第1章 原子力開発利用の当面の諸問題

 (我が国のエネルギー供給に占める原子力の地位)
 昭和51年度の我が国のエネルギー消費は,石油換算で約3億9千万kl,国民1人当り約3.5klであり,近年の経済の停滞を反映して,昭和48年度水準にとどまった。
 しかしながら,今後,我が国経済社会の発展を維持し,国民福祉の向上を図るためには,エネルギーの安定的な供給を確保することが必要不可欠である。昭和52年6月に発表された「総合エネルギー調査会需給部会」の資料によれば,省エネルギーに格段の努力をしても,昭和60年代前半には,エネルギー消費量は昭和50年度の2倍強になると見込まれている。
 我が国のエネルギー需給構造をみると,次のような特徴がある。
① 国内のエネルギー資源は,水力,石炭等をあわせても総エネルギー消費の10%程度を満たすのみで,輸入依存度が極めて高い。
② 国内の水力,石炭等は,その供給余力が乏しく,今後とも大幅な増加が望み得ない。
③ 全エネルギー供給の70%以上を輸入石油に依存しており,しかも石油の輸入先の約4分の3は中東地域に集中している。
 特に,主要なエネルギー源である石油の供給は,産油国の動向いかんに左右されていること,将来は量的制約も予想されること等からみて,今後とも不安定な状況にあると見なければならない。
 このため,我が国としては,石油に代替するエネルギー源の開発・導入の促進,石油の安定的供給確保,新エネルギー技術開発等エネルギー源の多様化の推進,エネルギー節約の推進等エネルギーの安定供給の確保に一層積極的に取り組んでいかねばならない。
 なかでも原子力発電は,石油代替エネルギーの重要な柱として,その推進は今後のエネルギー政策の上で最も重要なものの一つである。
 すなわち,
① 原子力は,ウラン-235 1gが完全に核分裂した際に得られるエネルギーが石油の約2kl分に相当するなど,比較的少量の核燃料により豊富なエネルギーが得られるため,燃料の輸送及び備蓄が化石燃料に比べて容易である。
② また,核燃料サイクル技術の確立によって,使用済燃料中の未燃焼のウラン及びプルトニウムを再利用することができる。
③ 以上の意味で原子力はいわば準国産エネルギーであり,長期的なエネルギー供給の安定化に貢献することができる。
④ 更に,現在研究開発の途上にある他の新エネルギーに比べ,原子力発電は既に実用化されている技術であり,直ちに石油代替エネルギーとして利用することができる。

 (原子力発電の現状と見通し)
 昭和41年7月に,日本原子力発電(株)東海発電所で産ぶ声をあげた商業用原子力発電所は,昭和52年10月現在14基,発電設備容量で約800万キロワットが営業運転に入っており,総発電設備容量の約8%を占め,九州地方の発電設備容量を上回るものとなった。このように,原子力発電は,既に,石油に代替するエネルギー源として,我が国のエネルギー供給上欠くべからざる役割を担うに至っている。
 また,将来の原子力発電の需給見通しについては,現在,原子力委員会及び通商産業省の総合エネルギー調査会等において,見直しを進めているところであるが,先述の総合エネルギー調査会需給部会がまとめ,9月2日,総合エネルギー対策推進閣僚会議に報告した資料によれば,昭和60年度の原子力発電規模は,原子力発電をより一層強力に推進した場合で3,300万キロワット(総発電設備容量の18.8%),対策を現状維持とした場合で2,600万キロワット(総発電設備容量の14.8%)とされている。

 (原子力発電の安全性と立地に関する問題)
 昭和52年度に入つて,定期検査等を通じて,沸とう水型原子力発電所の配管の応力腐触割れ等の故障が発見され,これの修理,補修のため運転停止期間が長引き,52年度上半期の設備利用率は総平均で40%を割ることとなった。
 しかし,これらの故障は,いずれも,あらかじめ組込まれている安全計測機器によ,て発見され,あるいは法令に定める定期検査時に発見されたものであり,それぞれ入念な原因探究と慎重な補修が行われている。したがって,これらは,いわば予防的に安全策を講じているものであり,それをもって原子力発電の安全性を疑うことは適当でない。いずれの場合も所要の補修が終了し次第,正常な運転が再開されることとなっている。
 一方,昭和51年12月の政府による立入り検査によって,美浜原子力発電所1号炉における燃料棒の折損事故が3年間余報告されなかったことが明らかとなり,世上の批判を招いた。この事故自体は,調査の結果,周辺環境への影響はなかったと判断されるが,このように原子炉設置者が,報告義務を怠ったことは,国民の不信あるいは安全に対する不安感を抱かせる要因となったことと反省される。これについては,原子力委員会は当該原子炉設置者に対し反省を求めるとともに,所要の対策を講じるよう要請した。関係省庁は,この要請を受け,厳しい措置を講じるとともに,今後再びかかる報告を怠ることのないよう指導している。
 このような故障等の現象が,国民の原子力に対する不安感を助長する要因となっており,それが,原子力発電所の新規立地等に当たって地元住民から反対を受ける一因となっていることも否定できない。
 原子力発電所の立地についてみれば,電源開発調整審議会の議を経て電源開発基本計画に組み入られた原子力発電所の建設計画は,近年の経済の停滞とも相まって,昭和50年度,1基89万キロワット,51年度,1基110万キロワットであり,52年度では未だ1基も決定されていない。これらを含めて,計画として確定された我が国の原子力発電規模は,29基約2,200万キロワットとなった。原子力発電所の立地の促進を図るためには,より一層安全確保の徹底を図ることはもとより,原子力についての国民の理解と協力を得るための,きめの細い諸対策を講ずることが必要であると考える。
 政府においては,原子力発電所を含む電源開発の立地難を打開するため,総合エネルギー対策推進閣僚会議を昭和52年6月に開催し,地方公共団体との密接な連けいの下に,官民一体となって立地を推進するための諸対策を決定し,更に9月には,地元住民の福祉の一層の向上を図るため,電源三法の運用改善を骨子とする対策を決定し所要の措置を講じつつある。

 (技術開発の進展)
 昭和52年に入って,これまで動力炉・核燃料開発事業団等を中心として進めてきた核燃料サイクル及び新型炉の分野における開発努力がようやく実ってきた。今後,これらの開発成果を踏まえて,核燃料サイクル技術を中心として,整合性ある総合的な技術体系確立へ向かって進むこととなった。
 また,日本原子力研究所を中心とした軽水炉安全研究が,着実な進展をみせたほか,国公立試験研究機関等における原子力関係基礎研究も着実に進展した。
 このような進展を背景として,軽水炉安全研究の分野では,米国等との共同研究計画が開始されることとなった。

 核燃料サイクル
 ウラン濃縮技術については,これまでのカスケード試験を含む研究開発成果を踏まえ,昭和52年8月にウラン濃縮パイロットプラントの建設が着手された。
 また,昭和46年から建設を進めていた動力炉・核燃料開発事業団東海再処理施設は,通水試験,ウラン試験を経て,昭和52年9月から使用済燃料を用いての試運転に入り,昭和53年秋には,本格運転の予定となっている。
 また,再処理の本格化に備え,国内輸送体制の整備が着実に進められた。

 新型炉開発
 昭和42年から,軽水炉に続く次代の原子炉として,動力炉・核燃料開発事業団を中心として開発を進めてきた高速増殖炉開発において昭和52年4月,その実験炉「常陽」が臨界に達し,その後,順調に低出力試験を終了した。

 また,昭和42年から産業界の協力を得て動力炉・核燃料開発事業団で開発を行ってきた新型転換炉の原型炉「ふげん」が,昭和53年春には臨界が予定されるに至っている。
 更に,日本原子力研究所における多目的高温ガス炉の研究開発も着実に進展し,実験炉の建設を予定している。
 核融合研究開発
 昭和48年の数百万度のプラズマ生成・閉込めの成功などの研究成果を受けて,昭和50年度からは,原子力委員会の定めた第二段階核融合研究開発基本計画が実施されているが,本計画の中核をなす臨界プラズマ試験装置(JT-60)については,日本原子力研究所において,これまで詳細設計並びに主要機器の試作開発を終了し,本格的建設に着手する段階に至っている。一方,我が国は,従来,国際原子力機関(IAEA),OECD国際エネルギー機関(IEA)の多国間協力計画に参加してきたが,日米二国間協力を積極的に行うとの福田内閣総理大臣の意向を受けて,昭和52年9月宇野科学技術庁長官と,シュレシンジャー米国エネルギー長官との間で日米協力を本格的に実施していくことが合意された。

 (原子力船「むつ」)
 原子力船の開発については,昭和52年11月,第82回国会において政府提出の日本原子力船開発事業団法の一部を改正する法律案(同事業団法の廃止するものとされる期限を昭和62年3月31日まで延長)が,同延長期限を昭和55年11月30日までに短縮するよう修正の上,成立した。この修正の趣旨は,日本原子力舶開発事業団の原子力船に関する研究機能を強化し,将来,研究開発機関に移行させるためのものであり,今後,その検討が進められることとなっている。

 また,原子力第1船「むつ」については,その遮へい改修及び安全性総点検を長崎県佐世保港で実施すべく,長崎県及び佐世保市に修理港の受入れ要請を行っていたが,昭和52年4月,佐世保市議会及び長崎県議会が相次いで受入れを受諾する旨の議決を行った。しかし,両者の間に核燃料体の取扱いをめぐって,意見の相違があるので,まだ解決をみるに至っていない。

 (国際的動向)
 昭和51年から昭和52年にかけて,我が国原子力開発利用にとって特筆すべきことは,それが国際的な影響を強く受けることとなったことである。これについては次章で詳述するが,その特徴は,従来,原子力開発における国際関係が,主として研究開発協力の推進を目的としていたものであるのに比し,核不拡散のための規制を強化しようという方向を強めたことである。
 資源国は新たなウラン政策を発表し,自国産ウランに対する発言権の強化を図る傾向にある。かかる動きを受けて,改めて,原子力平和利用と核不拡散との調和を見出すために,現在,多数国の参加の下に国際核燃料サイクル評価(INFCE:International Nuclear Fuel Cycle Evaluation)を開始している。
 今後,我が国の原子力開発利用を進めるにあたり,このような国際的な動きに積極的に対応していくことが重要である。


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