第2章 原子力開発利用をめぐる国際情勢と我が国の進路
第2節 日米原子力交渉の経緯とその意義

1 我が国の対応と交渉の経緯

 米国の原子力政策の転換は,昭和46年以来建設を続けてきた動力炉・核燃料開発事業団東海再処理施設の運転を開始しようとしていた我が国にとって,直接的影響を与えるものとなった。
 すなわち,同再処理施設では,日米原子力協定の下で米国から輸入した濃縮ウラン燃料を再処理することとしていたため,我が国は,同協定第8条Cに基づき,再処理の実施について米国との共同決定を得るべく昭和51年夏より準備を進めていたところだったからである。
 本件に関する米国側の反応は,原子力政策の転換の徴候を反映して当初から極めて厳しく,米国で濃縮されたウランの再処理について同意を取り付けることは困難視された。
 こうした米国側の態度に対し,我が国は,原子力開発利用が我が国のエネルギー上の安全保障及び経済発展にとって必要不可欠であるとの認識の下に,
(1) 核拡散防止の強化には積極的に協力する。
(2) 原子力平和利用の推進と核拡散防止は両立させるべきである。
(3) 核拡散条約においては,非核兵器保有国での原子力平和利用が保証されており,同条約の加盟国が原子力平和利用で差別されてはならない。
との点を基本的立場として交渉に臨んだ。
 交渉は,昭和51年末より始められ,52年1月に来日したモンデール副大統領と福田内閣総理大臣との会談,並びに,2月の井上原子力委員会委員長代理を代表とする使節団の派米により,我が国の基本的立場を米国へ繰り返し説明した。3月にワシントンで開かれた日米首脳会議において,福田内閣総理大臣は,①核兵器の不拡散には全面的に賛成であること,②資源小国の我が国にとって原子力の平和利用は,それと同様に重要であることを主張し,両国にとって受け入れられる解決策を見出すために,緊急な協議を続行することが合意された。日米首脳会談後,帰国した福田内閣総理大臣は,直ちに対米交渉の責任者として宇野科学技術長官を指名し,これを受けて宇野科学技術庁長官は,鳩山外務大臣及び田中通商産業大臣の3者による核燃料特別対策会議を開催し,対米交渉の国内体制を確立した。
 これらの準備を踏まえ,昭和52年4月にはワシントンで第1次日米交渉が行われ,再処理施設についての保障措置,運転計画,我が国の新型炉開発計画等,技術的,専門的事項について詳細な協議が行われた。
 また,5月に,ロンドンで主要国首脳会議が開催され,その際,当面の経済政策の話合いとともに,原子力の平和利用と核不拡散の両立の道をいかに求めるかということに関し,精力的な討論が行われた。その結果,核燃料サイクルの国際的評価作業を進めることを含めて,平和利用と核不拡散を両立させる方途について,国際的に検討を進めることが合意された。この会議に際し,福田内閣総理大臣はカーター大統領に対し,我が国の主張を再び強調するとともに,早期解決を強く要請した。
 このような経緯の中で,米国の理解も次第に深まり,早期解決の機運が高まった。
 6月に入り,ワシントンにおいて,新関原子力委員会委員を団長として第二次交渉が行われ,動力炉・核燃料開発事業団の東海再処理施設について,日米両国の専門家による日米合同調査を実施することが合意され,同合同調査が6月末から東海村及び東京にて行われた。
 この調査は東海再処理施設に関して,既存の方法を含む種々の再処理方法について,その技術上,経済上及び保障措置上の側面に関して,専門的,技術的調査を行った。その結果,本件に属する両国の共通の理解と認識を形成することができ,来たるべき第3次交渉における解決への道を開くこととなった。
 第3次日米交渉は,東京において8月29日から開催され,宇野科学技術庁長官とスミス核拡散問題担当大使との間の極めて率直な意見交換を通じ,両国の主張の隔りを順次解決することができた。この結果,9月1日,我が国の主張に沿って,東海再処理施設を運転することに関し,両代表の間で原則的な合意が成立した。


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