第3章 国際関係活動
4 研究開発に関する国際協力等

(1)二国間協力

① 日米原子力安全性研究協力
 昭和48年に,軽水炉に関して,科学技術庁原子力局と当時の米国原子力委員会〔現在は,米国原子力規制委員会(USNRC)〕で始められた本協力は,順調に進展し,この成果を受けて,昭和51年3月に協力分野が高温ガス炉に拡大され,更に52年7月には,高速増殖炉をも対象範囲に含めることとなった。
 この協力の特色は,従来の単なる情報交換にとどまらず,日米双方が互いの研究開発計画を密接に調整し合い,効率的な研究開発の推進を目指しているところにある。
 実際,米国LOFT計画(軽水炉安全研究),PBF計画(同上)には我が国から常駐研究員が派遣されており,また,我が国NSRR計画(日本原子力研究所)には,米国研究員が東海村に長期派遣され,研究に参加している。更にこれら協力計画に関しては,その実施計画の検討に互いに代表を参加させており,その場で実質的な調整が行われている。
 これらの,進んだ協力形態は,本分野における我が国の実力の向上が世界的に認められたことにより始めて可能になっものである。
 本協力の一環として,専門家会合としては,日米大型再冠水試験計画会議(軽水炉安全性)が52年2月に東京で開かれる一方,52年9月,米国ブルックヘブンにて,高温ガス炉第1回情報交換会議が開かれるなど,協力は順調に発展を続けている。

② 日米高速炉協力
 高速増殖炉に閏する日米協力は,昭和44年3月に,動力炉・核燃料開発事業団と当時の米国原子力委員会(現在,エネルギー省)との間で結ばれて以来,順調に続けられ,両国の開発の進展に伴ない51年3月には基礎技術から工業技術へ協力協定の範囲を拡大することとし,これとともに協力の円滑な運営を図るために日米合同調整委員会を設けることとなり,その第1回会合が51年6月に東京で開催された。
 協力の密接さとしては,専門家会合が,最近では,年10回以上の頻度で開かれていることからもうかがえるが,昭和44年以来,着実に交流が続けられてきた成果としての人的な連帯の価値は,はかり知れぬものがあり,この重要さは,52年6月,両国専門家による東海再処理施設合同調査において,如実に示された。

③ 日米規制情報交換協力
 両国における規制の体制,その考え方及び経験について,詳細かつ迅速な情報交換を行うために,昭和49年度に始められた本協力は,原子力安全局,資源エネルギー庁と米国原子力規制委員会との間で,定常的に行われている。一般的情報交換は,主にレポート等の交換,規制担当者の相互訪問等によって行われているが,この他,本年度は,11月に米国同委員会スタッフ5名,米国原子炉安全性諮問委員会委員2名が来日し,東京において規制情報交換会議が開催された。

④ 日独原子力安全性協力
 昭和49年10月に締結された日独科学技術協力協定に基づいて,軽水炉安全研究について,両国の協力を進めるために,昭和50年4月以来,両国コーディネーター(科学技術庁原子力局技術振興課長及び西ドイツ研究技術省軽水炉技術課長)間で,協力の具体的態様の検討のために,第1回(50年4月,ボン),第2回(51年3月,東京)のコーディネーター会合を開催する等により協議が続けられた結果,合意が得られ,第2回日独科学技術協力合同委員会(51年6月,ボン)での了承を受けて,同年7月から協力が開始された。

⑤ 日独高温ガス炉協力
 前述第2回合同委員会において,日独科学技術協力の新分野として高温ガス炉を加えることを我が国から提案し,これに応えて西ドイツ側が日本における現状調査のため調査団を派遣することとなり,1月24日から29日の間,西ドイツユーリッヒ研究所のエンゲルマン博士を長とする一行4名が来日した。
 この結果,協力の具体的内容について,日本原子力研究所とユーリッヒ研究所との間で詳細につめることとし,両機関による協議の結果,両国での協力が有意義であるとの結論に達し,昭和52年4月に開催された第3回合同委員会において,「高温ガス炉パネル」の設置が合意され,双方の連絡者として,科学技術庁原子力局技術振興課長及び西ドイツ研究技術省新型炉開発課長が指名されて,協力の具体化が進められることとなった。
 第1回「高温ガス炉パネル」は,昭和52年6月に西ドイツユーリッヒ研究所で開催され,そこでの合意により,具体的協力が開始された。

⑥ 日独高速炉協力
 高速増殖炉の分野における日独協力は,動力炉・核燃料開発事業団と,カールスルーエ原子力研究協会との間で,昭和46年以来行われていたが,昭和51年5月に満了した当初協力協定が,更に一年間延長されることとなった。

⑦ 日仏規制情報交換協力及び安全研究協力
 昭和51年4月に来日したドルナノフランス産業研究大臣と佐々木科学技術庁長官との間の大臣会談で,原子力規制,軽水炉安全研究での両国協力について積極的に検討することが合意された。これを受けて,規制に関しては協力取極文の作成作業が開始され,また安全研究については,昭和51年6月,都甲泰正原子力委員会専門委員を団長とする調査団が,訪仏し,フランスにおける安全研究の実情を調査し,また,これに応えて,フランス調査団が昭和52年6月に来日し,今後,双方の関心事項を明確にしつつ協力の具体的態様について検討を進めることとなった。

⑧ 日仏放射線化学協力
 昭和44年以来,日本原子力研究所と,フランス原子力庁との間で,放射線化学の分野での協力が順調に続けられており,昭和51年4月には,協力対象の拡大が合意されている。

⑨ 日英高速炉協力
 高速増殖炉分野での協力は,昭和46年以来,日本原子力研究所と動力炉・核燃料開発事業団及び英国原子力公社との間で続けられており,昭和50年には商業発電用炉一般を新たに協力対象として,5年間の延長がなされたが,その後更に,我が国における高速増殖炉開発の進展を反映して,昭和51年7月,本協定の技術範囲に原子力プラントを入れる等の拡大が行われている。

⑩ 日ソ原子力協力
 我が国とソビエト連邦との原子力分野の協力は,政府間のものは昭和48年に締結された日ソ科学技術協力協定の枠内で行うこととしており,協力の可能性の具体的検討のために,第1回の両国の委員会が昭和53年始めに開催される予定である。他方,民間による交流の一環として,昭和52年11月18日に産業界とソ連政府とは相互交流を中心とした民間協定に署名している。
 我が国としては,両国相互に利益となるように,日ソ間の原子力協力を進めていくこととしている。


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