第4章 核燃料
§1 概況

1−1 海外諸国のウラン需要の動向

 現在のウラン需要はかってのウランブームが一変して,世界的な供給過剰の状態になっている。昭和37年3月17日のコロラド鉱業会春季大会での米国原子力委員会原料部長ジョンソンの「ウランの将来」と題する演説でも「米国内および米国外のウラン産業はいかなる非常事態が突発しても,十分軍需を賄うだけの処理能力を持っており,また,現在運転中の原子炉を含めて,考えられている発電炉および発電試験炉用の濃縮ウランの世界の所要量は,1966年末まででU3O8換算3000トン/年以下,1967年から1970年までの発電用の需要は約10,000トン程度である」といっている,この数値,すなわち年間需要3,000トン/年(U3O8)と現在の米国の生産量,17,000トン/年および米国以外の生産量25,000トン/年(1960年)とを比較すると,ウラン市場において,米国内外間で激しいつばぜり合いを演ずるようになることは必至である。
 カナダのウラン生産量は,1959年に頂上に達し,約16,000トン(U3O8)となったが,現行契約によると米国へのウラン精鉱納入量は,1964年には4,000トン。1966年には1,000トンに減少するはずである。このような情勢により,カナダでは閉鎖せざるを得ない鉱山や製錬所が出てくるであろう。
 南アフリカでは,品位こそ低い(1.25-1.50 1bU3O8/ トン)が埋蔵量は370,000トンで,金の副産物として産出している。しかし,米国,英国との契約量の減少により,1961年前の年間生産水準6,400トンを維持する,ことが不可能となり,年間生産を約4,550トンに落さざるをえなくなった。納入量は,1965年には3,250トン,1966年には1,960トンでそれ以降1970年末まで毎年約1,600トン程度となる予定である,このため,1965年以降は100%の稼動は不可能となるといわれている。
 オーストラリヤにも,低原価でウラン精鉱を生産する工場があり,イギリスとの契約(1964年満期)や,合同開発根関との契約(1963年1月満期)が切れた後は,政府の手で操業を継続することになりそうである。
 以上のごとく,1970年代までは,ウラン鉱業界にとって市場もさらに狭くなり,価格も低下するが,1970年代になると,明るい面が開けてくると思われ,1980年には,米国内原子力発電関係の需要は,U3O8換算で年約1万〜2万トンに達し,米国以外の原子炉用濃縮ウラン所要量も,これと同程度で,1980年代までには,需要を満たすため,新鉱床を開発しなければならなくなるであろう。従って,米国内業者は,この困難な時代を何とか切り抜ける準備態度を只今から整えるべきであると,警告している。


目次へ          第4章 第1節(2)へ