第6章 放射能対策

 昭和39年10月,中共が最初の核実験をタクラマカン砂漠において,大気圏内で実施したことが報ぜられ,また,40年1月,ソ連が中央アジアにおいて地下核実験を行なったところ,放射性物質の一部が地表に漏れた旨が報道された。これら報道の数日後には,いずれの場合にもわが国各地の放射能調査網により環境放射能の若干の増加が観察された。さいわい増加の程度は,両者とも比較的少ないもので,とくに何らかの対策を必要とするものではなかった。
 39年度は,過去に行なわれた核突験の結果高空に浮遊している放射性物質が降下をつづける一方,部分核停条約非加盟国による核実験の実施も懸念されたので,放射能調査は従来の体制のまま継続されたが,今後なお,このような事態にそなえて,放射能監視の継続が必要である。
 このように,放射性降下物に対する調査は,ほぼ従来どおり行なわれたが,そのほか,米国原子力潜水艦の寄港にともない,港湾等の放射能調査体制の整備が行なわれた。
 すなわち,米国の原子力潜水艦の本邦寄港申し入れに対し,39年8月28日その寄港を承認する旨を米国政府に通報したのち,政府はただちに必要な予算措置を講じ,関係港湾(佐世保,横須賀両港)における放射能調査体制をととのえた。潜水艦は,39年11月および40年2月佐世保に寄港したが,その前後における環境放射能測定値には変化が認められなかった。
 39年6月から7月にかけて,ニューヨークの国際連合本部において,第14回国際連合科学委員会が開かれ,わが国からも3名の代表が出席し,核実験による放射能汚染その他を議題として検討した。


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