第8章 核融合,原子力船及び高温ガス炉の研究開発
1.核融合

 我が国の核融合の研究開発は,昭和30年代より,主に大学における基礎研究に重点を置きつつ進められてきたが,昭和43年7月からは,原子力委員会が策定した核融合研究開発基本計画の下に,原子力特定総合研究として日本原子力研究所が中心実施機関となり,総合的に推進されることとなった。この第1段階の研究開発は,昭和44年度から昭和49年度までの6年間で終了し,日本原子力研究所,理化学研究所,電子技術総合研究所の密接な連携の下に,数々の画期的な成果を得ることができた。一方,大学においてもプラズマ物理及び核融合に関し積極的な研究が行われ,世界的水準の研究成果を挙げるなど我が国の核融合研究開発は,この間に大学をも含めて総合的に推進する基盤が固められた。
 第1段階におけるこのような成果を評価しつつ,将来の核融合炉実現を目指す核融合研究開発の方策を策定するため,原子力委員会は,昭和50年7月に核融合研究開発の推進方策を決定した。この決定により,核融合の研究開発は「原子力特別研究開発計画(ナショナルプロジェクト)」に指定され,現行の研究開発はこれと同時に定められた「第2段階核融合研究開発基本計画」に基づいて推進されている。
 この基本計画は,核融合動力炉実現の前提となる臨界プラズマ条件の達成に重点を置き,トカマク型の「臨界プラズマ試験装置(JT-60)」(プラズマ温度数千万度から1億度程度,プラズマ密度と閉じ込め時間の積2〜6×1013sec/cm3を目標)を開発することを中心として,非円形断面トーラス磁場装置の研究開発,高ベータプラズマに関する研究開発,プラズマの診断技術に関する技術等の核融合炉心プラズマ技術に関する研究開発を進め,併せて,核融合炉心工学技術及び核融合炉工学技術等の研究開発を推進することとしている。これらの研究開発は,日本原子力研究所を中心に実施され,電子技術総合研究所,金属材料技術研究所,理化学研究所等が分担実施している。
 このように大規模かつ長期間に及ぶ核融合研究開発を大学をも含めて総合的かつ効果的に推進するため,昭和50年11月,原子力委員会の下に関係各分野の専門家による「核融合会議」が設置された。核融合会議においては,大学その他関係方面の連携協力の促進を図り,第2段階基本計画の推進方策について調査審議し,研究開発方策の検討・作成等を行った。
 昭和53年においては,第2段階計画に基づいて,日本原子力研究所,電子技術総合研究所及び理化学研究所等で次のような研究開発を行った。
 日本原子力研究所においては,第2段階基本計画の主計画である「臨界プラズマ試験装置(JT-60)」の本体部分については昭和53年4月製作契約の締結が行われ建設に着手した。電源設備などの付属設備・機器についても設計の詳細な検討を進め,昭和54年3月ポロイダム磁場電源の契約を行った。
 また,JT-60以降の核融合研究開発を進めるために必要な用地を茨城県那珂町に確保することとし,昭和54年10月にその一部の取得を行った。
 このほか,中間ベータ値トーラス装置(JFT-2)では中性粒子入射加熱実験及び高周波加熱実験後,昭和53年12月に改造を行い,プラズマの位置制御及び高密度加熱の実験を行つた。高安定化磁場試験装置(JFT-2a)については,ダイバータによる不純物除去実験に成果をあげ,昭和54年10月にはJFT-2aによる研究を終了した。非円形断面トーラス試験装置の設計研究,真空壁の表面現象の研究等についても研究開発が進められた。また,将来の核融合炉のためのシステム及び安全解析が行われた。
 理化学研究所においては,分光によるプラズマ測定及びプラズマの動的内部構造の測定などプラズマ診断技術に関する研究並びに動的真空技術の基礎的研究を行った。
 電子技術総合研究所においては,第1段階で建設した高ベータトーラス磁場装置(TPE-1)により逆磁場ピンチの実験が行われ,また,TPE-1の成果を基にプラズマ温度6百万度までを対象とする「圧縮加熱型核融合実験装置(TPE-2)」の建設が進められた。
 大学関係では,名古屋大学プラズマ研究所,京都大学ヘリオトロン核融合研究センター,大阪大学レーザー核融合研究センターを中心にプラズマ物理及び核融合に関する研究が行われたほか,国際協力については,国際原子力機関(IAEA)及び経済協力開発機構国際エネルギー機関(OECD-IEA)における活動に積極的に参加するとともに,協力の拡充強化を進めた。
 また,米国との核融合協力については,昭和54年5月1日,日米エネルギー研究開発等協力協定に調印し,8月から米国のプラズマ試験装置ダブレットIIIでの共同研究が開始された。また,昭和54年11月に米国において第1回日米核融合調整委員会が開催され研究者の相互派遣等の相互派遣等の協力が具体化された。日ソ間の協力については,昭和54年9月に第2回日ソ科学技術協力委員会が開催され,昭和54年11〜12月に日・ソ両国においてセミナーが開催された。


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