第6章 環境放射能対策

 核実験による放射性降下物に対するわが国の環境放射能調査は,昭和29年のビキニ環礁における米国核実験を契機として,関係各省において開始された。その後,32年に原子力委員会は,核実験による放射能汚染の調査研究は,原子力の平和利用における放射線障害の防止をはかり,かつ,その健全な発展を期するうえに重大な関係があり,このため,自然放射能および人工放射能の分布状況を把握する必要があると考え,関係各省の協力を得て放射能調査網の整備を行なった。36年に,ソ連の核実験の再開にともなう放射性降下物の急増に対処するため,内閣に放射能対策本部が臨時に設けられ,一方,原子力委員会は,37年,従来からすすめてきた放射能水準の調査分析のみにとどまらず,放射性降下物による障害の防止に関する対策の基本についても所掌することとなった。これにより,原子力委員会が基本的方針を定め,放射能対策本部がこれについての具体的措置の連絡調整にあたることとなった。39年からは,これに加えて,米国原子力潜水艦のわが国への寄港にともなう港湾および近海の放射能調査が実施されるようになった。
40年度においても,環境放射能の調査がひきつづき実施された。中共が40年5月には第2回,41年5月には第3回目の大気圏内核実験を行なった。一方,米国原子力潜水艦は,40年5月,8月,11月,12月および41年1月に計6回佐世保港に寄港し,41年6月には横須賀港にも寄港した。
 核実験に対する放射能調査は,従来と同様,関係各省および都道府県衛生研究所ならびに関係市等で実施された。調査の結果,核実験の影響は,大気浮遊塵および雨水中に短期間,若干の放射能増加がみられたが,とくに一般に対して何らかの対策を必要とする程度のものではなかった。また,米国原子力潜水艦の寄港に際しては,両港とも,入港前後,停泊中,出港前後の環境放射能については変化が認められなかった。
 第7回放射能調査研究発表会が,40年11月に科学技術庁放射線医学総合研究所(放医研)において開催された。
 他方,40年11月にジュネーブにおいて第15回期国際連合放射線影響科学委員会が開催され,放射線の感受性および放射性降下物による長寿命核種の食物連鎖機構について討議され,わが国からも政府代表が派遣された。


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