第1章 序  説

 わが国の原子力平和利用が世界の大勢に応じて発展しはじめたのは昭和29年ころであるが,その後,原子力委員会が発足した31年を契機として急速に拡大することになった。昭和35年度は,原子力委員会発足のときから数えて,ちょうど5年目にあたる。
 この5年の間に,世界の原子力の開発も大いに進展した。米国および英国においては原子力発電所が,次々と運転に移されつつあるが,わが国を-はじめ,その他の諸国でも原子力発電所の建設が行なわれている。また,原子力船については,ソ連は砕氷船を運航しており,また,米国においても原子力商船が運航を開始しようとしている。放射線の利用については,年毎にその利用分野がひろまりつつあるばかりでなく,世界のより広い地域にその利用がすすみつつある。このような原子力の利用の拡大の跡だけをかえりみても,原子力の発展の度合はおしはかられるが,この期間における特色は,原子力利用の底辺にあたる研究開発の層がおどろくべき勢いで拡充しつつあるということである。
 昭和30年にジュネーブで開かれた第1回原子力平和利用国際会議は原子力利用の将来に,かがやかしい展望をあたえ,原子力発電や原子力船などがたちまちそれぞれの分野で大きな影響を及ぼすという印象をあたえた。
 しかし,原子力の分野が全く新しい分野であり,将来に発展の可能性の多い分野であるだけに,現実に原子力の開発がすすめられていくと,なおいくつもの課題を解決しなければならないことが明らかになってくる。
 33年秋の,第2回のジュネーブ会議では,もはや第1回の会議のように単なる将来の原子力の利用の展望だけでなく,原子力利用が急速にひろまる前に解決すべき多くの現実的課題が討議された。その結果として第2回のジュネーブ会議のころから,原子力の利用の段階の前に,層のあつい研究開発の段階が必要であることが認められはじめた。
 たまたま,二つの頃から原子力の利用をめぐって,この大きな変化が生じつつあった。第1はウラン生産の過剰である。すなわち世界のウラン生産量は昭和34年には31年の3倍に当る約4万トンに達したが,実際の需要はこれに及ばず,ウランの供給力は当分の間,実際の需要を上まわることになった。このため,米国,カナダ,南阿などのウランの大生産国においてはウランの生産の制限を行なうこととなった。
 第2の変化は,エネルギー供給における石油の比重の増大である。世界のエネルギー資源の比重が石炭から石油に移りつつあることはすでに数年前から,認められていた。30年の第1回のジュネーブ会議以後しばらくはスエズ動乱による石油供給に対する不安感が強かったが,その後はサハラをばじめ各地に石油資源の発見が相次ぎ供給力はいちじるしく増大した。この増大した供給力を背景に石油の価格は引下げられ,価格の低下を通じて,火力発電コストを大幅に引下げる見通しをあたえることになった。重油による火力発電コストの低下は原子力の利用の中でも最も早く実用化され,かつ最も大きな影響を及ぼすと考えられていた原子力発電に対して一段ときびしい規準を課す結果となった。
 以上のような第2回ジュネーブ会議以後の世界の原子力情勢の変化によって明らかにされたことは,原子力の利用が急速に広まる前に必要とされる開発段階がさらに一そう長期かつ広範なものであるということであったこのために研究開発関係の支出が急速にたかまり,また,国際的にも,研究開発を共同で行なって,効率をたかめようという動きもあらわれてきた。
 このような世界の情勢の中で,わが国は果していかなる方向に歩んできたであろうか.まず第1には,機構の整備である.すなわち,日本原子力研究所(以下,原子力研究所という),原子燃料公社(以下,燃料公社という)および放射線医学総合研究所という原子力の開発の中核となる3つの機関が,着々と整備されたことである.これらの機関には,世界的水準のすぐれた施設が設けられているだけでなく,人員も徐々に拡充し,35年度には合計1,900名を数えるまでにいたった。
 第2は,研究開発の推進である。原子力関係の予算は,昭和29年以来,35年度までで累計して300億円をこえることとなったが,これらのほとんどは原子力の研究開発に投入されている.原子力研究所には,毎年原子力予算の約6割をあてており,東海村には原子力研究所を中心とする原子力のセンターが発展しつつある,原子力研究所には,原子力の施設を集中的に設けて,原子力の全分野にわたる研究開発を行なっているが,将来わが国の中から新しい型の原子炉を育てあげることが期待されている。
 原子力研究所は,東海村の松林におおわれた地域に全く何もない状態から現在の施設を設け,それによって海外の研究開発の水準に近づくために努力をかさね,ある分野においては海外の注目をひくすぐれた成果もあらわれつつある。
 このような原子力研究の一般的水準の向上のほかに,とくに明春に完成を予定されている原子力研究所の3号炉は産業界の協力を得て,原子力研究所がつくりあげるわが国ではじめての国産炉であり,この原子炉の建設は,天然ウラン・重水型の原子炉の建設だけでなく,わが国の原子炉の建設について貴重な経験をあたえるものである.さらに,新しい型の原子炉として,半均質型原子炉の研究がすすめられ,35年度には臨界実験装量が完成されている。
 原子力の研究開発は,原子力研究所において行なわれるだけではない。
 大学や国立試験研究機関においても,また,民間企業においても行なわれる.民間企業における研究開発に対しては,助成金によって,育成をはかっており,35年度までに約20億円がこのために支出されている。助成の対象も原子炉,核融合,アイソトープと広い分野にわたっているが,その中でもこの助成金が原子炉の国産化に果す役割はきわめて大きい。すなわち,これらの研究の結果,民間企業が海外の技術水準に追いつくことによって動力炉がわが国で建設される際に,そのうち国産化しうる部分がかなり多くなることが期待されている。かくて,原子炉の設計,新しい型の燃料の開発,重水あるいは黒鉛にみられるような材料の製造という面において助成金はすでにその成果を示しつつある。民間企業に対する助成金は,いわば土壌に対する肥料のごとき役割を果すものであって,動力炉などがこの土壌の上に成育するにあたって,大きな効果を示すこととなろう。
 第3には,原子力開発の際の安全性の確保である.原子力の利用が急速にひろまるに先立って,安全性が十分に確保されていなければならない。原子力の分野では早くから,原子炉,核燃料物質,アイソトープなどについては法的な規制を行ない,常に原子力開発の進展に応じて実情に即したものにしているが,35年度には原子力委員会の原子炉の安全審査の機能を重視して,次年度から原子炉安全専門審査会を設けることとし,また,万一原子炉等によって災害を生じた際に万全の策を講じうるように,原子力災害補償に関する法律の整備をすすめた。
 以上のように,わが国の研究開発は年を追って発展してきたのであるが,35年度においては,4年前に定められた長期計画の改訂を行なって将来への展望が行なわれた。
 長期計画は,わが国の原子力開発利用をすすめるに当ってよりどころとなるべきものであり,これを常にできる限り現実に即したものとしておくことは原子力委員会の重要な仕事の一つであり,原子力委員会はその発足の年,すなわち昭和31年に長期計画を内定した.この長期計画はその当時得られた情報をもとにして将来のわが国の原子力開発のすすむべき方向を明らかにしたものである.ただ,当時は具体的な情報にとぼしかったので,一応この計画を内定とし,その後,これに基づいて原子力発電,原子力船,核燃料,放射線利用,科学技術者の養成等についてより具体的な計画をつくり,これらをあわせて総合的な長期計画を決定することとした.この考え方に基づいて,32年12月には原子力発電に関する長期計画が決定された.これは,将来のわが国におけるエネルギーの需給から説きおこし,原子力発電をすすめるための具体的な手順を年次的に明らかにしたものであった.つづいて,33年12月には「核燃料に対する考え方」が公表された.これは核燃料の需要について,確実な数量を予測することは困難であると考えられたので,核燃料政策の方針を長期計画としてではなく「考え方」として示したものである.このほか,原子力船については32年以来専門部会を設けて検討を加え,34年9月には開発をすすめるべき対象として適当と思われる3船種5船型についての答申を得た.科学技術者の養成については33年に科学技術者に対するアンケートを行なうとともに,34年当初から専門部会を設けて将来の科学技術者の必要数の推定を行ない,養成の方法について具体的な対策を検討した.また,放射線の利用の分野においては新たに放射線化学に対する関心が高まり,34年9月には原子力委員会に放射線化学懇談会を設け,この新しい分野の研究開発の方針を検討するに至った.このように,当初内定された長期計画については,年毎に一歩一歩具体的な内容の検討がすすめられてきた.したがって,これらの次々に明らかにされつつあった各部門の諸計画を一つにまとめ全体として将来を展望することは当然必要とされる情勢にあった.35年度に長期計画の作成がとりあげられたのもこういった過去数年の一連の活動の成果を総合的に考える段階に達していたことを示すものである。
 原子力委員会は2月に長期計画の改訂の手順を公表し,これによってまず内外の原子力開発の現状調査を行なうとともに,これまでの長期計画に対する各方面からの意見をあつめ,その上で長期計画の骨子ともなるべき「基礎となる考え方」を7月末に発表した。
 この「基礎となる考え方」の特色としては,第1に計画の期間を20年とし,これを前期10年と後期10年とにわけ,前期は原子力の利用を実用化にまでもっていくための開発段階とし,そのために必要な具体的方策を検討し,後期については,前期の計画の進展に応じて展開される開発利用がどの程度のものになるかを展望することにとどめることとしたことがあげられる.実用化の急速な拡大の前に開発段階が必要であるという構想によって計画の重点が,前期の開発段階におかれることになった.第2の特色は,原子力発電,原子力船,放射線利用,核燃料や材料の開発利用とこれらの部門の基礎となる研究開発の進め方とを柱として,まず具体的な計画をたて,ついでこれに関連する分野の計画をたてることとしたことである.第3は上記の各部門の検討にあたって,これら相互の関係をとらえることに重点をおいたことである.例えば,原子力発電や原子力船などの原子力の動力としての利用部門と核燃料の開発利用とは密接な関係があり,一方の計画が他方の計画に影響を及ぼすので,これらを総合的に考えることとしたのである。
 このような構想のもとにつくられた原子力委員会の「基礎となる考え方」に対し,各方面から具体的な方策が示されることになった.これよりさき,日本学術会議においては,1月と3月に長期計画に関するシンポジュウムが開かれ,また産業界においては,日本原子力産業会議に原子力産業開発特別委員会を設けることとし,4月末には同委員会が発足した.さらに通商産業省は,4月に産業合理化審議会の中に原子力産業部会を設けてまず原子力発電の長期計画を検討することとした.このように原子力委員会の「基礎となる考え方」の検討と並行して,産業界,学界,官界でもそれぞれの分野で検討がすすめられてきたが,「基礎となる考え方」が発表されたころから,これらの各分野の具体的な検討の成果が発表されはじめた。すなわち通商産業省の前記原子力産業部会は7月に「原子力発電の長期見通しについて」の答申を行ない,日本原子力産業会議の「原子力産業開発に関する長期計画」は9月に発表され,日本学術会議も同月原子力委員会に「基礎となる考え方」に対する意見を提出した.また,原子力研究所,燃料公社,放射線医学総合研究所においても,それぞれの分野で,長期計画をたてて原子力委員会に提出した。
 このような各方面の具体的な意見をうけて,原子力委員会は9月末に学界,産業界,官界から専門委員を委嘱して長期計画専門部会を設けた.この専門部会は原子力委員会の参与をすべてふくめた大がかりなもので,35年9月から36年1月まで合計5回の会合をひらいて長期計画案の審議を行ない,原子力委員会は,2月に最終的に長期計画を発表することとなった。
 以上の長期計画の作成の過程をかえりみると,この間にきわめて多数の機関,多数の人々が積極的に参加していることが示されている.日本原子力産業会議の長期計画の作成に約600名が加わったのをはじめ,各分野においてきわめて多数の人々が参加している.しかも単に長期計画の作成にあたって多数の人々が参加したというだけではなく,各分野あるいは,各機関の異なった要求ができる限り調整されてとりいれられたことも今回の長期計画の特色ということができる。
 長期計画の内容は,第1部の「総論」において長期計画を改訂するにいたった背景と新しい長期計画の構想をのべ,第2部においては「原子力開発利用の長期見通し」を行ない,昭和36年から55年までの20年間に原子力発電,原子力船,核燃料,放射線利用がどういう形で発展するかを示した.第3部は第2部に示された原子力の利用が行なわれるために必要な研究開発の内容を各分野にわたり具体的に示した.第4部は,第2部および第3部を総括し,「原子力開発利用の促進方策」として研究施設の整備,共同研究体制の確立,科学技術者の養成,安全対策,原子力産業の育成,核燃料の確保と有効利用などについての計画を示している。
 新しい長期計画の特色は原子力利用の急速な拡大の前に開発段階をおいたことである.長期計画にはこの開発段階で行なうべき具体的な方策を示し,その実現のために必要とされる国の資金だけでも,10年間に1,800億円から2,000億円にのぼると見積られている.昭和36年度の原子力関係予算額が約76億円であることからみれば,今後,10年間に必要とされる原子力開発の規模がきわめて大きいことは明らかである。
 このように原子力利用の発展の途上に開発段階をおくことは,第2回ジュネーブ会議以後次第にはっきりと認められてきた世界的な傾向であるが,この開発段階については2つ特色がみられる。第1は,国際的な研究開発の交流ないし共同化である.原子力の研究開発が,これまで他の分野とはくらべられないほど多額の研究開発費を必要とする事実から,原子力の研究開発を国際的に協力してすすめる方法が最近とくに顕著となってきている.第2には,開発段階において自国の原子力産業の育成を強く推進する傾向がみられることである.米国および英国においてはすでに早くから国家資金によって,原子力産業を発展させてきているが,最近では欧州諸国の中でも原子力産業を育成する方策がとられはじめている。
 わが国の原子力開発利用の長期にわたる計画は,35年度にたてられたが,これをいかに具体的に実施していくかが36年度以降に課せられる課題である.世界の諸国の動向をみれば,最近の国家資金の投入はさらにたかまりつつあり,開発段階をいかに有効に活用して将来の発展に資するかという点に真剣な努力が払われている.わが国において,この長期計画に示された開発段階の諸施策が時を移さず実施されることは,わが国の原子力利用の将来にとってとくに必要なことである。


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