第6章 放射能対策

§1 概況

 国際情勢緊張の折から,核実験停止会議に寄せる世界の期待は大きかったが,昭和36年9月1日,ソ連は,突如核爆発実験を再開した,実験は,ノーバヤ・ゼムリヤ(北極海)およびセミパラチンスク(中央アジア)において,30メガトン(10月23日)および50メガトン(10月31日)の超大型水爆を含む約30回の連続的爆発をもって11月初旬終了した。
 この集中的な核実験の結果,放射性降下物は北半球をつつみ,とくに10月下旬から11月中旬にかけて放射能レベルは,異常に上昇した。このため,各国は放射能監視体制の強化をいそぐとともに,その防護対策の樹立に努力を注いだ。
 わが国においては,10月31日の閣議決定により,内閣に放射能対策本部が設けられ,関係各省の協力の下に,雨水,落下塵から牛乳,野菜等におよぶ広範な全国的な放射能調査組織を拡充強化するとともに,放射能防護研究の推進,放射能対策基準の作成等をすすめた。
 他方,放射線審議会においては,11月以降,放射性降下物に対する行政的対策の根本となる「放射性降下物の人体への影響に関する基本的な考え方について」 (内閣総理大臣,厚生大臣および農村大臣による諮問)の検討を行ない,37年5月,答申を行なった。


* 30メガトン=TNT火薬にして3,000万トン相当を意味する。

 その後,放射性降下物の降下量は,ソ連の核爆発実験の終了によって,12月以降減少したが,37年3月,米国がクリスマス島およびジョンストン島を中心に,4月以降の核爆発実験の再開を決定したこと,また,これらの情勢に刺激されて,今後も核爆発の持続が予想されるところから,放射性降下物に対する臨時体制を恒久的なものとする要請が生れ,原子力平和利用に関連する放射能調査に関する事項のみの所掌を規定した原子力委員会設置法の一部が改正され(37年4月),原子力委員会は,核爆発にともなう放射能対策の基本的事項に関して審議決定を行なうことになった。
 放射能調査研究活動の一環として,科学技術庁主催のもとに,36年11月第3回放射能調査研究発表会が,放射線医学総合研究所において開催され,大学,国立試験研究機関および地方衛生研究所から大気,海洋,農作物,食品などの放射能調査研究論文42編が提出され,おりからの放射能レベルの上昇を反映し,活発な討議が行なわれた。
 また,わが国は,36年8月および37年3月に開催された第10回および第11回,国連科学委員会に代表を送り,同委員会が,37年に行なう「核実験による人体とその環境に対する放射線の影響」の最終報告の検討に参加した。なお同委員会は,この報告書を37年秋の総会に提出することを決定し,今後の科学委員会活動の継続または取止めについては,総会の決定にまつことになった。


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