第6章 放射線の利用
§2 アイソトープの利用

2−4 利用と研究

 2−4−1 実用化の段階に達した利用法

 放射線の利用により,われわれは一体どのような利益をえているであろうか。次に現在一応実用化の段階に達している利用法,その利用状態について簡単にのべる。

a) 工業利用
 35年5月日本原子力産業会議では原子力産業実態調査報告書を発表したが,これによると32年以降,民間においては,アイソトープ放射線利用に対して毎年3〜4億円の支出をしており,31年より34年上期にいたる期間,18業種の民間会社でアイソトープ利用関係に合計9億3000万円の投資を行なっている。これを業種別にみると繊維,医薬品,鉄鋼,電気機械関係で全体の77,9%を占めている。

 同じく日本原子力産業会議の調査によると民間会社でアイソトープを使用しているものは250社に達しており。これを用途別に分類すれば(第6-5図)のごとく計測,トレーサー利用およびラジオグラフィーがその大部分を占めている。またこれを業種別にみれば(第6-9表)のごとく化学工業,電気機械工業,鉄鋼業等において非常に広く使用されている。

 計測関係については,厚み計は金属板,鋼板,ビニールシート,紙等の厚み測定に用いられており,液面計は化学工場,化繊プラントで多数使われている。そして34年度末の使用台数は厚み計127台,液面計87台に達している。このほかの計測装置としては,密度計が専売公社中央研究所でタバコの検査装置として採用されている。また濃度計,積雪計等も2, 3使用されている。
 ラジオグラフィー,すなわち放射線検査法は,近年X線検査法に代って,特に肉厚の鋳物や溶接部位の欠陥検査に使われ,鉄鋼,機械,造船会社での利用は,実用の域に達している。
 トレーサー法によるアイソトープの利用は多くの分野に広がっている。
 例えば高純度シリコン製造のために,不純物として混在する燐やハロゲン元素の除去に,またピストンリングや切削工具の摩耗検査に,溶鉱炉,溶解金属中の不純物の検出等に,広範に使用されている。特に金属工業,化学工業,薬品工業,電気工業等における利用が目立つでいる。

b) 医学利用
 医学の分野でのアイソトープ,放射線の利用はその歴史も古く,またその使用しているアイソトープの量は全体の約74%を占めている事実からも,もつとも実用化の段階にまで至っている領域であるといえよう。かなりの病院において日常の診断または治療用としてアイソトープを使っている。
 核種としては131I,198Au,32P,60Co等の利用が圧倒的に多いが,最近では,177Lu,55Fe,51Cr,42K,64Cu等の利用が次第に増加している。使用するキュリー数からみると照射治療用の60Co,137Cs等が圧倒的に多く,全使用キュリー数の90%以上を占めている。よく知られている131Iによる甲状線機能検査のほか82P,74As,42Kまたは64Cu等を用いて悪性腫瘍,例えば腫瘍,乳癌,消化器病,子宮癌等の診断をすることが可能であり,例えば,82Pを用いて慶応病院,東大附属病院,癌研附属病院等において行なわれた子宮癌患者114名の診断結果をみると良性のもので78〜87%,悪性についても70〜78%程度の適中率を示した。最近では微量のアイソトープを投与し,その蓄積状態をスキャンナーにより検出し,各器官の病的状態や外科的手術の適応性を知る方法も行なわれている。また51Crなどを用いて体内で希釈の程度を測定して体液や血液の循環状態をチェックすることができる。特に肝臓,腎臓等の機能検査にも131I, 198Au等の利用の道が開かれたが,これは測定器の改良進歩によるところが大きい。
 以上のごとく診断への利用のほか,医学の分野での大きな用途は治療への応用である。アイソトープ利用による治療法といえば, 60Co, 137Cs等による大量放射線照射によるもの,198Au,177Lu等の放射性コロイド投与による治療法,および131I等の元素の化学的組織特異性を利用する方法の3つが普通行なわれている。大量線源の入手が容易になってくるに伴なって特に癌治療用の大量照射装置を設置する病院がここ数年急増しており,今までなされたその治療結果からみると一般に表在性,外向性,限局性の癌については効果があるが,深部性で,腫瘍容積の大なるものについては,皮膚障害,宿酔,白血球の減少等の副作用もあってあまり有効ではないとされている。例えば,癌研附属病院での治療例によると,7,000r〜10,000rの照射による一次治癒は食道癌,胃癌については各々,6例中1例,8例中2例にすぎないが,皮膏癌は6例中6例,舌,口腔癌では5例中4例,甲状線癌は15例中12例となっており,また1年生存率58%,3年生存率30%という結果が得られた。またコロイド療法の臨床結果をみると198Au96Yについてそれぞれ子宮癌,白血病にそのすぐれた効果をもたらしている。177Lu(半減期6,7日)も癌性肋膜炎,腹膜炎でそれぞれ1回10〜30mcの胸,腹腔内注射で癌細胞の変性,減力をみ,1ケ月間2〜3回の割で継続すると著しい回復を得たという報告がなされている。
 このほか,32Pのβ線による外面照射治療についてもその効果は顕著なものがあり,特にこの方法は幼児にその利用が適している。
 病院での利用の状況を国立東京第一病院での例からみると34年における60Co照射治療の患者全数127名中,子宮癌,舌,口頭癌,胃癌等が88名と全体の69%を占めており, 131Iの利用ではバセドー氏病が全体の62%と断然多い。その他32Pによる色素母斑治療もその治療例数が顕著である。

c) 農業利用
 農業方面ですでに実用の域に至った利用法といえばやはり肥料の土壌中での移動から植物への吸収系路の追跡であろう。各地の農業試験所圃場においてすでに実地の研究が押し進められ,32P,40K,35S等の核種を用いて,水稲だけでなく,大麦,小麦等についてもこれまでの施肥法,潅漑法にあった欠陥を除き,より能率的な畑地管理方法が確立されようとしている。さらに24Naなどの利用による,潅漑水量,用水の地下滲透,漏水検査等,農業土木への応用もすでに実用の域に達している。
 例えば,三重県高束ため池における漏水探査ではため池から堤体の漏水口に至る漏水経路を明らかにしようと,池岸に深さ0.5mの投入孔(11ケ所)を掘作し((第6-6図))これにアイソトープを投入して漏水の放射能強度を堤体と地盤16ケ所で継続的に観測した。この結果的確にダム漏水の水みちを明らかにすることができ,そこに集中的にセメントを注入するなどすれば十分効果的に漏水処理を行なうことができる。この他,ガンマ線散乱を使って地下水量の算定も可能となりつつある。

 アイソトープの応用にはこのほか病虫害の防除がある。すなわち散布農薬の作用経路,害虫の移動範囲や習性等を32P放射能を利用して知り,駆除に有効な農薬の製造,選定,散布法の改良が行なわれつつある。畜産分野の利用をみても,トレーサーによる家畜の生理や飼料賦与法の研究が行なわれている。特に45Ca,32P等の核種を用いて乳牛,ニワトリ,あるいはマスのような魚類についても栄養,飼料と生物の繁殖の関係について詳細な研究が行なわれている。
 このようなトレーサー法によるアイソトープの利用のほか,放射線照射効果の応用も広く進み水稲,落花生,ゴム,ムギ,トマト,リンゴ等につき新品種の育成がこころみられている。
 例えば東海区水産研究所ではテングサ,オニグサ等の寒天原料にγ線照射を行なって,従来の硫酸処理法と比較したところ,非常にジエリー強度が高く,均質な寒天が得られ,また一部の原料については歩留りも良好となっている。
 以上述べたごとく農業方面での応用は非常に広範囲にわたっているが,しかし,その効果が一般的に普及し真にアイソトープ利用の有効性が証明されるまでには,かなり長期間の研究,実験が必要であろう。わが国においても本格的な研究が始まりすでに10年近くを経過しているが,はつきりとした形で応用化された方法は少なく,まだ試験研究的な性格が強い。例えば農林省農業技術研究所では31年施肥法改善,品種改良,潅漑水量測定,家畜飼養法改善等に関する総合的研究を開始して5年,すでにかなりの成果がみられているが,なおその研究は継続されている。その他北海道農業試験所,関東東山農業試験所,東海近畿農業試験所,九州農業試験所,家畜衛生試験所,蚕糸試験所,食糧研究所,林業試験所,東海区水産研究所等においてそれぞれ,施肥法改善,秋落水田土壌の研究,瘠薄土壌の改良,桑,蚕の品種改良,さらに食品保存,木材改良,家蓄の栄養の問題等につき,すでに3〜4年にわたる継続研究を行なっており,なお今後ともこれら研究は押し進められることになっている。これらの総合的かつ系統的な,研究の完成によってはじめてアイソトープの一般的な実用化へ到達することができるであろう。

 2−4−2 新らしい研究開発

 アイソトープの利用で一応実用化の域に達したものは先にのべたごとくかなり広い分野にわたっている。しかし,なおすでに学問的原理が解明されているが,まだ実用化の域に達しないものもかなりあり,これらを研究開発することによってアイソトープ利用により大きな飛躍をもたらすことになる。このような研究の中から特に注目される問題をとり上げてみる。

a) 85Krの利用:
 85Krは半減期10.37年で,β線およびγ線を放出し,またその化学的不活性,非毒性,放射線の浸透性が弱いこと,分裂生成物として簡単に得られるのでコストも安い等の長所をもっているので,今後その利用がいちじるしく伸びるものと考えられている。特に有望とみられる用途は織物,塗料等の静電気の除去,自己発光灯の燐の活性化等であってラジウムやポロニウム等のα放射体に代ってどんどんその需要が伸びている。米国原子力委員会でもこれに応ずるため今後年々10万キュリーの生産を計画している。ただ気体であるため実際の使用に当っては種々の困難があったが,最近キノンのごとき有機化合物とのキレート化合物を作り,固体状の線源として利用する方法が確立された。

b) 3H,14Cの利用:
 近年生物学,農学等の研究面で,あるいは医学での病気診断等において3H(トリチウム),14Cの利用が特に増加している。3Hは半減期12.3年であり,そのβ線のエネルギーは0.018MeVと非常に弱いが,最近ではオートラジオグラフィ,一の技術が進み,十分正確に検出することができる。特に複雑な有機物の標識も比較的容易にできるという長所がある。14Cは半減期が5,500年で,0.15MeVのβ線を出すがこれも3Hと同様生物科学関係で必要とされる分野は多い。もちろん,化学工業等での反応解析,工程解析には炭素化合物の形で使われる。

c) 放射化分析法:
 通常化学的な方法では分析不可能な程の微量の不純物の検出あるいは有効物質の濃度決定は,物質に中性子を照射し,放出する放射線の種類やエネルギーのちがいにより可能となる。このようにしで多数の元素を一時に分析することもできる。特に最近のように非常に純度の高い物質(例えば半導体材料であるシリコンやゲルマニウム等)が要求されるようになると,不純物の検出除去が重要な問題となってくる。しかもただ正確であるだけでなく迅速で簡単に測定しうるという条件が必要となり,その意味からもこの放射化分析法の用途は大きい。

 2−4−3 研究結果の交流と普及

 急速な発展をつづける放射線利用の研究結果を互に交流し研究者相互の研鑚の実を挙げるとともにまた日本アイソトープ会議,原子力シンポジウム等の学術研究発表会が,ここ数年来非常に活発に行なわれるようになってきた。これまでにアイソトープ会議は3回,原子力シンポジウムは2回開かれたが,アイソトープ会議への提出論文は(第6-10表)の通りである。

 これによると34年にいたり,特に放射線化学等の分野での研究の進展にいちぢるしいものがある。その他一般に今までになく多くの研究成果が得られ,31,32年当時の2倍に近い研究論文が提出された。またシンポジウム参加者は,広く国際原子力機関や東南アジア諸国の代表をも含めて,総数は約2000名に達した,これらの国内における会議の他,34年においては放射線利用に関係する大きな国際会議も催された。特に34年9月ワルソーで開催された国際原子力機関主催放射線源利用国際会議には,主として大量放射線源の利用に関する研究論文が61編提出されたが,わが国からも11編を提出しうち6編が口頭発表となった。特に高分子に対する放射線照射に関する研究は各国からも高く評価された。このような放射線源利用の国際会議の動向からみて世界的に放射線利用の研究の中心は微量放射能を利用するトレーサー等の研究とともに,大量放射線の物質に対する応用の研究へとひろがりつつあるように思われる。
 これより前米国ではマサチュウセッツ工科大学の主催で,食糧保存に対する放射線効果のシンポジウムが開かれ,放射線による食品の殺菌,保存について世界の専門家が熱心な討議を行なった。わが国でもこの問題には大いに注目している。


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