第7章 新型動力炉の開発
(参考)諸外国の動向

(1)高速増殖炉

 高速増殖炉は将来,軽水炉にかわって発電炉の主流を占めるものと考えられており,各国で開発が進められている。原子力先進諸国は概ね実験炉→原型炉→実証炉の3段階を経て商用大型炉へ向かうという開発方針をとっており,英国,フランス,ソ連では既に電気出力30万キロワット級の原型炉が稼働している。また西ドイツでは現在原型炉の建設が進行中で,高速増殖炉開発をほぼ同時期にスタートさせた我が国よりも開発が進んでいる。

①フランス
フランスの高速増殖炉開発は原子力庁(CEA)を中心に進められており,米国や英国に比べ出遅れたものの,その後一貫した自主開発路線により,昭和42年にはカダラッシュ研究所で実験炉ラプソディー (当初熱出力2万kW,昭和45年4万kW)を臨界にし,昭和48年には原型炉フェニックス(電気出力25万kW)を臨界した。引き続き,昭和51年12月には,実証炉スーパーフェニックス(電気出力120万kW)の現地工事がリョン東方のクレイマル・ビルで開始され,発注者NERSAと受注者ノバトム社との間の建設契約が昭和52年3月に発効し,昭和59年臨界を目途に建設が進められている。
②西ドイツ
西ドイツでは,昭和52年10月に西ドイツ初の高速増殖実験炉KNK-II(電気出力21万kW)が臨界に達した。KNK炉は,当初熱中性子炉として建設されたものを,プルトニウム―ウラン混合酸化物燃料使用の高速増殖炉炉心に改造し,名称もKNK-IIと改めた。
また,昭和48年に原型炉SNR-300(電気出力31.2万kW)を着工し,昭和59年臨界を目途に現在建設中である。
SNR-300に続く実証炉として,イタリア, フランスとの共同により,SNR-2(電気出力130万kW)の建設計画がたてられ,研究開発などの準備が進められている。
なお,昭和52年6月フランスと西ドイツの間で,高速増殖炉開発をより推進協力するため,それぞれの研究開発成果を共同管理し将来の高速増殖炉の実用化の際,成果の使用権を一元的に取り扱う会社の設立を含む高速増殖炉商業協定を締結させている。
③英国
英国では古くから高速増殖炉の開発に力を注いでおり,昭和34年には北スコットランドにある英国原子力公社(UKAEA)のドンレー研究所で実験炉DFR(Dounreay Fast Reactor電気出力1.5万kW)が臨界に達している。DFRは高速増殖炉燃料技術等に関して貴重な情報提供を行ってきたが,当初の任務を果し,昭和52年3月に閉鎖された。
DFRに続く炉として,UKAEAは原型炉PFR(Prototype Fast Reac-tor電気出力25万kW)を建設し,昭和49年3月臨界に達した。その後蒸気発生器に漏洩が起こり,点検修理に長い時間を要したが,昭和52年2月短期間定格熱出力運転に成功した。最初の商業実証炉であるCDFR(Co-mmerciaI Demonstration Fast Reactor,電気出力130万kW)について,UKAEAはNPC(Nuclear Power Company)と設計の契約を締結しており,現在概念設計中である。
④米国
世界で最も早く開発に着手した米国は,EBR-I,II,エンリコ・フェルミ炉,SEFORなど高速実験炉の建設を相次いで進め,特に広範囲にわたる基礎工学的研究開発に力を注いできたが,反面原型炉規模以降の計画に関しては,開発テンポが遅く,西欧先進諸国に遅れを見せている。
特に近年は,建設費の高騰に伴う開発資金の増大等により,FBR用燃料の照射試験施設FFTF(FastFluxTestFaci11ty,熱出力40万kW)の臨界が,当初計画の昭和48年末から昭和55年まで遅れ,また原型炉CR BR(Clinch River Breeder Reactor,電気出力38万kW)の建設計画も昭和48年に立地点が決められ,昭和51年には一部の機器の発注も始められたが,昭和52年カーター政権の核不拡散政策の強化によって予算が停止され,計画は現在大幅に遅れている。米国の高速増殖炉開発予算は年々増加してきたが,カーター政権に変わってからは,核不拡散等の観点から原子力政策全体の抜本的見直しが行われ,基礎的な研究開発は従来どおり継続するが,商業化にかかわる研究は当面延期するという方向で進められる模様である。
⑤  ソ  連
ソ連の高速増殖炉開発研究は英国と並んでかなり古く,昭和30年に臨界となった臨界集合体BR-1を手始めにBR-2(熱出力100kWやBR-5(熱出力5千kW→1万kW)など種々の実験施設を相次ぎ建設している。更に,ここで得られた研究成果や運転結果を基に,昭和34年には本格的実験炉BOR-60(熱出力6万kW)を,また,昭和47年には二重目的型の原型炉BN-350(熱出力100万kW,電気出力35万kW)をそれぞれ臨界にさせている。BN-350に関しては,昭和49年に蒸気発生器のトラブルが伝えられたが,その後修復され,昭和51年は順調に運転した模様である。
実証炉BN-600(電気出力60万kW)の建設は,BN-350の蒸気発生器トラブルの経験から慎重に進められており,完成が遅れ,昭和55年頃に完成の予定である。
これに次ぐ大型炉計画についてはかねてより検討が進められてきたが,最近電気出力160万キロワットの規模のBN-1,600の計画がスタートした。
⑥イタリア
イタリアは熱出力12万kWの実験炉PECを建設中であり,昭和46年からフランスの技術を導入して建設しているものの臨界は遅れている。
⑦インド
インドはフランスと技術提携してラプソディーに似た型で発電設備を持つ実験炉FBTR(熱出力4万kW,電気出力1.5万kW)を昭和47年から建設しており,昭和54年臨界の予定といわれている。

(2)重水減速炉

 軽水に比べて,中性子吸収の少ない重水を減速材として用い,中性子経済の優れた重水減速炉の開発は我が国のほか,カナダ,西ドイツで進められている。
 カナダでは,重水減速加圧重水冷却型のCANDU-PHW炉の開発を積極的に進め,既に昭和54年6月現在世界中で11基が運転中であり,アルゼンチン,インド,パキスタン,韓国等にも輸出されている。
 また,西ドイツが開発した重水炉については,現在,西ドイツで1基,アルゼンチンで1基が稼動しており,更に昭和54年10月には新たに1基,アルゼンチンへの輸出が決定された。


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