第6章 新型炉と核融合の研究開発
(参考)諸外国の動向

(1)高速増殖炉

 世界における高速増殖炉(FBR)開発の歴史は古く,米国において,昭和21年に臨界に達した小型高速実験炉クレメンタイン(熱出力25KW)から始まった。その後1950年代には英国とソ連が,1960年代にはフランスが相次いで高速増殖炉開発に着手しており,更に遅れて西ドイツ及び日本が着手し,その後各国の研究開発は着実に進展した。現在は,フランス,英国,ソ連では,原型炉段階から実証炉段階に進もうとしている。

① フランス
 フランスの高速増殖炉開発は原子力庁(CEA)を中心に進められており,米国や英国に比べ出遅れたものの,その後一貫した自主開発路線により,昭和42年にはカダラッシュ研究所で実験炉ラプソディー (当初熱出力2万KW,昭和45年4万KW)を臨界にし,昭和48年には原型炉フェニックス(電気出力25万KW)を臨界にした。引き続き,実証炉スーパーフェニックス(電気出力120万KW)については,リヨン東方のクレイ・マルビルで,昭和51年12月より現地工事が開始され,発注者NERSAと受注者ノバトム社との間の建設契約が昭和52年3月に発効し,昭和58年臨界を目途に建設が進められている。
 更に実証炉に引き続く大型炉についても,SAOH計画として120万~180万キロワットの規模で4~5基建設を進めていくことを計画している。

② 西ドイツ
 西ドイツでは,昭和52年10月に,西ドイツ初の高速増殖実験炉にKN K-II(電気出力2.1万KW)が臨界に達した。KNK炉は,当初熱中性子炉として建設されたものを,プルトニウム―ウラン混合酸化物燃料使用の高速炉炉心に改造し,名称もKNK-IIと改めた。
 また,昭和48年に原型炉SNR-300(電気出力31.2万KW)を着工し,昭和56年臨界を目途に現在建設中である。
 SNR-300に続く実証炉として,イタリア,フランスとの共同により,SNR-2(電気出力130万KW)の建設計画がたてられ昭和57年頃着工を目標に研究開発などの準備が進められている。
 なお,昭和52年6月フランスと西ドイツの間で,高速増殖炉開発をより推進協力するため,それぞれの研究開発成果を共同管理し将来の高速増殖炉の実用化の際成果の使用権を一元的に取り扱う会社の設立を含む,高速炉商業協定を締結させている。

③ 英 国
 英国では古くから高速炉の開発に力を注いでおり,昭和34年には北スコットランドにある英国原子力公社(UKAEA)のドンレー研究所で実験炉DFR(Dounreay Fast Reactor 1.5万KW)が臨界に達している。
 DFRは高速炉燃料及び高速炉技術等に関して貴重な情報提供を行ってきたが,当初の任務を果たし,昭和52年3月に閉鎖された。
 DFRに続く炉として,UKAEAは同じくドンレーに原型炉PFR(Prototype Fast Reactor,25万KW)を建設し,昭和49年3月臨界に達したが,その後蒸気発生器に漏洩が起こり,点検修理に長い時間を要した。昭和52年2月短期間定格熱出力運転に成功したが,現在は保守のため停止中である。最初の商業実証炉であるCFR-1(CommerciaI Fast Reactor,130万KW)について,UKAEAはNPCと設計の契約を締結しており,現在概念設計中である。

④ 米 国
 i) 世界で最も早く開発に着手した米国は,EBR-I,IIエンリコ・フェルミ炉,SEFORなど高速実験炉の建設を相次いで進め,特に広範囲にわたる基礎工学的研究開発に力を注いできたが,反面,原型炉規模以降の計画に間しては,開発テンポが遅く,西欧先進諸国に遅れを見せている。
 ii) 特に近年は,建設費の高騰に伴う開発資金の増大等により,FBR用燃料,材料の照射試験施設FFTFの臨界が当初計画の昭和48年末から昭和54年まで遅れ,また,大型原型炉CRBR(380MWe)の建設計画も従来の民間主導方針からエネルギー省主導の計画へと変化している。
 iii) こうした事情により,米国の高速増殖炉開発予算は年々膨張してきたが,カーター政権に変わってからは,核拡散防止等の観点から原子力政策全体の抜本的見直しが行われ,基礎的な研究開発は従来どおり継続するが商業化にかかわる研究は当面延期するという方向で進められる模様である。

⑤ ソ 連
 ソ連の高速増殖炉開発研究は英国と並んでかなり古く,昭和30年に臨界となった臨界集合体BR-1を手始めにBR-2(100KWt)やBR-5(5MWt→10MWt)など種々の実験施設を相次ぎ建設している。更に,ここで得られた研究成果や運転結果をもとに,昭和34年には本格的実験炉BOR-60(60MWt)を,また,昭和47年には二重目的型の原型炉BN-350(1,OOOMWt,350MWe)をそれぞれ臨界にさせている。BN-350に関しては,昭和49年に蒸気発生器のトラブルが伝えられたが,その後修復され,昭和51年は順調に運転した模様である。
 実証炉BN-600(600MWe)の建設は,BN-350の蒸気発生器トラブルの経験から慎重に進められており,完成が遅れ,昭和55年頃に完成の予定である。
 これに次ぐ大型炉計画についてはかねてより検討が進められてきたが,最近1,600MWe規模のBN-1600計画がスタートし,現在,ループ型,タンク型の両方について設計が行われている。


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