第2章 世界の動き
§2開発の進展と国際協力

一般的に言って,この期間において世界の原子力に関する研究,開発は一段の進歩を示し,国際協力は更に推し進め られた。ソ連の実状は詳細に知ることができないが,米英両国は原子力の研究開発にあいかわらずの努力を傾けて いる。後進国もまた,莫大な経費のかかること,しかも早急には成果を期待できないことを知りつつも,いずれもこ の問題に深い関心を示して研究開発に及ぶかぎりの努力を惜しまない。世界の70ヵ国は国際原子力機関に加盟し, 約30ヵ国はすでになんらかの原子炉を持ちまたは建設の計画を立てている。
33年8月アメリカの原子力潜水艦ノーチラス号はベーリング海からグリーンランドまで,北極の氷洋下の横断潜水航海に成功した。また34年秋にはソ連の原子力砕氷船レーニン号が試運転に成功した。これらは高速原子力潜水商船の実現,北極航路の開発による航路の大幅な短縮等船舶に対する原子力利用の期待に拍車をかけるものであった。しかしながらこの期間中にはこうした世界の耳目を驚かすようなできごとは割合に少なかった。これは別の意味では原子力の平和利用に関しては,今や国際的な障壁が除かれて各国の動向がある程度平素から知りう,る状況にあるからとみることができよう。このことは33年9月ジュネーブで開催された国際連合主催の第2回原子力平和利用国際会議についても言えることである。この会議には世界の70ヵ国から約6,000人の関係者が集り,30年の第1回会議をはるかに上回る盛会であった。もはやこれ以上の規模での開催は不可能であろうと嘆ぜしめたほど,この会議の研究発表は質量ともに各国研究の著しい進展を物語るものであった。特に第1回の会議ではわずかにインドのバーバー議長が「20年後には実用化されよう」と示唆するだけであった核融合の研究発表は今度の会議の華として数多く繰り広げられたし,動力炉に関する討議も前回とは異なり経験の上に立つ発表が注目された。しかしそれにもかかわらず,この会議の感銘は第1回のそれほどではなかった。
 秘密のベールが初めて開かれた第1回と異なり,今日では原子力の平和利用はすでに秘密から開放され,国際協力が進められてきたからと見るべきであろう。33年度末において米国は約40ヵ国と,英国は約10ヵ国との間に原子力に関する双務協定を結んでいる。
 しかし,この傾向は一面先進国の海外における原子力技術の競争という面からも理解しなければならないであろう。すなわち英国の天然ウラン黒鉛ガス冷却型動力炉はイタリアおよびわが国に輸出されることになったが一方米国もまたイタリアの第2号動力炉として沸騰水型動力炉を供給することとなった。このように先進諸国の動力炉が国外に進出してそれぞれの技術を競い合っていることが注目される。
 米国とユーラトム(欧州原子力共同体)との間の協定はユーラトム諸国が100万kWの原子力発電所を建設する際に,これを両者の合同計画として米国が技術的,資金的に協力援助しようというものであった。この期間中には両者間の協定の締結により具体的計画が進展した。またOEEC(欧州経済協力機構)の17ヵ国は原子力専門の欧州原子力機関を発足させ原型炉の共同研究に着手する一方,欧州化学処理会社を設立して化学処理のパイロット・プラントの建設にのりだした。


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