第3章 国際関係活動
2 各国との原子力協力協定の動き

(1)日米原子力協力協定の動き

 我が国として最初の原子力協定である日米原子力協定(いわゆる「研究協定」)は,昭和30年12月に発効し,この協定に基づき,我が国最初の原子炉として日本原子力研究所に二つの研究炉(JRR-I,JRR-II)が導入され,また,その燃料の濃縮ウランが供給されたが,その後,我が国の原子力平和利用の進展に伴い,濃縮ウラン供給枠の拡大,動力炉導入等のため,数次にわたる一部改正あるいは全面改訂が行われてきた。
 現行の日米原子力協定は,昭和43年7月に発効のものを,濃縮ウラン供給枠の大幅拡大のために,昭和48年に改訂したものである。
 先般の日米再処理交渉の発端となったのは,米国濃縮核燃料の再処理の共同決定条項(8条C項)であったがこの規定が現行協定に入るまでの変遷は次のとおりである。
 昭和30年の協定(第3条C項)では,当時,我が国は,燃料要素を米国から賃借しており,したがって使用済燃料は米政府に返還され,原則として我が国での再処理は認められていなかった。
 昭和33年の協定(第7条E項)では,再処理は米政府の裁量により米政府で受諾する施設において行うことができるようになり,これは一つの進歩であった。
 昭和43年の協定になると,再処理は保障措置が効果的に適用されるとの日米両政府の共同決定に基づき日本国の施設において行うことができることとなり(8条F項),これは,旧協定に比べて明文的に日本国内での再処理を予見している他,米政府の一方的な裁量ではなく,日米両政府が保障措置の効果的な適用について,それぞれ見解を述べられることとなっており,共同決定に当たって日本側の意見が反映されることになっている点で,旧協定に比し改善されている。
 なお,この条項は,48年での改訂でもそのまま残り8条C項となっている。
 我が国東海再処理施設の運転を迎えるに当たり,日米両国にとって初めて,この8条C項に基づく条約上の共同決定が必要となったため,昭和51年末以来9カ月余の日米再処理交渉が行われ,その結果,日米両国の合意が得られ,2年間,99トンについての運転が9月12日に共同決定された。
 なお,核燃料等原子力資材の再処理,移転等に関しての米国の同意を必要とする等,日米協定に定められた規制条項は,米国が締結している他の18カ国との協定(研究協力協定を除く)にも規定されているものである。ただし,英国,フランス,西ドイツ等欧州原子力共同体請国との間では米-欧州原子力共同体協定が結ばれているが,同協定には日米協定上の「共同決定」に当たる条項は存在していないが,これは,この協定の締結が昭和33年であり,まだ米国の方針が「共同決定」のような再処理規制を明文化するに至らない時期であったことが背景と考えられるが,核拡散防止問題に対して,米政府は現在では厳しい認識を有しており,米国としては,逆に米-欧州原子力共同体協定中にも,再処理についての米国の同意を必要とする旨の規定を入れるべく改訂するという動きが,うかがえる。
 他方,米国議会においては,核拡散防止の強化を図るため,原子力関係輸出基準の整備を図ること等を目的として,「核拡散防止法」が討議されており,その具体化のためには,「各国と結ばれている原子力協定を改訂するため再交渉をする。」としている。


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