第12章 災害補償

§2 わが国の災害補償制度

 わが国においては,32年ごろから災害補償制度についての検討をはじめ,33年10月原子力委員会は「原子力災害補償についての基本方針」を決定した。続いてこの方針に従い,専門的事項を審議するために原子力災害補償専門都会を設置した。同専門部会は,原子力委員会から諮問された原子力賠償責任,原子力責任保険,国家補償等原子力災害補償に関する重要事項を鋭意審議し34年12月10日答申を行なった。
 この答申は(1)原子力事業者は,その事業の経営により生じた損害については無過失責任の賠償義務を負うこと。(2)原子力事業を営むに当っては,損害賠償措置(原子力責任保険など)を具備することを条件とすること。
(3)損害賠償措置でカバーしえない損害は国家が補償すること。(4)原子力損害が生じた場合に,その処理のため,行政委員会として原子力損害賠償処理委員会を設置すること等をその骨子としたものであった。
 この答申を受けた原子力委員会は,その後2カ月余にわたり審議を重ね,35年2月24日「原子力災害補償制度の確立について」を内定し,(1)答申通り原子力事業者に無過失責任をおわせるが,責任の限度額は損害賠償措置の金額と国家補償額との合計額とする。(2)国家補償については,損害賠償措置の金額までの原子力損害で,損害賠償措置によっては損害賠償が行なわれないときは国家が補償する。損害賠償措置の金額を超える原子力損害が発生した場合には,財政事情の許す範囲内において国家が補償する。(3)原子力損害賠償処理機関については答申の行政委員会にはこだわらない等の方針を定めた。
 この内容に基づいて原子力委員会は関係各省と意見を調整しつつ,さらに審議を重ね,3月26日「原子力損害賠償制度の確立について」を決定した。この決定が前の内定と異なる点は,(1)無過失損害賠償責任については,賠償責任を一定額で打ち切ることは財産権の保護の観点から憲法上の疑義があるので,責任制限については規定しないとととしたこと。(2)国の措置としては,損害賠償措置の金額までの原子力損害で,責任保険でてん補されない部分については,政府が原子力事業者と補償契約を締結して補償すること。損害賠償措置の金額をこえる原子力損害については,政府は国会の議決を経た権限の範囲内で原子力事業者に必要な援助を行なうことができることとしたこと。(3)相当規模の原子力損害が発生したときは,政府は損害の状況およびこれが処理に関する措置を国会に報告し,政府の措置について国会の承認を求めることとしたこと等の諸点である。
 この原子力委員会の決定に関しては,3月29日「政府は,万一の場合における原子力の核的災害の特異性にかんがみ,別紙原子力委員会の決定の趣旨を尊重し,すみやかに今国会に法案を提出するものとする」との閣議了解がなされ,以後約1カ月の間,法案化のための準備が行なわれたが,4月27日に「原子力損害の賠償に関する法律案」としで閣議決定がなされ,ついで5月2日にいたり,正式に法案として国会に提出される運びとなった。この法案の目的は原子炉の運転等により,原子力損害が生じた場合における損害賠償に関する基本的制度を定め,もって被害者の保護を図り,および原子力事業の健全な発達に資することにあり,その骨子となる基本的制度は,以上のいきさつから判るように,(1)被害者の保護のために民法の特例として原子力事業者に無過失責任を課し,かつ原子力事業者に責任の集中を行なったこと。(2)損害賠償の確実な履行を確保させるため,原子力事業者に,責任保険等の損害賠償措置を強制したこと。(3)損害の額が損害賠償措置の金額を上まわった場合における国の援助措置を定めたことの三点である。
 本法案の概要は次の通りである。

(1) 原子力事業者の賠償責任
 (i) 無過失責任
 原子炉の運転等のさい,その原子炉の運転等により原子力損害を与えたときは,その原子炉の運転等にかかる事業者が,その損害を賠償する責めに任ずることになっているが,これは原子力事業者の無過失責任を規定するものであって,この法律の中核をなす規定である。
 しかし,無過失責任といっても,原子炉の運転等との間に因果関係がある損害の賠償責任に限られることはいうまでもなく,「運転等により」はこの趣旨をあらわすものである。また加工業者による核燃料物質の加工にも原因があって,原子炉の運転中に損害が発生したような場合は,後述の責任集中の趣旨に従い,損害発生時に原子炉の運転等の行為をしている者,すなわち,原子炉設置者にすべての責任を課することとしている。また原子力損害が核燃料物質の運搬中に生じたときも,やはり責任集中の原則に従い,原子力事業者が賠償責任を負うが,発送入および受取人の双方が原子力事業者である場合の核燃料物質の運搬により生じた損害は,受取人である方の原子力事業者に賠償責任を負わせることとしている。
 前述のように原子力事業者の賠償責任は,因果関係を前提とするものであって,損害が不可抗力によって発生した場合には,因果関係が中断し,原子力事業者は免責されることとなる。しかし未知の要素の大きい原子力事業では,不可抗力と認定されやすいおそれがあり,それでは被害者に不安を与えることとなるので,原子力事業者については,損害が関東大震災を相当上まわる地震あるいは海外からの武力攻撃のような異常に巨大な天災地変,または社会的動乱によって生じたものであるときに限り,免責することとしている。
 このように原子力事業者にほとんど絶対的な無過失責任を課したのは,いうまでもなく,現代科学技術の最尖端をゆく原子力事業であるだけに,未知の部分が多く,したがって,通常の原則どおりに被害者に原子力事業者の故意,過失または施設の瑕疵を立証させることは,被害者の保護に欠けると認められるからである。
 (ii) 責任の集中
 以上の規定によって,原子力損害を賠償する責めに任ずる原子力事業者以外の者は,原子力損害を賠償する責めに任じない。すなわちこれは責任の集中を行なったもので,原因ある者のすべてに賠償責任を負わせることとすると,それらの者にも後述の損害賠償措置を講じさせなくてはならなくなって,複雑をきわめることとなるからである。また,これによって被害者は被害を受けたときは,常に原子力事業者にだけ賠償請求を行なえばよいことになる。
 (iii) 求償権の制限
 このようにして損害を賠償した原子力事業者は,その損害が第三者の故意またば過失により生じたものであるときは,それらの者に対して求償権を有することは,いうまでもない。しかしながら,それらの者のうちでも,原子力事業者に資材を供給しまたは役務を提供する取引関係者は,別に特約がない限り,原則として,求償権はこれらの者またはこれらの者の従業員に故意がある場合に制限することとし,不安定な地位にある原子力関連産業を保護することとしている。

(2) 損害賠償の措置
 (i) 賠償措置の強制とその内容
 原子力事業者にはどんな絶対的な無過失責任を課したとしても,その履行が確実に行なわれなければ何の意味もない。
 そこで原子力事業者は,責任保険などの原子力損害を賠償するための措置,すなわち,損害賠償措置を講じていなければ原子炉の運転等をしてはならないこととしている,措置強制は,現在,規制法で暫定措置としてではあるが。すでに原子炉設置については,許可基準として織りこまれているが,この法案ではこれを原子炉の設置,運転の場合に限らないで,加工,再処理,使用等の場合についてもすべて強制することとしている。しかし賠償措置は実際に損害を起こす可能性のある場合に講じてさえいればよいので,許可の基準とはせず,現実の原子炉の運転等を行なうときに講ずべきこととした。ただし国の機関については,賠償措置を講ずることを要しない。その責任はこの法律によって無過失責任となるが,その性格上保険に附するような措置に適しないからである。
 賠償措置は,一工場または事業所当りというように,いわゆる敷地(サイト)主義を採用した。原子力船については,一隻当りである。
 したがってーサイトに原子炉が数個あっても,賠償措置は一つでよい。
 賠償措置の金額は,原子炉についてはその熱出力により,加工,再処理,使用については事業の規模等により政令で定める予定であるが,最高50億円までとしている。50億円とは,損害賠償措置の典型としての民間責任保険の引受能力の限度であり,また,諸外国の例を参考とした金額である。
 現在の規制法による原子炉に関する措置強制額は熱出力100キロワット以下のものは1億円,100キロワットをこえ1万キロワット以下のものは5億円,1万キロワットをこえるものは,50億円となっているが,この法案でも,このような線を予定している。加工,再処理,使用等では最高限度額より低いところで政令により定められることとなろう。
 賠償措置の方法としては,責任保険,供託,その他外国政府の保証などこれらに相当する措置のいずれでもよいが,大部分の場合としては,責任保険が考えられる。この責任保険を採用する場合には,これを補完する措置として,国と補償契約を締結しなくてはならない。これは現段階の民間責任保険ではカバーしきれない分野が残されているからであってわが国の原子力災害補償立法の一つの特色となっている。以上いずれの方法による場合も,原子力事業者は講じようとする措置について科学技術庁長官の承認を受けなければならないこととなっている。
 もし原子力損害が発生し,損害賠償措置をとりくずして賠償を履行したときは,措置の金額が規定の額未満となり,この法律の違反状態が生じ,原子炉の運転はともかくとして,燃料の貯蔵,運搬もできないこととなる。そこでこのような場合には,賠償措置の強制規定の適用を除外している。しかし損害賠償の処理が済んで操業を再開するときは一敷地内に二つ以上の炉があり,損害を起こさなかった方の炉について操業の継続を認めるようなときは,賠償支払によって不足となった金額をこの法律の規定に適合する賠償措置額とするよう,科学技術庁長官が命令することができることとなっている。
 (ii) 責任保険
 損害賠償としてもつとも典型的なのは,原子力事業者の損害賠償責任をてん補する原子力損害賠償責任保険契約の締結である。
 賠償措置としての責任保険は,正規の免許を受けた事業者の営むものに限られ,自家保険等は認められない。現実には,規制法中の暫定措置として,35年2月29日付をもって免許を受けた損保20社の原子力保険事業による原子力損害賠償責任保険約款があり,今後もだいたいこの約款が中心をなすものと予想される。
 ところで現在のわが国の保険業界の引受け能力では,前記の50億円の大部分は,英国等の海外諸国へ再保険に出さざるを得ない。その関係もあって,責任保険は,前述のように,この法律に定める原子力事業者の責任のすべてをカバーすることは不可能で,地震による損害,災害発生後10年経過以後の請求にかかる後発性損害等,いくつかのてん補しない損害がある。しかし,それでは被害者が十分に保護されないのでその部分については国が,いわば国営保険的に原子力損害賠償補償契約によっててん補することとしている。
 責任保険について議論のあった点として,被害者の保険会社に対する直接請求の問題がある。原子力事業者の財産状態がどのような事態に陥った場合も,被害者に確実かつ完全な救済を与えるため,保険会社に対する第三者の直接請求権を,海外における責任保険の立法例,自動車損害賠償保障法の例等にならって規定しようとする要請が強かったが,業界等からする異論も多かったため,この法律では,これに代る実質的な被害者救済規定をおくこととなった。
 すなわち,被害者は,損害賠償請求権に関し,責任保険契約の保険金について,他の債権者に優先して弁済を受ける権利を有するものとして,被害者に原子力事業者の保険金請求権の上の特別の先取特権を認め,次に原子力事業者は,被害者に対する損害賠償額について,自己の支払った限度または被害者の承諾があった限度だけ,保険会社に対して保険金の支払を請求することができることとして,被害者が気付かないうちに保険金が支払われることを防止し,その前に被害者が差し押さえる機会を与え,さらに,原子力事業者の保険金請求権は,このようにして被害者が差し押さえる場合以外は,これを譲り渡し,担保に供し,または差し押さえることができないこととしている。
 (iii) 補償契約
 国が原子力事業者と締結する原子力損害賠償補償契約の役割は,責任保険のと・ころで述べたとおりである。その内容については,この法案とは別個の,いわば「原子力損害賠償補償契約に関する法律」ともいうべき立法によって規定してゆく方針で,補償契約のてん補範囲,保険料に相当する補償料の算定方法等については,すべてこの別途の法律によって規定する予定であるが,被害者の救済規定は,責任保険の場合と同じ方式によって配慮することを考えている。
 (iv) 供 託
 損害賠償措置としての供託は,金銭または総理府令で確実と認める有価証券をもってするのであるが,被害者は,損害賠償請求権に関し,原子力事業者が,供託した金銭または有価証券について,その債権の弁済を受ける権利を与えられる。
 また,後発性損害に備えて,原子力事業者は,原子炉の運転等をやめた後でも,一定の範囲の供託の継続を義務づけられることになっている。

(3) 国の措置
 (i) 国の援助
 もしもの場合に,賠償措置額をこえる損害が発生したときの原子力事業者に対する国の措置をどのように規定するかについては,従来もつとも議論のあったところであるが,結局,政府は,そのような場合には,被害者の保護を図り,原子力事業の健全な発達に資するというこの法律の目的を達成するため必要があると認めるときは,原子力事業者に対し,原子力事業者が損害を賠償するために必要な援助を行なうものとするという規定におちついた。賠償措置で不足する部分についてはかならず政府が補償するという諸外国の立法例にくらべるときは,若干あいまいな感じがしないこともないが,政府が援助を必要と認める際の判断は,あくまでこの法律の目的だけに照らしての判断であり,そこで援助が必要であると考えるならば,かならずこれを行なうという建て前であるので,これにょって被害者の保護に欠けるようなことはなく,また,原子力事業者が損害賠償によって事業の経営に破たんをきたすことはないものと思われる。
 政府の援助としては,原子力事業者に対する補助金の交付がもつとも典型的な場合であるが,そのほか貸付金,融資のあっせん,利子補給などの形態が考えられる。これらの援助が財政支出を伴うものであるときは,予算または法律として国会の議決を経て行なわなくてはならないことはいうまでもない。
 なお,原子力損害が異常に巨大な天災地変等によって生じたときは,原子力事業者は,免責となり,政府も,原子力事業者に対して援助を行なう必要はなくなって,この法案の体系を離れた問題となるのであるが,このような場合でも,政府は,被害者の援助および被害の拡大の防止のために必要な措置を講ずるようにするものとしている。
 (ii) 国会に対する報告等
 以上のようにして原子力損害につき賠償のための措置を完備したとしても,現実に,50億円をこえる損害はもちろんのこと,それにいたらなくても10億円,20億円という相当規模の損害が発生するときは,重大な国民的関心事となることと思われるので,被害者への賠償を含めその処理については国家的規模であたるものとして,相当規模の原子力損害が発生したときは,できる限りすみやかに損害の状況およびこの法律に基づいて政府のとった措置を国会に報告することとしている。
 原子力損害が生じた場合で,原子力委員会が,専門的立場から,,損害の処理,損害の防止等に関する意見書を内閣総理大臣に提出したときは,これを国会に提出することとしたのも,同じような趣旨である。

(4) その他の規定
 原子力損害の特殊性にかんがみ,損害賠償に関し,紛争が生じた場合における和解の仲介を行なわせるため,科学技術庁に原子力損害賠償紛争審査会をおくものとした。ただし,原子力損害は発生のがい然性が少ないので,常設とはせず,必要に応じて設置する臨時的機関とした。
 前述の補償契約および国の援助については,その適用期間を10年程度に限定したが,これはその間に民間責任保険の質的量的改善,あるいは原子力の研究開発のいちぢるしい進展が予想されるので,将来これらの措置について再検討しようとするものである。


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