第1章 国際協力
§3国際原子力機関との協力

まずこの1年間における機関の活動状況を概観してみよう。33年は機関の事業初年度であったので,その活動の重 点はもっぱら機構の整備にむけられたが,33年末ごろから34年にかけて漸次機関の具体的な活動を要請する機運が 醸成され,機関もこれに応じて活発な動きを示すようになった。
 その最も顕著なきっかけをつくったのは,33年秋の第2回総会の際に行なわれた日本の天然ウラン3tonの機関からの提供の要請である。その詳細は後述のとおりであるが,これに続いて,タイ,パキスタン,ブラジル等からも続々と機関に対する技術援助の要請が行なわれ,機関は34年初頭から春にかけての理事会でこれらの援助要請を審議,承認し,具体的な援助活動を推し進めることとなった。また,フェローシップの受入れや予備調査団の派遣等,低関発国に対する援助活動のみならず,機関の重要な任務である国際的基準の設定という面でもアイソトープの取扱基準,廃棄物処理,原子力災害補償問題等の専門家会議を開催するなど,具体的な活動を示すようになった。この間理事会は2ないし3ヵ月の間隔で開かれ,また33年9月22日から10月4日までウィーンにおいて加盟65ヵ国の代表が参集して開かれた第2回総会では,34年度の事業計画に必要な総額672.5万ドルに上る予算を審議,決定した。
 このような機関の動きの中にあって,わが国は機関との間にどのような協力関係を推し進めてきたか。まず第1に挙げなければならないのは,機関からの天然ウラン3tonの受入れである。機関による核物質等の供給は機関の最も重要な任務の一つであり,わが国の立場からきわめて重大な関心を有する分野であるが,機関の第2回総会においてわが国は,この面における機関の活動を活発ならしめるとともに機関の保障措置および保健安全上の基準の確立を促進するためには,具体的に機関に対し核物質の提供方を要請することが最も効果的であるとの観点から,日本原子力研究所で建設計画中のJRR-3(国産1号炉)用の天然ウラン・インゴットまたはビレット3tonの提供方を機関に要請した。これは加盟国が機関から核物質の提供を要請した最初のケースであり,わが国がこのように具体的な行動をもって機関の育成強化に積極的に協力する態度を示したことは,機関の事務局はもちろん,大多数の加盟国から非常な歓迎と賞讃の眼をもって迎えられ,原子力の国際的分野における日本の発言力を大いに高める効果をもたらした。
 機関の事務局はこの日本の要請に応じて直ちに活動を開始し,天然ウランの供給可能国に対し33年12月11日を期限として入札の招請を行なった。
 これに対し,米国,ベルギーおよびカナダの3ヵ国が入札に参加し,入札の結果は,1kgあたり米国54.34ドル,ベルギー34ドル(いずれもFOB価格)で,カナダは機関援助の趣旨から無償で提供することを申し出た。34-年1月の理事会は,わが国の提供要請問題を審議し,わが国の要請計画を承認し,機関への提供国はカナダとし,わが国への提供価格は1kgあたり35.5ドルとすることを決定した。この価格はベルギーの入札価格34ドルに機関の所要経費として1.5ドルを加えたものである。一方天然ウランの提供に関するカナダと機関との協定および日本と機関との協定は,それぞれ機関の事務局とカナダおよび日本との間で交渉が進められた後,34年3月の理事会で承認され,3月24日いずれもウィーンにおいて署名が行なわれた。日本と機関との協定(正式名は「研究用原子炉計画(JRR-3)のためのウランの供給についての日本国政府に対する国際原子力機関による援助に関する協定」)は前文および6ヵ条と二つの附属書からなり,その内容の主要点は次のとおりである。
 第1条はJRR-3の計画に対し機関が天然ウラン金属を割り当てることを述べている。また,日本政府が要請すればJRR-3用として役務および追加の物質が割り当てられうることとなっている。
 第2条は売却の条件を規定している。提供される量は3.Otonないし3.2tonで,引渡場所はカナダ内の日本側が指定する場所,引渡期日は機関が4週間の予告で通告する期日であるが,機関は34年11月1日以前に引き渡すよう最善の努力を払う。価格は1kgあたり35.5ドルで,権原移耘の文書の交付と同時に支払う。見本は日本政府にも提供され,不純物または危険係数について疑義があるときは第三者分析を,要求することができる。また,機関が売却者としての責任を果さなかったときは,権原移転後1年以内に通告すれば,日本政府が機関に支払った額を限度として機関は賠償に応ずる。
 第3条は機関の保障措置の規定で,日本政府は提供物質を機関の同意なしに他の目的に使用しあるいは国外に移転しないこと。憲章第12条A項の保障措置は機関と日本政府が別段の合意を行なう時まで適用され,かつ,その細目は機関の事務局と日本政府が協議した後,理事会が随時決定すること,日本政府は機関に提出した保健,安全上の基準を遵守すること,保障措置の適用に関する紛争は理事会で決定処理することとなっている。
 第4条は情報,第5条は紛争の解決,第6条は効力の発生に関する規定である。
 また,附属書Aには計画の定義,附属書Bには提供物質の仕様が定められている。
 以上のとおり,わが国が機関への積極的協力の目的をもって他国に先がけてとったこの措置は,加盟各国の注視を浴びながら順調に処理されてきたが,わが国はこの他の面でも機関との協力関係を推し進めている。機関のフェローシップ計画に対し,34年度中に約20名の研修生の受入れを申し入れ,一方日本にも20名のフェローシップが与えられた。また,33年に開かれたアイソトープの安全取扱いに関する専門家会議,34年に入って行なわれた放射性廃棄物の海洋投棄に関する専門家会議,原子力災害補償に関する専門家会議等にもそれぞれ専門家を派遣した。また,34年6月には機関から各部門の専門家8名から成るチームが来訪し,わが国の専門家グループとの間に有益な意見の交換が行なわれた。
 機関の保障措置はわが国の3tonのウラン申込みに応じて急速に整備されることになった。6月の理事会には保障措置の「原則」と「細則」とが草案の形でかけられたが,この問題が今後の世界の保障措置の基準となるという重要な意味もあり,細則のほうは棚上げにして一応「原則」の作成に努力することとなった。6月に提出された草案は大幅に書きあらためられ,9月の理事会でふたたび審議された。この際にも40をこえる修正案が提出されきわめて詳細な審議が行なわれた結果,総会の開催中に最後の理事会(総会によって理事会は改選される)を開いて保障措置の原則の部分を暫定的に採択した。この原則に基いて新たに細則が書きあげられる予定であり,原則と細則とをそろえて35年の第4回の総会にかけることになった。機関の保障措置が実施されるのはその後のことであり,早くとも35年の秋以降となる予定である。
34年の9月にウィーンで開かれた第3回の総会では,823.3万ドルにおよぶ機関の予算と事業計画とが承認された。この総会において機関も第3年目をむかえ,事業計画の内容も着実に整備されつつあることを如実に示したのである。


目次へ          第2章 第1節へ