第4章 核燃料サイクル
4.再処理

 昭和53年9月,原子力委員会は原子力研究開発利用長期計画の中で,我が国の再処理について次のような基本的考え方を示した。
 「原子力発電所からの使用済燃料を,計画的かつ安全に再処理するとともに,回収されたウラン及びプルトニウムを再び核燃料として使用することは,ウラン資源に乏しい我が国にとって,必要不可欠である。このため,核燃料サイクル確立の一環として,再処理は国内で行うことを原則とし,我が国における再処理体制を早急に確立することとする。」このような基本的考え方に従って,動力炉・核燃料開発事業団による東海再処理施設の運転を通じ,我が国における再処理技術の確立を図るとともに,再処理需要の一部を賄うこととしているが,今後ますます増大していく再処理需要に対処するためには,より大規模な再処理施設として,民間再処理工場の建設が必要である。また,この間のつなぎとしては,海外への再処理委託で対処することとしている。

(1)東海再処理施設

 動力炉・核燃料開発事業団において,我が国初の再処理施設が東海村に建設され,昭和52年9月にホット試験が開始された。なお,この再処理施設の処理能力については,0.7トンウラン/日であり,処理方法は,世界的に使用されているピューレックス法である。
 このホット試験は昭和53年8月に酸回収蒸発缶の故障により中断したが昭和54年11月に再開し,現在に至っている。なお,この間19トンウランの使用済燃料が再処理され,約90kgのプルトニウムが抽出されている。

 また,東海村再処理施設の運転については,昭和52年9月に行われた日米共同声明及び日米共同決定に基づき,当初2年間,99トンウランを限度とする使用済燃料の再処理を行うこととなっていた。しかし,共同声明において,当初期間として2年間(54年9月まで)が言及されたのは,現在行われている国際核燃料サイクル評価(INFCE)の期間(当初2年間で終了するものと考えられていた)を考慮したものであったため,INFCEの期間が昭和55年2月末まで延長されたことに伴い,東海再処理施設に関する今後の日米両国間の協議にINFCEの成果を反映させる必要もあり,東海再処理施設の運転期間が昭和55年4月30日まで延長されることとなった(昭和54年10月1日,日米両国間で口上書を交換)。
 昭和52年9月,日米共同決定と同時に発表された日米共同声明において,「当初の運転期間が終了した時点において,もし運転試験設備(OTL)での実験作業の結果として,及びINFCEの結果に照らして,混合抽出法が技術的に実行可能であり,かつ効果的であると両国政府が合意するならば,本施設の運転方式は,在来の再処理法から全面的な混合抽出法に速やかに変更される。」とされた。
 これを受けて,動燃事業団は,OTLを使つて混合抽出技術に関する試験を行うほか,共沈法,流動床法,マイクロ波加熱直接脱硝法(MH法)の3つの混合転換技術について各種の研究を行ってきた。その結果,特に混合転換技術については,MH法が他の方法に比べ優れているとの見通しが得られ,その成果は,昭和54年9月の東海再処理施設に関する第3回日米技術専門家会合(昭和52年9月の日米共同声明をフォローするため,日米両国の専門家が技術的観点から情報交換等を行う会議)にも提出された。

(2)海外再処理委託

 今後増大していく我が国の再処理需要に対しては,この東海再処理施設のみをもって対処することは不可能であるため,より大規模な再処理施設,いわゆる民間再処理工場の建設が必要であるが,その運転開始までの措置として,海外への再処理委託によって対処することとしている。
 このため,我が国の電力会社はこれまで,英国核燃料公社(BNFL)及びフランス核燃料公社(COGEMA)と再処理委託契約を結んできており,この海外再処理委託による再処理と東海再処理施設における再処理によって昭和65年頃までの再処理需要を賄うことができる状況にある。
 具体的には,日本原子力発電-BNFL,東京電力-BNFL,関西電力-COGEMAの間で合計約1,500トンウランの再処理委託契約を結んでいるほか,9電力・日本原子力発電-BNFL及び9電力・日本原子力発電-COG EMAの間で合計3,200トンウランの契約を結んでいる。なお,このほか,日本原子力発電-BNFLの間でガス炉燃料について580トンウランの再処理委託契約を結んでいる。

(3)民間再処理工場

 民間再処理工場の建設については,原子力研究開発利用長期計画で示したように,今後増大する再処理需要に対処するためにはより大規模な再処理施設として民間再処理工場を建設する必要があり,また,この民間再処理工場は,本格的な商業施設として,その建設・運転は,電気事業者を中心とする民間が行うものとし,昭和δ5年頃の運転開始を目途に,速やかに建設に着手することが必要である。
 民間再処理工場建設のための準備は,従来より,この線に沿って進められてきた。すなわち,電力業界は,昭和49年6月,「濃縮再処理準備会」を設立し,ここが中心となって,サイトの調査,技術面の検討などを進めてきた。更に,昭和53年4月には,「濃縮再処理準備会」を発展的に解消し,電気事業連合会内に新たに「再処理会社設立準備会」を発足させるとともに,東海再処理施設に技術者を派遣するなど,準備が進められてきた。そして昭和54年6月,2年以上の国会審議を経て,再処理事業民営化のための原子炉等規制法の改正が行われたことに伴い,昭和54年7月,「再処理会社設立準備委員会」が発足した。同委員会は,民間において再処理会社を昭和55年早期に設立するために必要な事項の検討を行い,これにより設立発起人会が昭和54年12月に開催の運びとなった。


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