約73%になる予定である。

(4) 西ドイツ
 西ドイツの原子力開発は,我が国同様かなり遅れて開始されたが,4次にわたる原子力計画の下で実績を上げ,近年においては,原子力発電所等の輸出能力を備えるに至っている。昭和55年6月末現在,原子力発電所は運転中11基901万kW,建設中11基1,263万kW,発注済み及び計画中13基1,670万kWとなっている。
 西ドイツではKWU社を中心に米国の軽水炉技術を吸収発展させ,昭和49年にビブリスA(120万kW),昭和51年4月には世界最大の同B発電所(130万kW)の運転を開始した。これらの加圧水型炉(PWR)には自主開発の技術が生かされており,しかも順調な稼動をしているところから,諸外国の注目を集めている。
 海外への輸出については軽水炉及び重水炉が,ブラジル,スペイン,アルゼンチン,スイス等へ輸出されている。
 西ドイツでは,将来,ニーダーザクセン州ゴアレーベンに再処理施設,放射性廃棄物処理処分場等を建設するという計画(総合核燃料サイクルセンター)を進めていたが,州政府との間で調整がつかず,昭和54年9月の連邦・州政府首相会議での合意により,当初の計画を一部変更していくこととなった。

(5) カナダ
 カナダは豊富な水力資源のほかタールサンドのような化石燃料を保有しているが,資源生産地と消費地との距離が非常に長いこと及び労働力供給上の制約があることなどから,原子力発電には,当初より意欲的に取り組んできた。
 カナダは一貫して重水炉路線を歩んでいる。昭和55年6月末現在,運転中は10基579万kW,建設中14基1,028万kW,発注済及び計画中のものは2基137万kW,合計26基1,744万kWとなっている。このうち1基を除き全て加圧重水冷却炉(CANDU-PnW)である,外国への輸出も行っており,これまでにインド,パキスタン,アルゼンチン及び韓国へ各1基約50万kWが供給され,また,ルーマニアへの輸出も予定されでいる。ただし,インドとの原子力協力は途絶しており,また,アルゼンチン,韓国へのその後の輸出の話は立ち消えとなっている。
 また,カナダは世界有数のウラン資源国でもある。このため資源供給国としての優位性を活かし,ウラン輸出もなるべく付加価値を高めた形で行いたいとの考えである。しかしながら,昭和49年のインドの核実験を契機に,これらの輸出に当たっては核不拡散の強化の観点からその規制を強めている。

(6) ソ 連
 ソ連は昭和29年,黒鉛減速,軽水沸とう冷却圧力管型炉(チャンネル型原子炉)で世界に先がけて原子力発電に成功し,その後,チャンネル型原子炉,加圧水型炉(PWR)及び高速増殖炉(LMFBR)の3種類に絞って開発を進めてきた。昭和55年6月末現在,運転中27基1,314万kW,建設中13基1,176万kW,計画中12基1,200万kWの計52基3,690万kWとなっている。運転中の原子炉の内訳は,15基790万kWがチャンネル型原子炉,9基422万kWが加圧水型炉で,残りは高速増殖炉2基,沸とう水型炉1基である。
 昭和51年〜55年を対象とした第10次5カ年計画では,機器製造能力の拡充,1基当たりの発電設備容量の引上げ,標準化等を主目標に取り組んでいる。ソ連は昭和60年までは熱中性子炉の建設に重点を置き,これを中心として用いるとともに将来の高速増殖炉用としてプルトニウムの生産を行っていくこととしている。また高速増殖炉の開発にも力を入れており,昭和55年4月には世界最大の出力を持つ高速増殖炉BN-600(60万kW)を運転開始させている。
 ソ連は都市の熱供給システムへの原子力の利用を積極的に進めており,昭和49年から北部シベリアで暖房用の熱を併給する原子力発電所が運転中の他,昭和55年からはゴーリキーにおいて,熱利用のみを目的とした50万kW級原子炉2基の建設を開始している。

(7) スウェーデン
 スウエーデンにおける原子力発電は,米国型の沸とう水型炉(BWR)を基礎としつつ,アセア・アトム社を中心に技術開発が進められ,昭和55年6月末現在,運転中6基391万kW,建設中及び計画中6基600万kWとなっている。
 スウエーデンの原子力開発は,昭和51年秋に,フェルデイン首相の率いる中央党,保守党,自由党の3党による連立政権が樹立されて以来,原子力発電開発に対して消極的な姿勢をとってきたが,特に運転開始間近かのリングハルス3号炉,及びフオースマーク1号炉の核燃料装荷の許可についての判断を契機に,昭和53年9月内閣が総辞職した。
 その後,昭和54年5月与野党間で今後の原子力発電所建設の拡大の可否を国民投票に委ねることで合意がなされ,昭和55年3月国民投票が実施された結果,原子力発電容認が過半数を占め,運転中,建設中,計画中の合計12基の原子力発電所について運転が認められることになった。

(8) その他の諸国
 オーストリアは,西ドイツのKWU社製の原子力発電所を昭和47年に着工し,昭和51年には建設を完了していたが,その運転開始をめぐり昭和53年11月に国民投票が行われた結果,1%弱という僅差で否決された。同国は,この国民投票の結果を踏まえ,原子力発電所を運転開始しないこととしたが,最近,同国内での石油価格の上昇等から政府与党,産業界を中心に再度国民投票を実施しようとする動きが出ている。
 スイスは,昭和55年6月末現在運転中4基203万kW,建設中1基100万kW,発注済及び計画中3基320万kW合計8基624万kWとなっている。
 また,昭和54年2月,原子力発電開発に対する事実上の制限を旨とする憲法改正について国民投票が行われたが,僅差で否決され,これにより,スイスの原子力開発は,引き続き推進されることとなった。また,同年5月の国民投票では,放射性廃棄物の処理処分等の促進等を図る旨の原子力法の一部改正案が可決された。


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