第Ⅱ部 原子力開発利用の動向
第8章 原子力船の研究開発

1 原子力第1船「むつ」の開発

(1)原子力船「むつ」の開発
 近年,船舶の大型化及び高速化は著しく,これら船舶に必要とされる高出力推進機関としては,在来推進機関では消費燃料の増大などの点に問題が生じるために限界が予想され,さらに石油の国際的な需給問題からも原子力船の実用化に対する期待は大きいものがある。
 原子力船の実用化のためには,在来船と経済的に十分匹適でき,かつ,十分な安全性,信頼性をもつ原子力船の技術開発に努めることはもとより,原子力船の安全に関する国際基準の制定,出入港及び航行の自由のための制度確立等の諸問題を解決しなければならない。
 世界的な造船海運国である我が国としても,将来の原子力船時代に備えて,原子力船の研究開発を着実に進めていくことが必要であるばかりでなく,実用化を促進するために原子力船の安全性等に関する国際的な基準の早期確立に積極的な役割を果たす必要がある。
 我が国の原子力船開発は,昭和38年に日本原子力船開発事業団を設立するとともに,「原子力第1船開発基本計画」(昭和38年7月決定,昭和42年3月,昭和46年5月及び昭和53年3月改訂)を決定することによつて本格的に開始された。
 この基本計画によれば,総トン数約8,000トン,主機出力約10,000馬力,航海速力約16ノットで特殊貨物の輸送及び乗組員の養成に利用できる原子力第1船の開発を行うこととしている。
 日本原子力船開発事業団は,この基本計画に基づき,原子力第1船「むつ」の開発を進めてきたが,昭和49年9月,「むつ」の出力上昇試験の際生じた放射線漏れのため,その開発計画は一時停滞の止むなきに至つた。

(2)原子力船「むつ」の開発の見直し
 このような事態に対処し,政府は,「むつ」放射線漏れの原因を調査するため,総理府において「むつ」放射線漏れ問題調査委員会(昭和49年10月29日閣議決定)を開催し,専門的な調査検討を求めたが,同調査委員会は,昭和50年5月13日,調査報告書を政府に提出した。報告書では,政策,組織,技術及び契約の4点について問題点を指摘するとともに,「むつ」は技術的にみて全体としてはかなりの水準に達しており,適切な改修によつて所期の目的を十分達成し得るものであるとの結論がなされ,今後の開発の進め方についての提言を行つている。
 原子力委員会は,昭和50年6月10日,「むつ」からの放射線漏れは,極めて微量であつたとはいえ,これを一つの契機として原子力行政について国民全般に広く不信感が発生したことは極めて遺憾とするところであり,同調査委員会の調査報告及び提言を責重な見解として尊重するとともに,今後の施策にできる限り反映させていく旨の見解を発表し,併せて,「むつ」の開発計画を継続すべきこと,「むつ」の改修に当たつては開発主体である日本原子力船開発事業団の技術水準の向上を図ること及び,国の責任において十分な審査を行うこと等の前提条件を満たすことが必要であるとの考えを明らかにした。
 更に,原子力委員会は昭和50年3月18日に「原子力船懇談会」を設置し,原子力船開発の今後のあり方,それを踏まえての原子力第1船の開発計画,日本原子力船開発事業団のあり方等について抜本的な見直しを行つてきた。
 同年9月11日,同懇談会は,「むつ」は適切な改修を施すことによつて所期の目的を達成させることが可能であり,したがつて当面「むつ」を改修し,開発の軌道に乗せ,国産技術による原子力船建造の貴重な経験を積むことに関係者は最大の努力を傾注すべきであること,さらに,将来の実用化に備えるため「むつ」の開発と併行して改良舶用炉・関連機器の開発等舶用炉プラントとしての広範囲な研究開発等を進める必要があること等の報告書をとりまとめた。
 これを受けて原子力委員会は,昭和50年9月23日,我が国としては,エネルギー政策のみならず,造船・海運政策の観点からも原子力船開発を今後も積極的に推進し,世界の大勢に遅れることのないよう配慮すべきであるとの観点から「むつ」の開発を積極的に推進することとし,そのため,現行の「原子力第1船開発基本計画」を原子力船の実用化に至るまでの研究開発との関連を考慮しつつ改訂すること,「昭和51年3月31日までに廃止するものとする。」と規定されていた「日本原子力船開発事業団法」を必要な期間延長すること等について決定した。
 一方,政府は,「むつ」の安全性の確保において責任の所在を明確にすべ々であるとの指摘に応えるため,科学技術庁と運輸省は合同で専門家からなる「むつ」総点検・改修技術検討委員会(昭和50年8月12日決定)を開催し,日本原子力船開発事業団が策定する「むつ」の総点検・改修計画について国の立場から厳重にチェックする休制を整備した。同検討委員会は慎重審議の結果,昭和50年11月25日,日本原子力船開発事業団の遮へい改修・総点検計画は妥当であり,この実施に当たつても「むつ」周辺環境の安全は十分保持し得る旨の第1次報告書を取りまとめた。
 政府は,これらの委員会等の意見を踏まえ,昭和50年12月12日原子力船関係閣僚懇談会において「むつ」の開発を継続すべきことを決定した。
 また,政府は,日本原子力船開発事業団法の改正法案(廃止するものとされる期限を昭和61年3月31日まで延長)を昭和51年1月第77回国会に提出したが,第78回国会で廃案となつた。
 このため,政府は同事業団法の改正法案(廃止するものとされる期限を昭和62年3月31日まで延長)を昭和52年2月第80回国会に提出したが,継続審議となり,第81回国会においても,継続審議となつた。第82回国会に至つて,昭和52年11月同事業団法案は,廃止するものとされる期限を昭和55年11月30日までとするよう修正のうえ,可決,成立した。この修正の趣旨は,日本原子力船開発事業団が原子力船についての研究開発機関に移行するために必要な措置として,同法の廃止されるものとする期限を4年8ケ月間延長するというものであり,現在,政府においては,この趣旨を体して鋭意検討が進められているところである。
 また,原子力委員会は,この法案の成立の趣旨を体し,昭和53年3月10日,原子力第1船開発基本計画について,原子力第1船は,遮へい改修及び安全総点検を行い,建造をできるだけ早期に完了するものとする等の改訂を行つた。これを受けて,昭和53年4月4日,内閣総理大臣及び運輸大臣は,その定める原子力第1船開発基本計画について同様の改訂を行つた。

(3)新定係港及び修理港
 政府は,昭和49年10月,青森県,むつ市及び青森県漁連との間で締結した「原子力船「むつ」の定係港入港及び定係港の撤去に関する合意協定書」に基づき,「むつ」の新定係港を決定すべく,科学技術庁及び運輸省からなる新定係港推進本部を設け,その選定作業を進めてきたが,「むつ」について修理,点検を行い,その安全性を確認することが先決であるとの判断から,とりあえず,「むつ」の修理,点検を行う修理港を決定し,その後新定係港を選定することとした。昭和51年2月10日,内閣総理大臣から長崎県知事及び佐世保市長に対し,佐世保港を修理港として受け入れることについて,協力を依頼するとともに,政府及び日本原子力船開発事業団は,直接地元住民を対象とする説明会の開催等により地元の理解と協力が得られるよう努力してきた。
 この結果,佐世保市においては昭和52年4月1日,政府要請どおり,「むつ」受入れ受諾を同市議会が議決し,一方長崎県においては,昭和52年4月30日,「核燃料体を取り外して入港すること」を条件に受入れを県議会が議決した。
 政府は,長崎県議会の議決後,「むつ」総点検・改修技術検討委員会において,燃料体の取出しの安全性等について技術的検討を行い,昭和52年7月,燃料体の取出しは十分安全に実施し得るとの結論を得るとともに,燃料体を装備したままでの修理は可能であり,安全性は十分に確保し得るとの確認も併せて行つた。
 政府は,その後も,「むつ」修理港受入れについて長崎側と折衝を続けてきたが,昭和53年4月,長崎県知事は地元の事情を勘案し,いわゆる原子炉封印方式による「むつ」受入れを提案した。
 政府は,これを受けて,昭和53年5月8日,「むつ」総点検・改修技術検討委員会に諮つたうえで,同月12日,原子力船「むつ」関係閣僚会議において,所要の総点検・改修はすべて行い得るとの理解の下に,
(イ)圧力容器上蓋を撤去しないで総点検・改修を行うものとすること。
(ロ)回航に先立ち,長崎県知事に対し,原子炉運転のため設けられている運転モードスイッチの鍵及び制御棒駆動盤の鍵を引渡し,長崎県知事は佐世保での総点検・改修期間中,これを管理・保管するものとすること。
 の措置を講ずることとして,「むつ」修理港受入れについて再要請を行うことを決定し,翌13日,科学技術庁長官,運輸大臣及び内閣官房長官から長崎県知事及び佐世保市長に対し,その旨再要請を行つた。
 これに対し,長埼県知事及び佐世保市長は,それぞれ「むつ」受入れについて議会に諮問したところ,昭和53年6月1日に県議会が,同月3日に市議会が,それぞれ同意する旨議決した。これを受けて,昭和53年7月18日,長崎県知事及び佐世保市長は,政府に対し,「むつ」を受入れる旨回答し,同月21日,科学技術庁,日本原子力船開発事業団,長崎県,佐世保市及び長崎県漁連との間で「原子力船「むつ」の佐世保港における修理に関する合意協定書」が締結された。この結果,日本原子力船開発事業団においては,昭和53年10月,「むつ」を青森県むつ市の大湊港から,佐世保港に回航し,今後約3年間の予定で,修理・点検を行うこととなつた。
 また,修理港問題の解決に伴い新定係港の選定作業を再開することとなり,日本原子力船開発事業団は,昭和53年8月,新定係港の選定方針をとりまとめ,現在選定作業を進めている。


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