§1 放射能対策本部の動き

 政府は,昭和36年10月,核爆発実験にともなう放射性降下物の漸増に対処するため,内閣に放射能対策本部(対策本部)を設置し,放射能測定分析の充実,人体に対する影響に関する研究の強化,放射能に対応する報道,勧告,指導その他放射能対策にかかわる諸問題について,関係機関相互の連絡,調整を緊密に行なってきた。
41年12月,中共は第5回核爆発実験を行なったが,その結果わが国には翌々日より各地に放射性粒子が降下し,とくに石川県輪島において観測された降下量5,600ミリキュリー/平方キロメートルは,わが国で観測された1日の降下量としては最高の記録であった。
 しかし,その後,降下量は急激に減少し,具体的な対策を必要とするにはいたらなかったが,放射能対策本部は,放射能調査体制の強化および対策の実施について検討することが必要であることを認め,42年2月,同本部幹事会のなかに調査グループおよび対策グループを設置した。両グループは,42年4月に,それぞれ中間報告書を作成した。このなかで,調査グループは,高空および地上における放射能調査の拡充,分析センターの整備等について報告した。一方,対策グループは,対策発動の放射能レベルを定めるとともに,これに達したときの対策として,天水濾過後の飲用の指示,生牛乳飲用の指示および葉菜類洗浄についての指示等を行なうよう報告した。
 次いで,6月,対策本部は,両中間報告について協議し,基本的に了承した。
 この対策本部の方針にもとづき,原子力局では,この放射能調査の強化を2カ年計画で行なうこととし,第1年度(43年度)は,航空機搭載の測定器4,同集塵器4,波高分析器3,モニタリングポスト7(うち気象庁2)をそれぞれ配備することとなった。
 なお,両グループの中間報告の概要は,付録IV-4に示すとおりである。


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