第5章 昭和33~34年の特色
§1双務協定の締結

第1は米,英,加3国との間に双務協定を結んだことである。わが国の原子力に関する国際協力の基本的態度が,国際 原子力機関を中心として,これを盛り立て,これを通じて進むことにあることはすでに述べたところであるが,現実 の問題としては上記3国と,双務協定を必要とする事情があった。国際原子力機関はなにぶんにも発足早々であっ てその事業活動はまだ必ずしも十分ではない。特に核燃料はじめ,各種資材の交流機能は未知数であるのに,わが 国としてはこれら3国に対して現実の要請をもっていた。すなわち米国との間にはすでに30年に原子力研究協定が 結ばれていたが,わが国が必要とする濃縮ウランの量はすでにこの研究協定で定められた枠では不足する状況であ り,さらに研究用の特殊核物質をも入手したい希望があって,当然従来の協定を改訂する必要があったが,さらに日 本原子力研究所に設置を予定する動力試験炉の建設のためには,もはや単なる研究協定では十分ではなく,動力炉 に関する規定を含んたいわゆる原子力一般協定の締結が必要であった。英国からは,当面入手しなければならぬ資 材はないが,安全性,経済性が確認されれば発電炉の第1号として導入を可と考えられているコールダーホール改良 型原子炉の調査および購入交渉のためには,やはり英国との間の協定を必要とした。カナダについては,原子燃料 公社の必要とするイエローケーキが当面輸入対象として考えられたが,長期的にはわが国で原子力の開発を進める 前提として,乏しい国内資源の補いとしてどこか適当な生産国との間に協定を結んで,原料入手の道を開いておく ことが必要であると考えられたからである。
 これらの国々と協定を締結することについてはすでに32年4月,原子力委員会の決定に基づいて閣議においても了解されており,まず米国と,次いで英国,カナダと交渉,逐次締結していく方針であったが,米国との交渉が難航したので,これと並行して英国と交渉を行ない,偶然にも33年6月に至って米英同時に締結にこぎつけ,12月に国会の承認を経て発効した。
 カナダとの協定は34年に持ち越され7月に調印された。
 これら3国との協定,特に米英両国との場合に問題となった点は,①査察等いわゆる保障措置の問題,②使用済燃料から生ずるプルトニウムを相手国に返還した場合,相手国がこれを平和目的以外に使用しないという約束をとりつける問題および⑧万一事故が起って第3者に損害を与えた場合に,供給国を免責するという免責条項の3点であった。第1の問題は将来適当な時期に国際原子力機関の保障措置に移すことを含みとすることで合意に達し,第3の点は大筋としては原子力特有の国際的慣行と認めざるをえず結局これを受諾した。第2の点は英国,カナダは協定中にこれを認めたが,米国は当初その趣旨を認めつつも協定本文に明記することを拒否していたが,協定成立後の17日に至り改めてこれを議定書として正式に認めるに至った。
 こうしてわが国は3国と双務協定を結び,今後国内で動力炉を含めて原子力開発を行なう場合の燃料等の入手に不安のない体制を築いたのであるが,単に燃料その他の資材の入手にとどまらず,これら3国はそれぞれ独自の原子力開発を行なっているので,技術情報の入手についても得るところが大であると期待される。なお34年3月西独との間に,原子力の研究,開発,利用の分野で接触を強化推進する趣旨の書翰の交換を行なった。


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