第3章 原子力発電
§1 概要

 わが国の原子力発電については,当初,日本原子力発電(株)(原電)において,昭和35年,英国からコールダーホール改良型炉(天然ウラン黒鉛減速炭酸ガス冷却型炉)を導入し,東海発電所(16万6,000キロワット)を建設したが,同発電所では,すでに42年度から全出力営業運転が行なわれるにいたった。この東海発電所の建設,運転は,わが国にはじめて実用規模の原子力発電に関する経験をもたらしたが,同時に,天然ウラン燃料とガス冷却炉に関する技術的基盤の造成にも寄与するものがあった。
 しかしながら,その後米国で開発された濃縮ウランを燃料とする軽水炉の技術的進歩と経済性の向上により,世界的に原子力発電に対し大きな関心がもたれ,わが国においても,軽水炉を中心とする原子力発電を積極的に推進する気運を生ずるにいたった。とくに,この間,米国において,濃縮ウラン等特殊核物質民有化の措置がとられ,また,委託濃縮制度の開設が予定されたことは,燃料供給面からも,軽水炉導入による原子力発電について,その円滑な推進が期待されるようになった。
 原電では,かねてからその2号炉に関し,原子力委員会が36年に策定した「原子力開発利用長期計画」に示した方針に従い,軽水炉を採用することとし,その炉型の検討をすすめてきたが,米国から沸騰軽水型炉(BWR)を導入することとし,41年4月,敦賀発電所(32万2,000キロワット)の建設が開始された。この頃,すでに,上述のような情勢を背景として,各電力会社においても,軽水炉による原子力発電所の建設計画が検討されていたが,41年12月には,東京電力(株)(東電)において,沸騰軽水炉(40万キロワット)により,福島原子力発電所の,また関西電力(株)(関電)において,加圧軽水型炉(PWR,34万キロワット)により美浜発電所の建設がそれぞれ開始された。このうち,東電福島原子力発電所については,44年4月,電気出力を46万キロワットに増加することが許可された。
 また,東電および関電の両社では,それぞれこれらの1号炉につづく2号炉として,さらに大容量の電気出力78万4,000キロワットおよび50万キロワットの軽水炉を採用することとし,43年3月および5月に,その建設が開始された。これらにより,わが国の原子力発電の開発規模は,47年度までに,合計約250万キロワットに達することとなった。
 さらに,両社では,3号炉以降についても建設計画の検討がすすめられているほか,その他の電気事業者においても,原子力発電所の建設計画の具体化がすすめられている。
 このようなわが国における原子力発電の進展を背景として,さきに,原子力委員会は,42年4月に改訂した「原子力開発利用長期計画」において,将来のわが国における原子力発電の開発規模については,50年度において約600万キロワット,60年度において3,000万ないし4,000万キロワットを見込むことが妥当であるとした。
 一方,民間においては,毎年中央電力協議会により,向う10ヵ年を対象として電力長期計画を策定しているが,43年度の計画においては,50年度末における原子力発電の開発規模は約864万キロワットと想定されており,最近におけるわが国の原子力発電に対する関心の著しい高まりを示している。


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